坑道の中


 坑道の中は何時でも暗く、昼も夜も無い。巨大蛞蝓は暗がりを好む魔物にしては珍しく夜行性では無い。だから退治にあたり昼の有利は特には無いが、かと言って無理に夜更かしする必要もあるまいとのラグーの主張で退治の出立は翌朝早くに決定した。確かに一理あり、またラグーは恐らく少女の身体を案じての提案だろうが、臣の心の主知らず、男装の少女はとにかく早くと御立腹の様子。昨日師匠がさんざにやつけて溜飲こそ下がったが、こんな娘に誠心誠意仕える者の気が知れない。
(特に、ラグーなんて義理もなさそうだけどなあ…)
 初めは魔術師師弟にもなかなか気を許さなかった男である。鉱山の監督官にも反抗的で、権力に安易に屈する人物とはとても見えないのだが…。

 とにもかくにも武装の少女を先頭に、妖虫跋扈する鉱山へと移動する。少女がむっつり不機嫌に黙したままだから、必然的に周りも口を慎み…居心地の悪い沈黙に包まれたまま、坑道の入り口までやって来た。
「よう!今日も遅かったな!」
「貴様…」
 すっと、坑道の口から現われたのは例の戦士である。はらはらする従者を他所に、貴人の機嫌がさらに大下降。
「貴様、何故昨日の下見に現われなかった!」
 ずずいと歩み寄って罵倒の嵐。…随分と敵を作り易い娘である。

 もっとも、若いながらも海千山千とおぼしき戦士は大して取り合わなかった。後でどうせ合流するからその時聞けば済む事だとの弁明も、考えて見れば当然の事、何を言ってもにやにや笑いの軽口混じりで返されるものだから、しまいには流石の少女も罵り疲れた様である。
 頃合を見て魔術師がバトラー老人を促し…魔術師本人が何か言えばまた揉めるのは眼に見えているので…カンテラを掲げたラグーを先頭に蛞蝓の大発生した坑道へと入る事にした。


「暗い…な」
「何だ、坊ちゃんもう怖くなったのかい?」
「無礼を申すな!」
 戦士にまたまたからかわれて憤然とする。実際、既に坑道のかなり奥、もう地上の光は欠片も届かない。坑夫達のための灯火の台はまだ生きていて、ラグーが順々に点火したため視界は問題無いものの、やはり貴族の姫君には慣れぬ光景であろう。
「それにしても落ち着いておられますね、戦士殿」
「疾風、でいいぜ」
 敬称付きで呼ばれるのが面映ゆいのか、戦士が酷く苦笑する。洞窟の様な場所は慣れているらしく、悪い道だと言うのに足取りも危なげ無い。盛んに少女を焚き付けるのは迷惑だが、悪気があっての事とも思えない。こうして近くで見てみると、初めの印象より余程好青年のようだ。
「では…疾風さん、巨大蛞蝓を倒した経験はおありですか?」
「ないな」
 あまりにあっさりした即答に、一同…取り分け少女が脱力した。
「何と貴様!それで良く一人で倒せると豪語したものだな!」
「俺は何も言わなかったさ…あの監督官がな、流れの者の俺に眼を付けて、あんた方より先に何とか退治をしてくれって、さもなきゃあんた方に退治を諦めさせてくれって泣き付いて来たのさ」
「何…」
 戦士がゆっくり振り返る。…元々悪く無い顔立ちだが、真顔になると武者修行の騎士にも見えて来る。
「あんた、事情は知らないが…よっぽどのお忍びなんだろ?『アスラン』ってのも偽名だな?」
「な、何故それを…」
 言ってしまってからまさに自ら肯定した事に気付いて赤くなる。
「名前を呼ばれてから反応するのがちょっと遅いな。他にも不自然な事が色々ある」
 頭上から爪先まで視線を走らされて少女も身体を固くする。
「あんたにだって親兄弟がいるだろ?それも、立派な…あんた本人は良くてもな、もし大怪我でもしたら、あんたの実家は黙っちゃいないさ。そうなりゃ、あの監督官もお役ご免となるだろうし…この鉱山全体、それこそそっちの坑夫さんだってどうなるか分からないんだぜ?」
 この言葉にははっとした様で、少女はラグーを不安そうに見つめた。
「あ、いや、ひ…アスラン様、俺達の事は気になさらずに…」
 慌てた坑夫の言葉に高慢の心は却って打たれた。
「そうか…私の行動は私一人のものでは無いのだな…」

