山鳴り


 そのまま、昼時位まで探索は続き、一同は幾つかの収穫を得た。

 一つ、睨んだ通りに化け虫には二種類が存在する事。筋が二本の尋常種と四本の好戦的な変異の物。両者が群れの中に共存する事は無いらしく、常に別々に現われる。尋常種は大概坑道に沿って移動しており、大して変異種は坑夫の道とは全く無関係に行動するらしく、突然壁から現われる。しかも素早い。

 二つ、四本筋の変異種はどうやら肉食であるらしい事。一度ならず変異種が尋常体を食らっている場面に出くわした。無論歯がある訳でないので消化液で溶かし溶かし飲み込むだけだが…

 三つ、尋常の巨大蛞蝓は哀れな程弱っている。頼みの粘液も大した事も無く、大水も出ていると言うのに皆水が足りぬと見える。変異の種類がそれこそ剣の渾身の一撃も無駄に終わるに対し、簡単に斬れてしまう。

 四つ、変異の類は極最近になって現われたらしい。シドが風霊の乙女に尋ねた所、はっきりした事は判らないがどうも大水の出た頃…つまりは魔術師がお手製の巨大蛞蝓を送り込んだ頃…から見かけるようになったらしい。

 五つ、疾風と名乗る流れの戦士は思ったより優秀のようだ。軽口が多いが冒険の経験も深いらしく、なかなか教養もある。一度など、剣の通じぬ筈の四本筋を刃の平を使って見事に倒していた。彼の得物が特別幅の広い大長剣であるから出来た力技だが、斬れぬなら潰してしまう等と言う発想が誰にでも出来る訳では無い。

 六つ、今やこの坑道は、シドの鋭敏な感覚無しでは歩くのも危険だと言う事。どうやら一行の事も餌だと思っている節があり、出会うと盛んに消化液を吹きかけて来る。素早い上にほとんど音がしないため、シドの聴覚に頼るより他ない。シドも、危険と言うより生理的な激しい嫌悪故、特別敏感に察知できるのだ。

 そして。

 七つ、男装の少女はまるで役立たずである事…


 魔術師が小さな結界を張り、一同はその中で暫しの休息を取っている。とりあえず全体の様子を掴もうと、尋常種はほとんど無視しての行程ではあるが、それでも半日ばかりで三分の一ばかり調べ終えた事は一応賞賛に値する。それぞれに軽食を取るのだが、どうしても暗い沈黙が落ちてしまう。バトラーが必死で勧めているのだが、少女は水すら口にしないでうつむいている。
 …それはそうだろう、今の今まで巨大蛞蝓を倒して来たのはラグーに魔術師に流れの戦士の三人だけなのだ。とても、誓約を果たす所では無い。

「私はこれほど無力だったのか…一体何のための鍛練だったのだ!」
(ま、自業自得って奴?)
 シドとしては自分は勿論、何より影であれ程骨折りをした師匠を罵倒されて憤懣やる方無いのだ、良い気味と言う他無い。だが、早く立ち直らせて蛞蝓を倒して貰わない事にはいつまでたっても帰れない訳で…ため息を付いていると、戦士が少女の傍へとやって来て、頻りに慰め始めた。
(ご苦労なこった…)
 この戦士も随分な言われようだった筈だが、どう言う訳か面倒見が良い。盛んにからかうのも別段男装の剣士を嫌ってでは無い模様。しかし、「蛞蝓が嫌い」と言う好嫌の問題は勿論、「蛞蝓如きに遅れを取った」と言う誇りの問題も極めて個人の領域に属す話であって、他人が声をかけた位でどうこうなるものでは無い。
 はっきり言って違う意味で頭が痛い…そう、皆が思った時であった。

「な、何だ!?」
 シドがまた跳ね上がる。
「どうした坊主、また蛞蝓か?」
「違う…遠くで音が…唸り声みたいな…」
「おいおい、化け蛞蝓だって吠えたりはしないぜ…」
 だが、次の瞬間全員が音の正体を知る。

