決断の時


 一頻り白き笑った後、白き髪の魔術師は鉱山の地図を取り出した。皆、あの鉄砲水に流されたと諦めていたのだが、そこは周到な魔術師の事、他の地図も用意していたのである。それは魔法の地図で、彼等の通った道筋が尺度も方角も全く精密に描かれる実に便利な道具、ただし未踏の場所は白紙のまま、不正確ながら広く坑道を網羅した、別の安地図と組み合わせぬ事には役立たずだが。当然の様に羅針盤も持っていて、それは磁石を使わぬのに並の物より遥かに正確な不思議な代物であった。さらに全く魔術師らしい工夫も密かに行っていたのだ。
 あらかじめ坑道の入り口付近に用意した魔法の印を探査し、その距離と方向を正確に編み出し、例の魔法の地図を元に逆算して現在の位置を算出する。それと安地図とを突き合わせ、特に十かそこらの内から鉱山で汗水流して来たラグーが知恵を働かせ、漸くでおおよその場所が掴めて来た。
 ちなみに逆探知の魔法行使は、シドが師匠を思ってあんまり騒ぐために結局杖を借りた少年が執り行ったのだが、つまり見習いでも可能な軽い魔法なのである。かのおっとりとした眼鏡の魔術師は、昼行灯の様でありながら実に見事に魔法そのものばかりでなく、縦横無尽な応用に長けているのである。


 ガツーン、ガツーン…
 暗闇に力強い鶴嘴の音が響く。ラグーの岩壁を掘る音である。
 拙い地図から察するに、先に蛞蝓の這う音がした辺りに確かに坑道がある模様。ただし廃坑となって久しい代物で、とても安全とは思えぬが、ラグーが叩いて確かめてもシドの『透視』の魔法で探ってみても、少なくとも水が出ている様子は無い。
 魔術師が魔法での爆破を何度も申し出たが、シドは勿論あの娘まで顔色のいまだ優れぬ魔術師を気遣い、許さない。かわりにラグーが自ら申し出て、己の腕力に頼んで掘り破ろうとしているのである。
 既に、半時ばかりは過ぎている。

「あの…少なく見積もっても、一尋はあるのですが…」
「なあに、これしきってなモンさ」
 如何に屈強とは言え、鉄砲水何やら常とは事なる危難に遭って体力は流石に消耗している筈である。実際闇にも玉の汗が窺え、呼吸も少々荒い。
「…まあ、先生は休んでなって。いざとなれば俺が代わるからさ」
 シドが何か言う前に、まだら髪の戦士も言う。立ち上がるのも辛そうな魔術師を思い遣っての言葉であるが、同時に沈痛の面持ちの少女にいらぬ負担を抱かせないためでもある。魔術師嫌いの元凶もすっぱり断てた今、少女は白い魔術師を傷つけた事を心底悔やんでいるのだ…
 実際、魔術師の容態は予断を許さない。

 やはり先の刺された折に臓腑も幾らか害されたと見える。座って、岩壁に身を預け…本来なら横になるべきだろうが、それより寝たり起きたりの激しい動きで傷を深くする恐れもあった…動くのも辛そうである。一度、戦士は包帯の様子を調べて見たが、シドがさんざに騒いだ通り、血は止まり切ってはいなかった。
 それでも師匠思いのあの弟子が、少女を殊更なじる風を見せぬのは…一重に、此度の事態引き起こしたのが己に流れる闇の血故と思い詰めているからだろう。…痛々しい。
 魔術師の傷の具合に、少女の誓約。
(こりゃ、何が何でも大急ぎでやるしかねえな…)
 独り静かに思いを固め…坑夫の奮闘振りに眼を戻した。

 坑は極細い物だ。だが確実に深さを増し…魔術師の言う、「一尋」程にはなっている。
「よ…っし!あと、もう、一踏ん張り…」
 気力振り絞り、ラグーはさらに鶴嘴大きく振り降ろす。
 と…

「ぐえッ!?」

 勇敢な坑夫が慌てて飛び退く。
「来た!…四筋の奴だ!」
 警告が終わるや否や…ずざざと激しく音立てて、狂暴なる蛞蝓狭き孔より躍り出た!…鶴嘴の音に、全てがかき消され誰も接近に気付かなかったのである。

「畜生め!」
 戦士は剣をすぐさま抜く。坑夫も体勢を立て直してはいるが…相手の数は無数。多過ぎて取り合えずは将棋倒しとなり、録に動けずもがいているが、一体一体も大きく、また消化液の事を思えば近寄る事すら難しい。…今までは魔術師が動きを封じていたのだが…
 一同唇噛み締めた、その時。
「お、お師匠!?」
 健気な弟子の止める間も無く…。
「『雷撃招来(サモンボルツ)』!」
 瞬時の紫電!眼も眩む雷光が、虫の山を直撃した…!