 暫く、カンテラの灯心が燃える音だけが響いていた。男装の少女はうつむいたまま。
「どうだい…決心は付いたかい?」
「え…?」
「このまま引き返す、決心さ」
「な!何を言う!私は魔物掃討成すまでは家には帰れぬのだ!」
「帰れないって…巨大蛞蝓ってのは結構厄介なんだぜ?退治出来なくても別に誰も責めたりはしないと思うぜ?」
「その様な問題では無い…」
 鎧の少女が苦渋の表情となる。
「私は誓約を立てたのだ!民草を悩ます魔物を討ち取るまで帰らぬ、と」
「かァー!本当かよ…」
 戦士も流石に呆れた様に天を仰ぐ。
「確かにここの蛞蝓ほど困った奴はいないだろうけどさ、他に探した方が良いと思うぜ?」
「…時間が、無いのだ」
「時間?誓約に期限まで付けたのかい?」
「…まあ、そんな所だ」
 男は困った様に頭をかきむしる。元々ばさばさであった物がさらに乱れてまるでたてがみの様…他の皆も顔を見合わせ、再び沈黙が辺りを覆う。

 と。突然シドがびくりと跳ねた。
「どうしました?」
「今、今、ずるって音が…」
「どこでだ、坊主!」
「あ、あっち…」
 シドの指差した土壁の一点。まさに今、白い物が顔を出していた!

「ひ…ひいいい!!」
 にゅるりにゅるりと、緩慢に見えて素早い動きでたちまち三体。壁の孔からぽとりぽとりと落ちて来て、互いに重なりあってしまい頻りにもがいている。
「落ち着いて下さい、数が少ないので…」
「嫌あああああ!!」
 絶叫しながら突然抜剣、そのまま眼も開けずに闇雲に振り回す!
「お、お止め下され!」
「あんた落ち着けって!」
 バトラー老人が必死で抑えようとするが、正気を失った人間の力は恐ろしい。剣が岩壁に当ってけたたましい音を盛んに立てる。
 と、激しい物音に反応してか、妖虫の一体がずるりと少女へと向きを定めた。
「危ない!」
 戦士が暴れる少女を無理やり抱えて後方へと飛び退る。間一髪、二人のいた位置目がけて巨大蛞蝓の消化液が放たれた。
「な…!」
 驚いた事に…たかが蛞蝓のその液が、その場の土をみるみる溶かしたのである。

「こっちだ!やい、蛞蝓ども、胆があるならこっちへ来やがれ!」
 ラグーが大胆にも虫達を飛び越えて向こう側へ行き、鶴嘴で盛んに威嚇する。鼻先を掠められて怒ったのか、まず二体が向きを変え、さらに少女へ向かっていた虫もやにわにぐるりと回って坑夫へ向けての急な突進。…少女から妖虫全てが離れた!
「『睡羅網(スリイプネット)』!」
 凛とした発声とともに、蜘蛛の巣にも似た銀色の細やかな網が放たれ、凶行に走る虫達を絡める。網に触れた途端、激しい動きは突如止み、ばたばたと地に伏せて行く。

