翡翠の頭巾


 ゴブリン達から歓声が挙がる。
「お頭!」
 他のゴブリンと比べると、抜きん出て大きい。体つきもがっちりしていて、身なりも他と異なり素晴しく艶のある緑の頭巾に縁どりの付いた上っ張りと心無しか豪華である。
「よう、ラグー。久し振りだな」

「てめえ…スカル!おめえがあれしきの事でおっちぬとは思わなかったが…やっぱり生きてやがったな!」
「おうとも…おめえにやられた傷がまだ痛むぜ」
 頭巾を外して頭を突き出す。…なるほど、遠目にも判る程の窪みが見てとれる。恐らくこのスカル、ラグーの『頭蓋砕き』の洗礼を受けたに相違無い。それで生きているなら大したものだ…実際、ゴブリン達も皆落ち着きを取り戻している。
「だがな、おめえも命が惜しけりゃ言葉には気を付けるんだな」
「何だと!?」
「そら!」
 いきなり頭巾を投げてよこすと、狙いすました様に坑夫の手にすぽりと収まった。遠目にも鮮やかな緑が見事であったのだが、近くで見ると虹色がかった不思議な輝きが眼を楽しませ、覗き込んだ戦士も思わず感心する。
「へえ?…連中にも随分と洒落っ気があるもんだなあ?」
 が。坑夫はそれ所では無く。

 緑の輝く頭巾を握ったまま、突如がたがた震え出した…


「どうしたの?」
 少女の案じる声にも応えもせず、引き吊った表情で頭巾を必死で投げ返す。受け取った方は、と言えば…さもおかしげににやにやしている。周囲の、他のゴブリン達も。
「ひ、翡翠頭巾だあ…終わりだあ!俺はもう仕舞いだあ!!」
「な、何だよおっさん!」
「山姫様の…御下賜の品…だのにうっかり触っちまった…」
「触ったらどうなるって言うの!」
「石になる…山姫様の御怒りで…緑の柱に変えられちまう…!」
 …生憎、こちらは『山姫様』なんぞ信じてもいない。そもそもちょっと触れただけで石化する、それもちゃんと選り好みするなんざ戯言も良い所、実際今の今だってラグーの石化の徴候は欠片も見えない。
 それでも、悲しいかな勇敢な坑夫にとっては全き真実らしい。

 急に頼りにならなくなった、がたがたのラグー。状況素早く見て取った戦士が瞬時に回り込み、剣を構えて威嚇する。
「ゴブリンの皆さんよ、笑ってる場合じゃないぜ?こっちには…」
 隣の少女を肘で突つく。ラグーの意外な慌てぶりに、幾らか力の抜けていた剣を再び虜の喉元に当てて。…その様子を片目で確認しつつ、戦士がたっぷりはったり聞かせて声張り上げる。
「忘れるなよ!こっちには人質がいるんだ!」


 たとえこのゴブリンをまるまる殺し尽くしたとて、自分に何の益も無い。…まず、出口を探さねば…
「お前らだって仲間は大事だろ?仲間の命が惜しけりゃ、おとなしくこちらの質問に答えるんだな!」
「へ、そっちこそガタガタの野郎抱えてだいじょうぶかい?」
 確かに。…今だに、震えも止まらずうずくまり、何やらぶつぶつ唱えているラグー。
「おい、あんた…いい加減にしろ!」
「仕舞いだ仕舞いだあ!ああ、俺も石の柱になるんだあ…!」
「…あんたな!そんな迷信、現に今だって何処も…」
 腹立たしさのあまり、敵前を忘れて振り返り、怯えるラグーを叱咤した…皆、そちらに注意が逸れたのだ。
「きゃあ!」
 甲高い金属音に少女の悲鳴。慌てて向き直ると…あの白い剣が地に落ちて、少女が手甲を押さえて痛みを堪えている。そして…折角捕えたゴブリンが、大慌てで仲間の元へと逃げ込んで行く。

 坑夫は、まだ震えている。



 ゴブリンの顔から怯えが消えた。皆、一様に弓を確と構えている。あの頭領格とおぼしきスカルとやらは、何時の間に手にしたか拳ほどの石を掌上で軽々転がしている。
「悪いな。俺の二つ名は、『飛礫のスカル』と言ってな」
「糞ったれ…!」
 おそらくラグーも常通りなら、当然警告して来ただろう。横では少女が努めて冷静に剣を拾う姿が見えるが、流石に顔は蒼ざめている。
 圧倒的に不利とは言え。…従容として死に赴くなんぞ真っ平だ。

