洞窟の怪婆


 実の所、ゴブリン達には随分と不安があった様だ。例の隠し通路に入る時も何人かがスカルに翻意を試みたし、歩きながらも不安の声は何度も出た。とは言え、スカルがその都度何事か言い、それで全てが治まった。…随分と信頼されていると見える。
 落ち着きを取り戻したラグーによれば、あの頭巾は『山姫』…この鉱山の隠れた、そして真の意味の『女主人』…の格別の恩寵で、滅多に見られる物では無いらしい。実際、以前ラグーが戦った折りには別段身には付けていなかったようだ。
「見ない間に…あいつ、出世しやがって」
 あの頭巾は『山姫』直臣の証、鉱山の相当の富を自由に出来る身分なのだと言う。そして、触ればたちまち石と化すとまことしやかに言われていたとか。
 とは言え。…あの、ラグーの慌て様。全くの出鱈目では無かったにせよ、また坑夫の当然の性分としても、迷信深過ぎるのは考えものである。



 ゴブリンの住処は流石に灯りも少ないが、真の闇には程遠く、互いの顔を判じるにこれと言って不便は無い。ゴブリン達が幾人も傍を通り過ぎるが、意外な事に…あるいは少々腹が立つ事に…一同を見るや否や、化け物でも見たかの様にきゃっと叫んだり逃げ出したりしてしまう。ラグーの話でも、大概のゴブリンは小心者で、またスカルもゴブリンとしては一応『真っ当』らしい。つまり不意討ちされる心配は無さそうだ。
 その上思いの他片付いてもいて、皆それなりに寛いでいた。…一人を除いて。


「ねえ…今、他にする事も無いし、やっぱり何か食べたら?」
「いい!」
 白い魔術師は粗末な寝床に横たえられていた。何かの毛皮を重ねた物で、柔らかさは充分だが見た目は随分みすぼらしい。その寝床の傍にシドはずっと張り付いている。
「あの野郎…何処行きやがったんだ!お師匠、こんなに真っ白な顔してるのに…」
 スカルは薬師を呼びに行く、と言った切り戻って来ない。シド程では無いにせよ、皆不安は募る。
「大体、こんな所に本当に薬師いるのかよ…毒でも盛ったら承知しねえぞ!」
「…ほ、ほ、毒を盛らすは誰ぞかね?」
 突如。…嗄れ声が割り込んだ。


「誰ぞね誰ぞね?毒を盛らにゃならんのは?」
「婆様、許して下され。連中婆様の腕を知らん訳で…」
 スカルが苦笑しながら案内して来たのは…『凄い』と言う他無い、恐ろしく歳を喰った老婆であった。

 腰は勿論曲がっている。土気がかった緑色の、染みか何かの様に所々濃い薄いのあるその顔は皺の上に皺が刻まれ、茸か何かの如き巨大な疣があちこちにょきにょき生えている。頭はほとんど禿げ上がり、顎には何と髭まで見える。歳と共に伸びる物なのか、他のゴブリンより遥かに長い両の耳が頬の辺りにだらりと垂れている。ついでに鼻まで奇妙に長く、顎の辺りに達していた。無毛に近い顔の中で、唯一ふさふさな眉のしたからぎょろり眼光辺りをねめ回している。

 皆がいささか圧倒されて動けぬ内に、老婆はさささと負傷の魔術師の元へと行く。

「わ!何すんだよこの婆ァ!」
「何するもどうするも無い、婆は薬師じゃて、まずは見立てが必要じゃて」
「って、何で隠し探ってンだよ!普通は脈でも取るもんだろ!」
「ほ、坊もなかなか威勢が良い…じゃがの、婆程の歳ともなれば他に楽しみあるでも無し、魔術師ならば珍奇な物をば持ち歩くに相違無し…宝探しも罪にはなるまいて」
「馬鹿野郎!勝手ほざくんじゃねえよ!」
 慌てるシドを尻目に老婆が恐ろしく手早く装備を探って行く。止めに入る少年を適当にあしらいつつ、変わった小物を見つけては顔に付く程近付けて、しげしげ見つつ楽しげに評していた老婆だったが…
「ぬぬ?これは何ぞ?」
 急に眼の色豹変…小さな、不思議な円板状の物を取り出した。
「あ…それは…」
 シドが慌てて取り返そうとするが、老婆一歩早く。己の懐より別な何かを取り出し…互いを掲げて食い入る様に見比べる。
「まさか…」
 ラグーとバトラーもはたと思い当る。あれは、白き魔術師の…思わず口に仕掛けたが、少女を思い辛うじて留まる。
 しかし老婆の興奮治まらない。…両手はぶるぶる震え出し、額には筋がぶくぶく浮き上がり、眼はたちまちに血が走る。
「おのれ…アコニトゥムじゃ!ありったけのアコニトゥム…生でも良い、鳥兜を持って参れ!」
「ば、婆様!?」
「こやつ真に毒を盛っても足りぬ程じゃ!今すぐ殺してくれよう!」
「な…何言ってんだよ!」
「咎人ぞ咎人ぞ!他は騙そうとも婆の眼(まなこ)は見通すぞ!この者こそ此度の凶事の大元凶、蛞蝓ばらを送り込んだ極悪人!」
「送り込んだ…?」
 少女の顔がはっとなる。