「死んだのかい?」
「いえ、眠らせただけです。今なら止めを刺せますが…」
 そっと、後方を伺う。…少女は今だ無頼の戦士の腕の中、眼を見開いたまま震えている。
「魔法ってのはどの位持つモンかい?」
「この『睡羅網』でしたら…半日は騒いでも叩いてもだいじょうぶでしょう」
「そうか…」
 ラグーも案じる顔で少女を見る。坑夫にもあえて致死性の術を使わなかった魔術師の気持ちは良く分かるが…
「まだ他にもいるだろうしな、ここは代わりにやって置こう」
「そうですね…お願いします」
 持参したぼろ布で頭の辺りをごしごしと拭く。…滑る粘液さえなければ、骨の無い虫など造作も無い。手際良く次々と頭を割られて行き、今度こそ永久の眠りにつく。
 全てを始末し終えると、呆然とした表情の少女が立っていた。

「お…若様に何事も無くて何よりです」
 バトラーは汗やら涙やらを頻りに拭いているが少女は見向きもしない。よろよろと虫の屍体へと近づいて…けれどまともに見られず眼を背ける。
「その、不意を突かれったて事でさあ、お気になさらずに…」
 ラグーがおずおずと声をかけるが。
「不覚だ…」
 少女の両眼から涙が溢れ出す。

「私は今まで随分多くの獣を仕留めて来た。熊と戦い勝利した事もある。…だが、それは戯れの様なものであった。これと言って世を騒がせた訳でも無く、少々の備えさえあれば誰でも倒せる獣ばかりだ」
 実直な坑夫も今度は何も言えない。
「人々を苦しめている魔物に出会ったのは考えて見れば初めてであった。そして…いざ眼の前にすると何も出来ないとは…」
 苦しげに辺りを見渡す。と、魔術師の弟子の少年が眼に入る。…この少年も余程驚いたか、腰を抜かして座り込んだまま。
(これは…)
 己への腹立ちのぶつけ先を見つけ、つい皮肉の一つでも言おうとした所。
「お、お師匠!?」
 突然少年が弾かれた様に駆け出した。

「お師匠、お師匠!」
「どうしたのです…?」
 丁度弟子の方へと歩き初めていた魔術師は驚きに眼を丸くしたが。長衣を少年が無理やり開くに及んで漸く己の身体の異常に気付く。
「あんた、怪我を…」
 言いかけたラグーが少女に気付いて慌てて口を塞ぐ。
「平気…なのか…」
 消沈の剣士が、己の罪に思い当たる。…少女が恐慌を来した時、その身を案じて真っ先に近づいたのはこの魔術師だったのである。

 氷原の様に白い肌に、痛々しい紅の筋が幾つも走っている。幸いどれも浅い様だが、少女はあの時何の手加減もせず剣を振るっていた。これしきで済んだのは、一重に運と魔術師の反応の良さの賜物だろう。
「そう言えば、ちょっと痛いかなと思ったのですが…」
「ちょっとじゃないよ、ちょっとじゃ!」
 少年は装備の中から薬草らしき細長い葉を取り出すと、そのまま傷口に当て、何か集中する様に眼を閉じ、低い声で不思議な言葉を暫し唱える。
「…?」
 視線の集まる中、不意に光がふわり溢れ、そしてゆっくり傷口を包む様にして消えて行く。…そっと、少年が薬草を外すと、傷口が嘘の様に消えている。
「傷を治せるのか!?」
「たまたま浅いから何とかなったんだ。俺の扱える精霊は弱いからさ…」
 全く乱暴な奴だよと、ぶつぶつ文句を言いつつ他の傷も治して行く。
「坊主、そんな事も出来るのか…」
 精霊使いの技にも治癒の術はある。光の神を奉じる聖職者には程遠いが、平民に高額の寄進など叶う筈も無く、精霊の使い手に頼る人間は多い。だが、魔法の技術を学びながら精霊と心を交す者など珍しい。根本的に相入れぬ技術であり、両立するには本来多大な努力が必要である。

