廃坑の中


 廃坑の中は思いの他整っていた。ラグーの話では相当の昔に放棄された筈が、要所要所の支えの材木もほとんど朽ちずに残っている。落盤の類も無かったらしく、足元も見事に平らである。
 ただ、かつては余程の鉱物を産したのか、桁外れに大きい。幅も深さもかなりのもので、ラグーのカンテラでも幾らも照らせ無い。元々の坑道に比べると、目立って空気も重く淀み、シドの得意の風霊も随分と動きが制限されるらしい。
 地図を見る限りでは方角上は出口に向かっている筈だが…先の地震を考えれば、とても楽観できる事態では無い。巨大蛞蝓は勿論、廃坑ともなればどんな魔物が住まうとも知れず…今度こそ、魔術師の助力を当てには出来ぬのに。
 仕方無しに、出来得る限り皆で固まって、黙々と歩き続ける事にした。


 随分と歩いた気もするし、ほんの少しの気持ちもする。…実際はその中間なのだろう。どう言う訳だか襲撃がぴたりと絶えた。とは言え…音の無い、闇に等しい代り映えの無い空間をただ歩き続けるは慣れた者でも相当辛い。
 そうこうする内に、壁沿いに腰掛けに成りそうな岩が幾つも続く場所に出くわした。よくよく安全を確かめた上で、適当な所で休息を取る事にした。

「…しかしなあ…嬢ちゃん、見直したぜ」
「え…?」
 戦士の言葉に少女の瞳が丸くなる。
「いや、こう言う訳の分からない所をひたすら歩くってのは大の男でもきついもんさ。なのに、随分足取りもしっかりしてるからさ!」
「そんな…」
 謙遜で無く恥じらう。…なかなか可愛い。
「だって、誰に対しても恥じぬ剣士を目指している人間が、こんな所で音を上げたんじゃ仕様が無いじゃない?」
「まあ、そうだがな…」
 少女の言う『こんな所』をもう少しばかり知っている戦士と坑夫は微苦笑するが、真の恐怖を知らぬが故としても令嬢育ちを思えば立派なものである。
「そう言やあ…気高さ、ってのも貴族の専売だからな」
「まあ…貴方、結構上手ね!」
 自然、穏やかな笑いが沸き起こる。どうと言う事も無い会話でも、口を動かしているだけで随分気分が紛れるものだ。
 ふと、戦士が違和感を覚えた。何時もなら会話の何処かで必ず茶々を入れて来る筈の、小妖精の声がしない。そっと、様子を窺うと…
「お、おい小僧!」
 生意気な筈の魔術師の弟子が、眼を見開いたまま小刻みに震えている。
「まさか…また、蛞蝓…なの?」
 少女がつい不安をにじませて言うものだから、戦士もにやり笑って茶化そうとしたが。
「ちがう…」
 別人の様に弱々しい声が響いた。

 ただならぬ様子に気付いてラグーも近寄って来た。
「おい坊主…どうしたってんだ?まさか、暗闇が怖いって訳じゃあるめェな?」
 闇妖精の癖に、とさして他意も無く付け加えたが。…少年の肩は撃たれた様にぴくり震え、眼には涙が浮かび始めた。
「怖い…本当に怖いんだ…」

「なんだ、おめェ…先生が起きてねえと駄目って訳か?こりゃまた甘ったれの弟子だなァ…」
 言う程口調は悪く無い。…妖精と言う事で、どうせ見た目に依らず相当の歳喰いだろうと皆思っていたが、この怯えようから察するに真実子どもであるらしい。となれば。…根が子煩悩な坑夫の声も幾分優しくなる。
 ところが「鬼の攪乱」は治まらない。

「俺…暗い所に独りでいると…思い出しちまうんだ…」
「思い出すってな、また何をだ?」
「お師匠に会う前…」
 短い台詞ににじむ意外な程の闇さを感じ取り、一同一様に押し黙る。


「皆…皆、俺のせいだ!俺の血が、俺の黒い血が…」
 少年が頭を抱え叫ぶ。固い岩壁に、悲愴な声が異常な程こだまして、胆の座った男達も流石にぎょっとなる。
「こら!落ち着けっての!」
「だって、俺に会ってからのお師匠はいつも危ない目ばっか見てるんだ!俺の…」
「おい、坊主」
 出し抜けに静かに呼ばれて、恐慌の主も毒気を抜かれた。まだら髪の戦士が、いまだ意識の戻らぬ白い魔術師を見ながら手招きしている。
「先生が何か言ってるぜ」
「え?」
 慌てて耳を近付ける。丁度その時、魔術師の唇が遠目にも判る程にはっきり動いた。

 …シド…

 確かに、そう聞こえた…


 シドは、力が抜けた様にぺたりと座り込んでいる。そんな少年の肩を戦士が軽く叩いてやる。
「そら、先生は寝てても不肖の弟子が気にかかるようだな…お前があんまり騒ぐと先生の傷にも触るぜ?」
 わずかに小さな間があって。こくり、微かに首が頷いた。