「ま、待って下せえ婆様…」
 事情を知らぬスカルとしては慌てるしか無い。それでも何とか宥めにかかる。
「俺には良く判りやせんが、一体全体何を証拠に…」
「これじゃ!これが証拠ぞ動かぬ証!…蛞蝓の奴らはこの魔力の『扉』より送り込まれたのじゃ!…蛞蝓の群れの中より拾い上げた、こちらの『扉』とぴったり対、これより上の証左があろうかの!」
 どかりどかり、腰の折れ切った身でよくも…と言う程床踏み荒す。怒りはますます凄まじく、湯気濛濛と立ち上るのも恐ろしい。
「あの蛞蝓どもが不始末で、どれ程我らが苦しんだか…婆が今すぐ息の根止めやろうぞ!」
 手にした杖を、かっと振り上げ…鋭く振り降ろした!
 …シドは咄嗟に身を投げ出した…

 カーン!
 鋭い音響く。シドが驚き眼を開くと、身体の何処にも痛みは無い。恐る恐る振り返ると…
「退け!小娘!」
「いいえ!お願い、話を聞いて!」
 少女が剣で杖を受け止めていた。…蒼白な表情で…

「お婆さん、わたしの話を聞いて!」
「聞く耳持たぬわ!」
「仕方無いわね…それなら、」
「ぬ!?」
 勢い良く、老婆の杖を弾き飛ばす。これには老婆も胆を潰し…後で判じた事なのだが、ゴブリンらしく老婆の腕力は相当なものであったのに…そのまま腰まで抜かしてしまった。
「ご免なさい、乱暴をしてしまって。でも聞いて下さい…」
 少女の顔は真摯で…相変わらず蒼白い。
 少女は充分賢かった。魔術師が自分のために何をしたのか気付いたのだ…
「この人には罪はありません。責めはわたしが負うべきなのです…」
 静かに、語り始めた。



 事をあらかた語り尽くすと、老婆も幾分落ち着きを取り戻したかに見えた。
「成る程、事の次第はようく判った。じゃがの、それで罪が消えるものでも無い」
「ですから!罪ならわたしにあります!償いはします、蛞蝓全部だって退治しますから!」
「今更遅いわ!蛞蝓なんぞは物の数では無い!」
「え?」
「こやつ…若白髪の不手際がため、おぞましき化け虫が目覚めたのじゃ!」

「蛞蝓風情に頭がある筈も無い、きゃつら無闇滅法に穴掘り穴掘り…挙句、やっとで封じた『封印』が奇麗さっぱり消えおった!」
「ええ!?」
「とんでもない事じゃ。山姫様が御命削ってやっとで封じたあの怪物、それがまたぞろ眼を覚ましおった!ああ口惜しい、山姫様が常通りであらば軽く退治て下さる所じゃが…」
「そんな…」
「しかもほんに腹立たしい、無駄に増えた蛞蝓ども、皆揃って化け物ばらの滋養となりおった!」
「…!」
 確かにあの二本筋、妙に何かに怯えていた。
「せめてせめて八つ裂きにでもせねば婆の気も済まぬ、山姫様にも会わす顔が無い!」
 叫ぶや否や杖で以って少女剣ごと跳ね飛ばし、老婆と思えぬ速さで魔術師に襲いかかる。
「婆様!」
 スカルの制止の声すらまるで届かず。老婆の眼がくわっと見開き、耳まで裂けた口がぐわり広がる。…掛け値無しの、本気の殺意…
 シドは必死で魔術師の上に覆い被さる。小柄な身体では幾らも護れぬが…
「除け、小僧!」
 さらに絶望的な事に。老婆の凄まじい腕力に、あっと言う間も無く引き剥がさた。