「おい、気になる事があるんだ!ちょっと来てくれ!」
 まだら髪の戦士が、例の消化液の池を前に叫んでいる。一同が集まると、戦士は干し肉を一切れ取り出し、おもむろに池に沈める。
「…!」
 肉の色が瞬時に変わったかと思うと、不意に輪郭が崩れだし…程無くしてただの肉色の淀みと成り果ててしまったのだ。
「俺の長靴にな、ちょいと汁がかかっちまってさ…それがこんなになっちまったからな」
 左の靴を掲げて見せる。爪先の辺り、皮を幾重にも重ねた部分が陽に当てた蝋の様にぐにゃり溶けている。
「『酸の池』でもここまで見事に溶けやしないのによ…」
 何を思い出したのか酷く顔を歪める。

 『酸の池』は宝物庫の守りの罠としては極ありふれた物、特に神話時代の遺跡には多いと言う。王宮の蔵に忍び込んだら立派な犯罪だが、手付かずの遺跡なり魔物の守護する城なりを荒して得た物は丸々当人の物となる。そんな都合の良い場所は既に希少となっているが、今でも稀に見つかるため、夢の様な冒険を志す者も少なくない。この戦士も、傭兵や用心棒稼業よりそちらの方が専門かも知れない。
 …そして、あるいは『酸の池』で仲間を失ったのか…

「こりゃ本気でおかしいぜ。蛞蝓の毒ってのは、じわじわ後から効いて来るもんだ…肉をよ、ここまで派手に溶かさねえ筈だ」
 ラグーの言葉に魔術師も深刻に頷く。
「私の知識でもその筈です。蛞蝓は肉食ではありませんし…」
 戦士の無残な靴と肉を溶かし今も地面を少しずつえぐっている池に眼を落とす。
「これは…酸では無いかもしれません」
「ええ!?」
「探査しましょう…」
 杖を構え、短縮せずに朗々と呪文を唱え出す。

「…どうだ?」
「ええ…やはり酸では無いようです。鉱物よりもむしろ皮や肉、生き物の身体をより害するものです」
「何だって!?…けどよ、土もこんなに溶けちまってるぜ?」
「毒がとても濃いのです。元々岩や鉱石の類には効きにくい毒ですが、それでもこれ程強いと柔らかい土を水に変じるのは造作も無い事なのです」
「…この毒は、時間が経てば消えるのか?」
「多分、無理でしょう。取り合えず解毒して置きますから」
 また、別の呪文を唱える。小さな池は沸騰するが如く激しく泡立ち、そして灰の様な粉を残して静かになった。

 事の済んだ後も沈痛の面持ちでたたずむ魔術師。その背に再び声がかかる。
「おい先生、ちょっと来てくれや!」
 ラグーの指差したのは先の屍体の脇腹。何の変哲も無く見えたが…
「これは…!」
「わあ!お師匠わざわざ触んなって!」
 シドの悲鳴もお構い無く、屍体の一つを手に取りしげしげと見る。…筋目が、四本。
「これは…」
「な?おかしいだろ。普通はでかいのも小さいのも筋は一つか二つ、多くて三つだからな」
「じゃ、普通の巨大蛞蝓と違う変異種って事か?」
「そうなりましょう…」
 ほっと息を付いた魔術師の肩を、実直な坑夫が軽く叩く。
「な?先生のせいじゃあねえって事だ」
 小声の言葉に苦笑しながら頷く。魔術師が造った蛞蝓もやはり二本筋。だとすれば今度の巨大蛞蝓の大発生、必ずしも魔術師のせいとは言い切れぬようだ。