「俺達を射ろうってのかい?…けどな、お前達の矢の方が先に尽きるぜ」
「…何だと?」
「さっきの、」
 顎で少女を差し示す。
「剣技、見ただろう?お前等が幾ら射ようが同じ事さ。一本だって俺達には届きゃしねえよ…賭けても良いぜ?」
 事実このゴブリンの射手の技量は低かった。構えだけは立派であるし、誰の指図か教練か、間違っても仲間を害さぬ様に定石通りの奇麗な隊列を組んではいるのだが、如何せん暗闇に住まう種族の悲しさで視力がもう一つ弱いのだ。
「言っておくが、俺達はもう何匹も巨大蛞蝓を倒しているんだ…四本筋の奴等を、な」
 効果を考え、じっくり間を持たせて。実際これは相当効いたと見える。スカルの片眉がぴくりと跳ねた。
「四本筋!本当か!?」
「元々俺達は鉄砲水で流されて、広間みたいな所にやって来たのさ。取り合えず外に出ようと坑掘りしたら、奴さん大挙して向かって来たモンで返り討ちにしてやったのさ」
 …どうもゴブリンにとっても凄まじい消化液をはく巨大蛞蝓は脅威であるらしい。連中の間にも動揺が走る。
「まさか…信じられねえ…」
「信じるも信じないも、俺達が殺ったのは確かだぜ。魔法で焼いた上にぶつ切りにしてやったさ。…疑うなら見て来いよ」
 スカルも幾分考え込み、手近な仲間に命じて様子を見に行かせる。…ゴブリンにも早足がいると見え、存外大して待たぬ内に斥候達が帰って来た。
「お頭!ほ、本当でしたぜ!墨になっちまったのが十かそこら、生焼けのはその倍位…後は切り刻まれてどうにも数えようがねえでやす!」
 泡喰っての報告に、スカルもさらに沈思…


「成る程、ここで始末するには惜しい腕だ」
「ヘ、良く言うぜ!お前等も消し墨にしてやったって良いんだぜ?」
「威勢が良い若僧だ…だがよしんば俺達に勝ったとて、道も何も判らねえだろうに」
「…!」
「『おとなしく質問に答えろ』…確か、そう言ってたな?」
 背中を冷たい汗が流れ落ちて行く。

「…別にお前等に聞くまでもねえよ!俺達には地図もある!」
「病人連れてうろうろかい?」
 ゴブリンの抜け眼の無い眼は確と戦士の抱える魔術師を捕えている。…事実、時間は無い。
「先達て蛞蝓焼いたのもそいつだな?魔法使いがぐったり延びてるってのに、どうやって俺達を燃そうってんだ?」
(くそっ…)
 何とか優位に立ちたいが存外このスカルと言うゴブリン、弁も立てば頭も切れる。些細な挑発に乗る口では無い。話が長引きすぎて、射手の構えがすっかり下がってしまった事だけがかすかな救いである。
 しかし。スカルも慢心はあったのだ…

「もっとも、」
 余裕めかして、変わらず片手で石を弄びながら…殊更質の悪い笑みを浮かべつつ。
「そんなひょろっこいインチキ野郎なんざ、覚めても大した役には…」
 台詞の語尾は鋭い風切り音にかき消された。

 …鋭い刃がスカルの頭上を掠めたのである。


「お師匠が、何だって?」
 常とは異なる冴え冴えとした響き。あまりの低さ冷たさに一瞬誰の言葉か判らなかった。
「こっちにはまだ二本ある。…右眼の分と左眼の分」
 一体何処から取り出したのか…シドの手には短剣が確かに二つ握られている。災難続きでいい加減おかしくなる程煮詰まっていた少年の瞳は、既に異様な輝きを灯し…
 間違い無く、本気だ。

「わ、悪かった」
 破れたのは頭の皮一枚、それでも胆は冷えたと見える。いきり立つ仲間を宥め…あの先の腕前から察するに、未熟な射手がシドを射抜くその前に、スカルの両眼が潰れると恐れたに相違無い…少々態度を変えて向き直る。
 そこで相手をしげしげ眺め…弁は立つともやはりゴブリン、視力の方は大層弱い…漸く少年の『正体』を見て取った。
「こりゃ驚いた!闇妖精じゃねえか!」
 少年の肩がぴくり震える。…もっとも、ゴブリン達は機嫌が良い。
「おめえ、何でまたそんな所にいる?こっちへ来な、俺達おめえなら仲間に大歓迎だぜ?」
 笑顔で、腕まで差し伸べられ。…シドの顔が今度こそ引き吊る。
「うるさい!俺は…俺は…」
「悪いが、」
 力強い腕が後退る少年の肩を掴む。はっとして見上げれば…まだら髪の戦士。
「こいつは俺達の仲間だ。…お前等が何抜かそうが、なびきゃしないぜ」
 はっしと見据えて。…力強く。