「お師匠、お師匠!!」
「だい…じょう…ぶ…」
「だいじょうぶなもんか!」
 慌てて戦士達も駆け寄って来る。蛞蝓どもは一部は焼け焦げ縮み上がり、生き残りも痙攣するばかり…無論人間達に怪我は無い。
 そっと横たえられた魔術師の顔、今度こそ蒼白である。
「済みません…加減を、誤りました…」
「そんな事はいいだろ!」
 幾らか内側にいた蛞蝓達はどうやら生きてはいるようである。この火急の折にもこの魔術師は、ただ一行護るばかりでなくて蛞蝓達の止めを刺さぬよう…少女に手柄を譲れるよう…細心の注意を払ったに違いない。
「何度やったって同じ…」
 と、かちゃり音がして。はっとすると少女が蒼白の表情で立っていた。
(聞かれた…)
 シドも流石に罪悪感を覚えるが、魔術師の心遣いを幾度も幾度も無駄にされた事も忘れ難く。素直な謝罪も言えず黙っていたが…
 少女が歩き出した。ぎこちなく…蛞蝓に向かって。
「お、お嬢様!?」
「姫様!」
 慌てるバトラーとラグーを振り向きもせず、抜剣。いにしえの術者の儀式により、鋭い切れ味付与された魔法の剣が闇の中にも光を放つ。両手に構え…
 ビチョッ!
「きゃあ!!」
 突如束の間痺れも解けたか、山の中の一匹が音を立てて跳ね上がる。決意何処やら手も震え、恐怖に引き吊り後退り。
「嫌、嫌っ!こんな、こんな気持ちの悪い物なんて…」
 震える声。…見ている方も辛いと、シドですら思ったのだが。
 独り、終始無言で見守っていたまだら髪の戦士、やにわに魔術師の元に歩み寄るといきなりぐいと引き起こした。
「おい!?てめえ…」
「坊主は黙ってろ!」
 鋭い一喝。厳しい表情のまま、呆然の様子の少女に向き直り、蒼白の魔術師の着衣をはだけさせた。
「見ろ!」
「…あ…」
 少女の顔はさらに蒼ざめる。魔術師の包帯、鮮やかに赤い。…先の無理な魔法行使で、傷が悪化したに違いない。
 娘とは言え戦士である。想像以上に危険な状態と瞬時に判じた。
「嬢ちゃんは気持ち悪い、なんて暢気を言ってるが…この先生はそれ所の騒ぎじゃねえんだぞ!」
「わ…わたし…」
「嬢ちゃん!」
 怒気含みの声。少女の身体がびくり震える。
「いいか!これは元々あんたの問題なんだ!あんたが生きたまんま、汚い奴らに喰われるかどうかの瀬戸際なんだ!その蛞蝓斬らねえ事にはどうにもならねえぞ!」
「あ…あ…」
「その蛞蝓…動けなくさすだけで、この先生がどんな苦しい思いしたか、分かるのか!?人をさんざに巻き込んでおいて、自分で勝手に諦めるってのか!?」
「そ、それは幾らなんでも無礼な…」
「爺は黙ってて!」
 バトラーを遮ったのは少女だった。
「そうだわ…その人の言う通りだわ。自分で分もわきまえず勝手に無茶をした挙句、どんどん自分の首締めて…しかも、すぐ出来ない出来ないって騒ぎ立てて…」
「分もわきまえずって…姫様悪くありませんぜ!」
 慌てて坑夫も必死で少女を庇うが、当の本人は寂しく笑う。
「でも、本当よ。ただの護られるばっかりの、つまらない貴族の娘になんかなるもんか、一番立派な剣士になって皆を見返してやるって思っていたのにね…」
「じゃあ、今からでも遅くは無い。今から剣士になればいい!」
 戦士の声。ややあって…
「ええ…ええ!なって見せるわ!」


 剣、大上段に構え。…暫し眼を閉じ呼吸整え。明鏡止水の境地へと。妖虫動めく湿った音も、すべて思考の彼岸へと捨てやって…
 辺りの岩と同化した、少女の前で蛞蝓一体。ゆらり奇妙に立ち上がり、蛇の鎌首もたげるが如く不穏な姿勢。そのまま、頭をわずかに後ろに反らした。
(消化液が…!)
 一同思わず息を飲んだまさにその時、少女の両眼かっと見開いた!

 気合い一閃…!闇を切り裂く白銀の光。哀れ、例の蛞蝓先刻構えたその姿のまま、唐竹割りに切り裂かれて。
 魔力の剣の切れ味故か、暫しそのまま姿を保ち…ややあって音も無く二つに分かれ。
 そして。

 妖虫の山は見事に瓦解した。


 だが誰の顔にも喜びは無い。魔術師は…再び意識を失っていた。



「そーっとだぞ!そーっと、そーっと…」
「分かってる!少しは黙れ!」
 あの後さらに坑は広げてある。生きた人間が一人潜るには何とかなるが、絶対安静の病人の通路としては余りに狭い。ラグーとシドが先に向こうへ行き、戦士とバトラーが細心の注意を払って反対側へ送り込む。岩壁に擦られぬ様、無闇に体勢を変えぬ様、運んでやるのは難しい。
 包帯は既に代えてある。例の、泥水にも無事な魔法の袋には幾らか予備が残っていたが、魔術師の傷の様子から察するにこの先幾らも持たないだろう。いざとなれば誰かの服でも裂いて使うしかないが…強い酒も無い今、泥に汚れた布切れを、白い魔術師に使うははばかられる。

 地図と坑夫の勘だけを頼りに、不穏な廃坑を歩き出す。精霊使いのシドの方も、風霊を使って辺りを探るが、あまりに山中深いがために、多数を呼び出す事も難しく…また、魔法の灯りもそろそろ効力怪しく。
 一行の足取りはおぼつかない。


 誓約は、成った。
 だがこの場を逃れぬ事には…何の解決にもならないのだ。

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(C)獅子牙龍児
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