 ゴゴゴゴゴゴゴッ!!凄まじい地鳴りに一拍遅れて、凄まじい揺れが来た。
「皆さん!伏せて下さいッ!」
 とにかく立っていられない。嵐の中の小船もかくやの恐ろしい揺れ。がらごろと何とも知れぬ大音響を伴いながら数分ばかり続いた揺れは何とか立ち上がれる程まで収まったが、むしろそれがいけなかった。
 シドが入り口の方を見てあっと叫ぶ。と同時に、信じられない量の水がまるで狂える化け物の如く押し寄せて来たのだ!
 泥の味のする苦い水…人知を超えた理不尽な力に押し流されて、暗い孔の奥へ奥へと連れ去られて行った。



「おい、皆…生きているか?」
 どれ位時間が過ぎただろう。地震も鉄砲水も収まったようではある。
「私は…だいじょうぶです…」
「俺も」
 声が返って来て、暗黒の空間に光が灯った。…白き髪の魔術師が、魔法の灯りで杖を光らせたのである。傍らに少年も。流されたのか面布が無く闇にも黒い肌色が露になっている。
「俺も何とか生きているらしい…」
 戦士も頻りに頭を振りながら立ち上がる。
「けど、他の…坊ちゃん達は?」
 …ラグーも魔術師も蒼くなった。

 魔法の灯りを強く、数を多くする。ラグーの鶴嘴、戦士の剣にも光を与え、辺りを探る。水は引いたのか深さは踝程、場所によっては乾いてすらいるようだ。どうも、彼等の流された場所は広い空間となっているらしい。
「俺の記憶にゃこんな場所はねえな…」
 先の地震で出来た場所なのか。広過ぎて、たった三つの光源では照らし切れない。幸いにもそう遠くない場所に例の少女もバトラー老人も見つかった。老人は文字通り腰を抜かした様子のものの、少女の方は鎧の御陰かかすり傷程度の模様、顔色こそ真っ青だが足取りも思いの他しっかりしている。そんなこんなで多分、皆気が緩んでいたのだろう…
 突然、少女が驚愕する。
「あれは…闇妖精!?」
 シドが鋭い視線に気付いた時には遅かった。…先程の激流のために、面布どころか頭巾も頭布も取れていたのだ。丁度、魔法の灯りの下に入ってしまった少年の、黒い肌と長い耳が全員に見て取れる。
「お、お待ち下さい!」
 ラグーが止めるのも聞かず、少女が電光の動きで剣を抜く。
「貴様、邪悪の主め…貴様こそ民草悩ます敵、誓約に従い誅してくれるわ!」
「お、俺は…」
 驚きに眼を見開いた少年の喉元に、冷たい光を放つ白刃が迫る!


 滴の滴る静かな音がする。一同は声も出ない。少女も…凍り付いた様に動けないでいる。
「気は…済みましたか?」
 何時も通りの穏やかな声に、わずかに苦しげな様子が混じる。すっと、静かな眼で少女を見つめたのは…白き髪の魔術師。その腹部から広刃の剣が生えている。
「あ…」
 少女の腕から力が抜け、よろよろと離れて行く。魔術師はいつもの様に笑みを浮かべようとしたが…
「お、お師匠!!」
「おい、先生!!」
 崩れ落ちる魔術師に皆が駆け寄った。


 急所こそ外れたが、出血が酷い。少年が先刻使った血止めの薬草は全て泥水に流れてしまっていて、何か包帯をと思っても皆同じ濡れ鼠、裂いて使うにも乾いた布も無く。少年が死に物狂いで辺りを探ると魔術師の荷物が見つかって、その中に魔法で守られた袋を漸く見つけ細い布を取り出した。魔法によらぬ止血ならと、戦士が手際良く布を巻き、傷を抑えて…シドによれば、魔術師は血が薄いらしく固まりにくいのだと言う…どうにかこうにか血が止まった時には一同安堵とともに激しい疲労に襲われて、皆ぺたりと岩にへたり込んでしまっていた。