 このやり取りがあるいは一等効いたかも知れない。射手達も幾分そわそわし始める。
「お頭…」
「…ま、仕方ねえな」
「と、言いやすと?」
「事情持ちとしても闇妖精の子どもなんぞを始末するのは寝覚めが悪い…その仲間をどうこうするってのも、な」
「ま、まさか…お頭!?」
「こいつら、見逃そうって言う…」
「勘違いするんじゃねえ、ちょいと今だけ休戦ってえ事だ!いいか、俺達猫の手も借りてェ位だぞ?せいぜい恩を売って利用してやるのさ」
「へ、つまり虜って事かい…けどな、俺達だってそう義理難くは無いぜ?勝手に逃げ出されたらどうする気だい?」
「…全く減らねえ口だな」
「生憎生まれつきでね」
「そうかい、そうかい…だがこれだけは教えといてやる」
 ぎろり。戦士を睨み付ける。
「お前ら、どの道この鉱山(やま)からは出られねえぜ?」
「…何だって!?」



「この坑道…随分な前の取り決めで俺らの領分にしたんだが、のこのこやって来る不届きな人間どもが多くてな、入り口はとうの昔に潰してある。地図ではどうだか知らねえが、このまま進んだって行き止まりだぜ?」
「な…」
「信じねえならここらで勝手にしな。だがな、あの山崩れより前から、ここらはえらい事になっちまってな。正直…俺達だってもう何日も外にゃ出られねえ有様さ」
 戦士達を絶望が包む。もし真実閉じ込められたのなら…全てが終わり。
「もっとも…お前等がな、出口塞ぎやがった野郎をどうにかするなら話は別さ。死にたくなけりゃ、ついて来い」
 皆で顔を見合わせる。ゴブリンの話を何処まで信用するべきか…だが真実だとすれば他に策も無く。
「ついで言うならな、この坑にゃ毒があるんだが…」
「ああ、知っているぜ?下の方に溜まっている奴だな」
「ほう、気付いたって訳か。だがな、今はこの程度でも…まだまだ流すからな、じきにお前ら息も出来ねえ様になるぜ?」
「な…毒を流すだと!?」
「ああ。特に、」
 顎で戦士の抱える魔術師を示す。
「その病人なんざ、あっと言う間じゃねえか?」
「止めろ!止せよ!お師匠が何をしたってんだ!」
「ああ坊主、別にお前の連れ達が俺達ゴブリンの言う通りに動いてくれりゃあ悪くはしねえよ。こっちには薬師もいるしな」
「ほ、本当かよ!?」
 完全に術中にはまっている少年を見て、戦士と少女は顔を見合わせるしか無い。

「異論はねえ様だな?」
 じろり、一同を見渡して。ついでに軽い飛礫をいまだ恐慌のラグーに投げつける。
「いてェ!」
「はは、そら痛むってのは生きてる証拠さ。どうだ?禁断の『石成り頭巾』を触った感想はよ?」
「ひいいいい!止めろお!」
 スカルの台詞に恐怖をまた新たに。坑夫の、あまりな腰抜けぶりにゴブリン達がまたも笑い転げる。
「まあ、そう悲観するな。ラグー、お前自分の手を良く見てみろよ…まだ何処も生身のまンまだぜ?」
 言われて。恐る恐る、と言った風で己の腕を確かめる。何度も瞬き繰り返し、幾度も見返し…漸く無事を確かめたようだが、それでも納得行かない様子。
「死んだ婆さんは…触れたら最期、刹那も待たずに瑪瑙柱に成るって言ってたんだが…」
「ああ、俺が先達て見た奴はよ…悲鳴を上げようと口を開いたまでは良かったが、声を出す前に固まっちまったな」
「うわあああ!仕舞いだ!俺はもう…」
「落ち着けって、『頭蓋砕き』の二つ名が泣くぜ?…いいか、死んだ奴らは皆、触れるや否や固まった…だが、お前はどうだ?」
 おかしげにラグーを見やる。
「この頭巾は山姫様の贈り物だ、あのお方が勿体無くも御自分で作りなさった代物だ。…それが、触れただけで誰彼構わず石にするほど惨い物の訳があるめえよ!」
「…じゃ、じゃあ…」
「ああ、石に成った奴らは特別姫様の御怒りを買った連中ばかり…良かったな、ラグー。おめえは随分と覚えもめでてえようだぜ?」
 やっとの事で、己の無事を漸く理解し…放心のままラグーは半ば崩れ落ちる。戦士も苦笑せざるを得ないが、『頭蓋砕き』の二つ名を身を以って知っている、ゴブリン達にはさぞかし見物であったに相違無い。
 実際スカルは今一度高らかに笑い…そうして真顔に戻ってまた言った。

「ついて来い。…ぐずぐずするな、ここらもじきに毒が濃くなるぜ」

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(C)獅子牙龍児
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