「ねえ…」
 ためらいがちに、少女も手にした食料を差し出す。
「貴方、あれからまるで食べてないじゃない?少しはお腹に入れないと…」
「お師匠と一緒に食う!」
「またそんな事…ね、食べなさいよ。お腹が空くと、気持ちもどんどん悪い方に行くものよ?」
「うるさい!」
「けど、本当の事だぜ?」
 戦士も同調する。
 …実の所、この少年は既に呪文も相当唱えているのだ。軽い魔法らしいが、それでも魔術の行使はかなり消耗する筈である。
「今の俺達で魔法を使えるのはお前だけだろ?先生に続いてお前まで駄目になったら…」
 『駄目』の一語に少年弾かれた様に反応する。慌てて語尾を濁した。
「その、風の具合を見るのもお前にしか出来ないだろ?」
「…けど、今は…全然…」
「…?どうした?」
「風の声がまるで聞こえないんだ!全然…変な重い風、立ち篭めてて、耳が痛い…頭、割れそうだ!」
「風が重い…だと?」
 初めは子どもの「駄々」でも聞いている様子だった坑夫が、突然立ち上がる。
「どうしたの?」
 驚く少女の応えず、無言のまま手近な岩の上にあったカンテラを手に取った。そのままカンテラをすっと地面に近付けると…灯りがふっと弱まった。再び上方に戻してやれば、明るさも元通りとなる。
「凄い!ねえ、今の何の手品?」
 無邪気に喜ぶ少女を他所に、坑夫と…瞬時に事態を見てとった、戦士の顔が険しくなる。
「手品でも何でもありやしません…こりゃ、質の悪い瘴気ですぜ」

「馬鹿に重くて、下からひたひた来やがる奴です。何の前触れもねえもんで、夜に坑で寝ててやられた仲間もいますぜ」
「そんな…」
「ま、まだ足元に溜まってるだけで、そう怖がりなさる事も…」
 そこで一同はっとした。

 真っ先に動いたのはシドだった。岩床に寝かされていた、白い魔術師の元に。…必死で助け起こそうとする。
 戦士もすぐにやって来た。シドに代わって容態を確認し、魔術師を背負い直す。
「様子は…どうなの?」
「俺にも何とも…取り合えず、呼吸はまだはっきりしてる」
 暫しの間とは言え、瘴気の濃い場所に寝かされていたのだ。弟子のシドがますます引き吊った様子になるのも仕方が無い。
「どっちとも言えないが…俺は急いだ方が良いと思う」
 戦士の言葉に、皆厳しく頷いた。


 相変わらず坑夫が先頭、後にバトラー老人、少女と続き、しんがりに魔術師を背負った戦士とシドと言う順だった。ふと気が付くと、半歩前を歩いていた筈のシドが戦士のすぐ傍にいる。
 少年の手の伸びた先を見て、思わず苦笑。
「確かに甘ったれだな…そんなに不安かい?」
 一同の眼が一斉に集まる。それにはっとした様子で、少年は慌てて手を引っ込めた。…恐らくは無意識に、魔術師の衣の裾をしっかり握り締めていたのである。
「そんなにからかわないで上げてよ。でも…本当に母親を追掛ける子どもみたいね」
 窘める端からつい笑ってしまう少女。だが…
「違う…お師匠とおふくろなんか、比べものにならねえんだ…」
 明るい所なら笑い飛ばせもしただろうが。…そうするには酷く重いつぶやきに聞こえた…


 気を利かせて、まだら髪の戦士が話題を変える。
「そりゃそうと、この坑ってのはどうしてまた捨てられたんだい?…俺も詳しくは無いが、まだそれなりに埋っている様に見えたぜ?」
 顎で、すぐ傍の岩壁を示す。
「このちょっと緑がかった模様の奴…ひょっとして蛇紋岩ってのじゃないか?」
「いやあ、全くその通りで!…あんたも随分物知りだなあ!」
「本当ね、貴族のしきたりにも詳しかったし…」
「いや、別に…好奇心の塊って奴でさ」
「違いねえ、そうでもなけりゃ好き好んで命懸けの墓荒しなんぞ出来ねえってもんだ!」
 一頻り笑う坑夫だったが真顔になる。
「しかし…俺も詳しいいきさつは何も。うちのじいさんの代にはもう誰も入らねえ事になってたらしいですが…」
「ねえねえ!わたし、前に物語で読んだわ。佳い石が沢山採れるのに、廃山になった鉱山の話…」
 不意に坑夫が顔色を変えた。
「ひ、姫様!今その話は…」
 だが話に夢中になっている少女は気付かない。
「その山ね、ゴブリンに攻め込まれてしまって…それで使えなくなってしまったって訳!」
「姫様…ゴブリンのいる所でゴブリンの話をするな、呼び込む事になるって、昔から言うもんですぜ」
「あら?ラグーったらそんな迷信を信じているの?」
 魔物の話をしながらおかしそうに笑う。どうやらこの少女、跳ねっ返りの武者らしく蛞蝓とゴブリンなら圧倒的に後者が平気らしい。
「だいじょうぶよ、ゴブリンならわたしが倒して上げるわ!戦った事は無いけれど、わたしの腕なら充分よ!」
 これには坑夫も苦笑せざるを得ない。