 再び歩き始めると、坑道に分岐がある。どちらかと言えば蛞蝓が出たり水が出たりしたのは東側、この分岐で言えば右の方角であるらしい。順当に言えば右側から攻めるべきだが…
「あ、あ、あ…」
 何気なく、真っ暗な左の坑道を覗き込んだシドが硬直する。彼は闇妖精の血筋にして裏稼業の修行もあり、暗視が実に巧みである。…だが、少年は自分の才能をいたく恨んでいた。
「なめ、くじ…」
「何だって!?」
 ラグーが先頭に立って乗り込んで行き、魔術師と戦士も後に続く。坑道の少し奥のある一角、さほど広く無い床一面に白い虫達がびっしり寝そべっている。その粘液にぬめる背中がもぞもぞ動めくのがおぞましい。
「いやあああああ!!」
 これは気の強いお嬢様の狼狽を責められぬだろう。…とは言え、またしても正体も無く暴れたお姫様、勢い余ってバトラー老人に体当りし、ともども地面にもんどりうって倒れてしまう。貴人に仕えるのも苦労が多い。
 それはそうと、虫位ではびくともしない三人は少々興味深い事に気が付いた。
「今度は襲って来ませんねえ…」
「まあ、汁まで吐くのは珍しいしよ、さっきのよか普通らしいがな」
「…そうなのか?」
 実際、今度の虫達は急な灯りに怯えてか、むしろ後退りする素振りを見せている。ラグーによれば、巨大蛞蝓のもっとも厄介な点はその頑固さで、気に入った場所を見つけると梃子でも動かないのだと言う。こんな風にカンテラをかざされた位で逃げ出すのは実に奇妙。
「おい!さっき筋がどうのって言ってただろ、こいつら二本筋だぜ!」
 戦士疾風が剣で示した場所、丁度一体がにゅうと立ち上がっていた。その身体、確かに極尋常な蛞蝓の物。大きさも先に見かけた種類よりぐっと小さい。襲って来る様子があまりに無いので剣やら鶴嘴やらで試しにけしかけて見た所、内一体に毒液を吐かれてしまった。が、これも先刻と異なり毒が薄い。土もえぐらず肉も溶かさず、しかも吐いた当人はたちまち弱って干乾しの様に縮んでしまっている。
「蛞蝓は身体のほとんどが水で出来ています。逆に言えば水分を無くせば生きて行けず、消化液を大量に吐くのは命懸けなのですよ」
「じゃあ、やっぱりさっきのはおかしい訳だ」
「それにしても妙な話だ…変わり種がぶくぶく肥えてるってのによ、この並の連中はどうしてこう痩せ細ってるんだ?」
「そうですよね…」
 今一度、虫の群れに眼をやった魔術師、急に眼鏡を掛け直して熟視する。
「どうした?」
「…ちょっと、これ、見て下さい!」
 いきなり暴れる一体を抱き上げてラグーの眼の前に突き出す。後でシドの嘆き声が聞こえて来るが、真剣な魔術師は気付いていない。折角見目も身なりもよい若者なのに…
(おいおい、こだわらねえってのは良い事だがよ…)
 苦笑しながら向き直るラグーだが、蛞蝓に軽く手を触れた途端に顔色が変わる。小型の、細かい作業に使う小刀を取りだし、蛞蝓の肌につつっと滑らせた。…軌跡にそって汁が染み出し、蛞蝓が酷く暴れ出す。
「切れる…!」
「切れるでしょう!」
「…そんな特別の事なのか?」
 興奮気味の二人の様子に不思議そうに戦士が問う。そこへ最初の衝撃よりやや立ち直った姫剣士、嘲るように言葉をかける。
「巨大蛞蝓は粘液が厄介なのだ。鋭い刃であっても滑ってしまってはどうにもならぬ。…そんな事も知らぬのか!」
「お言葉だけどさ、若サマよ。その、疾風って兄さんの無知の御陰で助かったんじゃん」
「何だ貴様!何処まで逃げていた!」
 遥か後方から現われたシドに、短気な娘の怒りがまた振りかかる。もっともシドの方ではまるで無視。
「だってさ、俺達誰も…お師匠だってラグーのおっさんだってよ、蛞蝓があんな怖いモン吐き出すなんて思ってもみなかったさ。戦士の兄さんはなまじ何も知らなかったからさ…危ないって思って助けてくれたんじゃないか」
 この指摘には娘も言い返せない。怒りに頬を紅潮させ…見る人が見れば可愛いだろうが、シドは気にも止めずに師匠に近寄る。
「お師匠、風に聞いたんだけどさ…」
「風に?…ああ、お前は精霊使いだったな」
 戦士に頷いて話し始める。
「ここ暫く、妙に水気が増してたんだってさ。それも変な話だけど…どっちかって言うと、ただ水が溢れそうってな感じじゃなくてさ、何か押し出されてるみたいだって」
「押し出されてる?…坊主、判る様に言えよ」
「例えば…水は火と相性悪いだろ?それでさ、火山が噴火する間際なんてのは熱いってんで水の精霊が逃げ出すんだ」
 一同真っ青になるのを見て取って。
「…けど、ここは火山でも何でも無いし、別に火気が酷いってんでも無いし、噴火なんて起こりようも無いから、全然別な理由なんだろうけどさ」
「お、おどかすなよ…」
 わざと意地の悪い言葉を述べるのはこの少年の悪い癖だ。普段なら周りも青さだと許してくれるのだが…
「出鱈目を申すな!」
 一人、もっと青い人間がいた。