 とは言え、何もしない訳には行かない。
 術者が気を失っても魔法の効力は残る。ラグーや戦士が歩いて見た所によると、どうやら土砂崩れまで起きて出口も塞がれてしまったらしい。ただ、何とか空気の通り道程度は残っているようで、シドが風霊に命じて新鮮な空気を運び込み、酸欠で死ぬ危険はなさそうである。そのシドが精霊達に探らせた所によると、地震はほとんど鉱山だけで起きたらしく、外も地震による被害はほとんど無いらしい。ただ大水の方が問題で、例の初めに水浸しになった坑道付近から溢れて四本筋の蛞蝓が盛んに開けた横孔を足掛りに広がったらしいが、今だに流れは続いている模様。皮肉にも土砂崩れの御陰で奥に流れ込む筈の水が塞き止められていると言う。
 幸い巨大蛞蝓の現われる様子は無いものの、閉じ込められてしまった事は間違いなく、魔術師も苦痛の表情のまま眼を覚ます気配が無い。誰もはっきりとは口にしないのだが、下手をすればここから出られないかも知れないのだ。


 少年は一同に背を向けたまま、負傷の魔術師に健気に付き添っている。魔術師の顔色は酷く悪く、発熱も始まっている。…シドによれば、恐らく魔力の使い過ぎもあるのだと言う。そもそも一同があの大水の中、大した怪我も無く溺れもしなかったのは魔術師の御陰だとも。あの恐慌の中では無論呪文を唱えるなど不可能だが、上級の魔術師には『思念魔法』なる高度の技があり、どんな障害に依らず一瞬で完成する。だがその代償として多大な魔力を消費するのだ、と。…つまり恐ろしく命を削るのだ。
「済まぬ…」
 男装の少女が力無くつぶやく。
「私が浅はかなために…」
「全くだよ!」
 抑えていた物が弾けたかの様に、シドが立ち上がる。
「大体、あんたは何なんだよ!誓約だか何だか知らねえけど、周りを巻き込むなよ!一人で出来ねえような誓約なら誓うな!」
「な…妖魔が偉そうにほざくな!」
「何だと…!」
「止しなって!」
 まだら髪の戦士が、二人の間に割って入った。

「俺達、閉じ込められてにっちもさっちも行かないんだ。仲間割れしてる場合じゃないだろ?」
「仲間!?仲間と言うのは対等の者を差す言葉、この者は…」
「はいはい、そんなに力むモンじゃないぜ…お嬢ちゃん」
「え…?」
 男装の剣士が、少女の顔になる。戦士がにいと笑った。

「何故…それを…」
「そりゃ、判るさ!…お嬢ちゃんてさ、根が素直だからさ…嘘ついてると、何だか苦しそうに見えるぜ」
「そんな…」
「それにお嬢ちゃん、気付いちゃいないだろうが…無意識に髪をかき上げる癖があるよな。髪をいつも短くしている人間にゃ、身に付かない動作だぜ」
「ほ、本当か…!?」
「『アスラン』じゃない、本当の名前はなんて言うんだ?」
「…お前に言う必要はない…」
 戦士も苦笑する。
「よっぽど、事情持ちなんだなあ…けど、せめてその男言葉は止めたらどうだ?いつまでここにいる羽目になるか判らないが、はっきり言って体力も精神力も消耗する。余計な事で疲れる必要は無いさ」
「それこそ、余計なお世話…」
 ずるっと言う音が響き、一座に緊張が走る。
「ま、まさか…」
 少女ががたがた震え出し、一同が固唾を飲む中、音は一段と大きくなって…そして遠ざかって行った。
「ふー!どうも別の坑道らしいや」
 シドの言葉に少女も力が抜けた様に崩れ落ちる。…強がってはいるが、やはり心身ともに弱っているのだ。
「な?少し素直になったらどうだい?」
 戦士の口調は軽いが、声は優しく労りが込められていて。
「判ったわ…」
 少女の口から、初めて柔らかな声がこぼれてきた。

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(C)獅子牙龍児
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