 皆、気が緩んでいたのだろう…


 不意に、声がした。
「誰の腕なら充分だって?」
 振り返る間も無く背後でごろりと奇妙の音。見れば…坑道の壁の一角、ぱかりと坑開きかすかに灯りが漏れている。誰も気付きもしなかったが、巧妙に偽装された通路があったらしい。
 身構える暇もあらば…隠し坑より一時に、複数の影ばらばらと。奇妙に緑がかったその姿、まさにゴブリンである。そして…
 矢を放つ。一斉に…!
「な…」
 不運にも矢面に立つまだら髪の戦士は、怪我人を背負うがために咄嗟に剣も抜けない。伏せて防げば後続に当る…瞬間、少女が射られて苦しむ姿が眼に浮かび、らしく無い程対応が遅れた。

 そんな戦士の脇を白銀の光が駆け抜ける。
「嬢ちゃん!?」
「伏せて!」
 魔法の剣が素早く抜かれ、気合い一閃!暗闇に白い軌跡が美しく舞い、電光の早業で矢がことごとく切り捨てられる。二矢、三矢と続くが皆同じ運命を辿って行った。
「ヒイ!」
 少女の凄まじい力量に恐れを成したか一人が思わず弓落とし、そのまま弾かれた様に背後の坑へと駆け出した。瞬時に恐怖が伝染し、ゴブリンの集団…およそ、10ばかり…が、一度に坑へと逃げ出した。
「待ちなさい!」
 少女が抜き身の刃もそのままに、連中を追って走り出す。その様子にさらに胆を潰した内一人、足をもつれさせて見事に転ぶ。仲間の窮地に残りも慌てて駆け寄るが…
「動かないで!」
 神速の動きで駆けつけた、少女の刃が怯える一人の首元にある。

「この腕で、不足かしら?」
「ひ…お、お助けを…!」
 恐慌の上に刃物を突き付けられてはただ震えるしか無い。仲間も連中も逃げる事こそ諦めたが、手に半端弓構え、己の射るのと仲間が害されるのとどちらが先かと逡巡する風。…そうこうする内に戦士達も集まって来た。
「胆が冷えましたぜ…」
「そうだよ!報酬未払いのまま勝手に死ぬなよ!」
 余程驚いたか、少年の毒舌も漸く復活。
「だってたとえわたしが失敗しても、貴方、風を扱えるでしょう?精霊魔法に『風の盾』ってあるじゃない?」
「ば、馬鹿野郎!話聞いてなかったのかよ!?風の声も聞こえねえのに、どうやって盾作らせるんだよ!」
「あら、出来なかったの?」
「だあ!変な事当てにするなよ!」
「でもどうせこの鎧なら刺さりようも無いし…」
「馬鹿、頭は剥き出しだろ?」
「だって弾道低かったもの…丁度、貴方の頭位かしら…」
「う、うるせえ!!」
「…その辺にしといて下さいや…」
 想像以上の少女の腕前に安堵しつつも苦笑する。
「まあ、確かに凄い腕前だったな、嬢ちゃん」
 と、これは戦士。何時の間にか魔術師を抱え直し、片手で得物を握っている。いざとなれば加勢する気でいたのだろう。…が、振り返った少年が眼を剥いた。
「おい!何だよそのぞんざいな扱いは!お師匠怪我してるんだぞ!」
「そりゃ、そうだが…お前、この非常時を前に、」
 喚き散らす少年に、剣を握ったまま器用に頭を掻く戦士。なかなか微笑ましい図ではあるが、時が時である。
 …待ちぼうけを食らわされた形のゴブリンの機嫌が眼に見えて悪化した。
「貴様ら…俺達を馬鹿にしてるのか!」
 一人が本気で怒った様子で、弓をしっかり構え直した。
「おっと!」
 坑夫が少女を庇う様に立つ。
「この青カビども!お前らも耳があるならよっく聞け!」
 『青カビ』の語に皆一様にひるむ。…実際、このゴブリンの肌には奇妙に細かい突起が生え、カビでも吹いたかの様に見えるのだ。
「俺の名はラグー、頭蓋砕きのラグー、西の村きっての坑掘りだ!」
 大見得を切って…大袈裟に過ぎて、少々滑稽な程…鶴嘴の柄で岩床を強く叩いて見せると、驚いた事に新たな恐慌がゴブリン達を包み込んだ。
「ラ、ラグーだって!?」
「何だってこんな坑に…」
 今度こそ浮き足立つ敵の様子に皆坑夫を見つめ直す。
「ラグーったら、随分な有名人なのね!」
「いやあ…それ程の事でも…」
 髭面でしきりに照れる照れる…が、そんな和んだ空気を別な声が消し去った。
「全くだらしねえ奴等だ…ラグー如きで腰抜かしやがって」
 坑から、さらに影が現われた。

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(C)獅子牙龍児
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