「は、放せ!お師匠は悪く無い!」
 多分逆上の老婆の事、邪魔なシドをそこいらに放ってしまう気でいたのだろう、けれど子どもがあんまり暴れるものだから流石の老婆も面喰らい、毒気を抜かれた顔をした。騒ぐシドをまじまじと見つめ…結局それが良かったのだ。
 老婆の眼(まなこ)が今度こそ、驚愕に大きく開かれる。
「これはしたり!お主、闇妖精ではあるまいかね?」
「い…今頃気付くなあ!」
 とは言えシドお得意の抗議の叫びも今は弱い。何せ、この老婆…暗闇の種族だけあって眼が弱いのか、例の凄まじく長く疣だらけの鼻を付けんばかりに近付けて、引きつる子どもをひたすら嗅ぎ回るのだ。これはシドで無くとも心臓に悪い。
「ふむ、気付かぬのも道理、ちと匂いが薄い…由緒正しき闇妖精の匂いじゃが、どうやら血筋は半分ぞね」
「貴方…半妖精だったの!?」
 妖精と人間の混血は世を見渡せば少なく無いが…闇妖精と人間の混血などあまりに稀少。とは言え老婆にとっては半分でも闇妖精の血が混じる事実の方が大事と見える。
「何で脅されたか知らぬがの、婆なら大概の魔法は解けるで安心せい…」
「な…違う!お師匠は脅かしたりも魔法で縛ったりもしない!」
「婆様、別段こいつらに捕まってた訳じゃあねえようです」
 ほっとしたようにスカルが続ける。…確かに敵の坑夫にまで『真っ当』と言われるだけあって、助ける(正確には助けて助太刀させる)と言った手前、命だけはなんとしても取らせたく無いらしい。ついで今も昏々と伏せる、魔術師を見て言葉を継ぐ。
「それにそいつの弟子だって話で…事情は知りやしませんが、事の発端とは言え闇妖精の子どもを世話してるって奴を殺すってのは…」
「ふうむ…」
 唸りつつも老婆は随分丁寧にシドを地面へと降ろしてやった。ゴブリンとシドの種族は勿論違うが、人間と違って彼等と闇妖精は親しき友である。むしろ敬意を払われていると言って良い。
「世話所じゃねえよ!お師匠は俺の命の恩人だ、今の今だって俺を庇ってこんな大怪我しちまったんだ!」
「違うわ、その子のせいじゃ無いわ!だってその傷はわたしがその子を斬ろうとして…」
「何じゃと!?」
 しまったと、皆が思った時は遅かった。ぎりり、一度は緩んだ筈の空気が一変する。
「何と顔に似合わず悪辣な事じゃ!年端も行かぬ子どもを…」
「あ…」
 先刻の勢いは何処やら、凄まじくぎろりとねめつけられて少女はまるで色も無い。慌てて戦士が駆け寄るが、それより素早い者がいた。
「婆さん!山姫様の名にかけて…頼む、こっちの話も聞いてくれ!」
 ラグーがやにわに飛び出したのだ。


 実直な坑夫は固い地面に額擦り付け、決死の覚悟で少女の命乞い。
「な…何じゃこやつは!?」
「西の村の『頭蓋砕きラグー』ですぜ…婆様、話位は聞いてやって下さいや」
「ふむ…ラグーと、な」
「俺の顔に免じて、頼みます」
 不思議と…坑夫自身もいぶかる程、ラグーの名を聞き老婆の表情随分和らぐ。何よりスカルが必死で宥めるのも奇妙と言えばかなりの奇妙。…どうやらこの坑夫、己自身の自覚を遥かに超えてこの『界隈』では評判が高いらしい。
 それはそれ、とにもかくにも皆の命が先決だ。

「そもそも蛞蝓無闇に増やす羽目になったのは俺達坑夫のしくじりだ、姫様のせいじゃねえ!」
「今更何を庇い立てするのじゃ!全てはその我がまま娘の腹立たしい誓約がため…」
「その誓約も姫様が俺達坑夫のためにされた事なんだ!」
「何…?」
 さっと、アーシェラの顔色変わる。
「駄目よラグー!その話は絶対秘密の約束でしょ!」
「いや言いますぜ!姫様を『我がまま娘』なんてけなされ、黙って引き下がりゃあ男が廃るってモンです!…婆さん、言っておくが姫様があんな誓約なさる羽目になったのも、全ては俺達坑夫の餓鬼どもを、助ける一心でなされた事だ!」
「な、何じゃと!?」