「精霊を扱えるなど偽りであろう!世迷い言を申して皆を惑わすでない!」
「…何だと?」
「他は騙せても私の眼は誤魔化されぬぞ!ここは鉱山、坑道の奥深く。そんな場所に風の精霊力が届く筈も無い!いや、先の傷の治癒も、恐らく魔術師ともども結託して我らを欺いたのであろう!」
「てめえ!お師匠が大怪我する所だったってのに、なんて言い種だ!」
「当然だ!よしんば私の剣が当ったとして、何故あやつの長衣が破れていない!傷が胸の中央ばかりとは、如何にも不自然!」
「大馬鹿だな!本物の魔術の学院の、特別誂えの長衣なんだぜ?魔法の護りがついてて、下手な鎧よりよっぽど丈夫なんだ!真ん中だけ斬られたってのは、たまたまお師匠が前を少し開けてたからだよ」
「信じらんな!ならば風の精霊は如何とす!」
「あの、若様…」
 ラグーが恐る恐ると言った風で口を挟む。
「俺も一介の坑夫なもんで、難しい事は判りゃしませんが…ここらの鉱山(やま)は、昔っから自然の風の流れに沿って作る事になっていやして。御陰で哀れな坑夫が淀んだ気を吸って死ぬ様な事は滅多に無いんですぜ。俺にゃ見えませんが、ここの坑道ならひょっとして、風の娘もいるかも知れません…」
「そうそう、あいつら言ってたよ。ここは動き易くって奥まで入れるって!珍しい石の周りで遊ぶのも楽しいって喜んでるみたいだぜ?」
「はあ、俺達別に浮気の娘に遊んで貰うために掘ってんじゃねえんだがなあ…」
「もういい!」
 大股で歩き出した鎧の少女は耳まで赤い。…彼女の魔法の使い手への不審感は余程根強いらしい。しかも満更無知では無い辺り、ただの偏見と言うより以前に手酷く騙された事があるのやも知れぬ。
(だとしたら面倒だな…)
「おいおい坊ちゃん、こいつらどうするんだい?折角剣でも倒せるらしいってのに…」
「捨て置けば良い!酷い毒があるでも無し、どうせ逃げぬ!」
 少女はまるで虫を見ようともせず、皆顔を見合わせる。が、一応一理もあり。…名目上、この集団の頭目は尊大の少女なのだ、従う他無い。
(この調子じゃ、何時までたっても終わんないぞ…)
 シドの心中の言葉は、そのまま全員の気持ちでもあった。

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(C)獅子牙龍児
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