 話は一年程前に遡る。
 既に剣士としての技量を高めていたアーシェラは例によって家出同然に飛び出して、供も付けずに武者修行の忍び旅の道中であった。無論、如何に少女が無鉄砲とは言え他所の地権を荒す様な愚は犯さず、ひたすら伯爵領内を巡っていたのだが。そんな折も折、偶然ラグーら坑夫の村へと立ち寄ったのである。
 如何に身分を隠そうと隠し切れるものでは無い。朧な話とは言え、伯爵家御当主の孫姫様は大変な武芸好きの勇ましい御方だ…と言う噂は辺境にまで届いたのだ、たちまち少女の身分は明らかとなる。
 村人達は驚いた。何せ、相手は雲の上同然の御方、もてなそうにも家はむさ苦しく物は貧しい。上から下まで大騒ぎと相成ったが、アーシェラは武人らしく不便も全く構わない。村人達と同じ食物を飲み食いし、ともに寝起きし…飾らない少女の人柄にやがて村人も打ち解けて、あたかも旧来の知己の如く親しく交流するに至ったと言う。
 だがそんな平和も束の間、恐ろしい事件が起こる。
 それは…伝染病…

 少し離れた小さな村で三人兄弟が一度に倒れたのを皮切りに、野火の如く凄まじさで病は辺りを覆い尽くして行く。親兄弟が必死に看病しても、小さな子ども達はほんの七日であの世行き。人々が右往左往する会いだに、それこそ高潮が陸を洗う様に病が押し寄せて来る。
 そんな中、アーシェラは必死で家々を飛び回ったと言う。この病は確かに育った人間にはまず移らないが、患者は皆、身体中から膿を出し続け薬草師も逃げ出す程の悪臭を放つのだ。そんな中、子どもの方が高い熱で余程苦しかろうと、贅沢に慣れた貴族令嬢とは思えぬ親身さで哀れな子ども達を看病し続けたと言う。
 だが、人の力には限界がある。アーシェラの必死の看病も延命でしか無く。かと言って、如何に伯爵家の人間とは言え十代の娘に大量の薬を融通する財力も無く。…思い詰めた少女は、とんでも無い行動に打って出た。
 家人に無断で、なんと伝来の家宝を質に入れたのだ。『大蛇の緋眼』と呼ばれるその紅玉は輝きも見事なら大きさも大人の頭程、当然莫大な金額が手に入り、薬を得て村の子ども達は辛くも助かったのである。
 だが問題は伯爵家、アーシュラは預り知らぬ事であったが、その宝玉こそは王より直々に下賜された、王家と伯爵家にしかない類稀なる秘宝であったのである。それも、少女がかねてから憧れていた、先祖の竜殺しの武勲故の褒美とか。アーシュラが蒼白となる中、王族方が各地視察を志し、間の悪い事に伯爵家へ逗留する事態に相成ったのである。
 もし、かの宝玉の質入れ露見すれば万死に値する大罪…いや、お家断絶も免れまい。そんな窮地に立たされたアーシェラに救いの手を差し伸べる者が現われ、何と例の宝玉を買い戻してくれたのだ。アーシェラが感謝の涙を流したのは言うまでも無い。…が、それがそもそも罠だったのだ。

 秘密を盾に強引に、本当に強引に縁談を持ちかけられた。
 そして。家名に傷の付かない最後の手段、また上流の人間であれば命より重んじるべき『誓約』を持ち出したのだが…唯一『誓約』に勝る『王命』で対抗されては…


「…呆れた娘っ子だ!」
 言葉よりは遥かに感嘆を込めてスカルも唸る。他も…特にバトラーなぞは青くなったり赤くなったり汗まみれ。恐らく少女が坑夫達を気遣って、今まで全く聞かせなかったものと見える。
「そうだ…皆、俺達の力不足のためだ。俺達に、金があったら姫様こんな目には…」
「ラグー何を言うの!それを言うならわたしも同じよ、わたし自身にもっと力があれば…」
「そんなにたけえ薬だったのかい?」
「薬屋の野郎が吹っかけやがった…たとえ領主様がおいでになったて、ほんの数人分買えるかどうかって所だぜ」
「何とまあ強欲な事じゃの」
「それに…一刻の猶予も無かったんだ。俺の子も、熱を出して六日、ちょっとでも薬が遅れたら冷たくなってる所だった…」
 ラグーは固い地面に額を擦り付けて頭を下げている。ただ老婆への嘆願がためでは無く、少女への感謝の念と罪の意識がそうさせる…一同はラグー達坑夫の、アーシェラへの忠義の理由を今初めて知った。

「見ず知らずの餓鬼のために…」
 スカルがゆっくり瞬きする。元がゴブリンだからとても様にはならないが…
「頼む!後生だ、助けてくれ…」
「お師匠も!…傷だってまだちゃんと塞がらないんだ!」
 逡巡する老婆へ向かってラグーとシドが畳み掛ける。…かなりの時間の沈黙の後、老婆が漸く口を開く。
「…判ったぞい」
「婆さん!」
「本当かよ!」
「じゃがの、婆は只では助けぬぞ。相応に働いて貰わねばの…」
 老婆は、静かに己の患者に近付いた。

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(C)獅子牙龍児
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