巣穴の中


 最初、大騒ぎしたのは彼である。無理も無い、得体の知れない『ゴブリン婆あ』が汚れだらけの器に奇怪な臭いの草々を入れ、ぐちゃぐちゃにこねまわし…挙句自分の唾まで入れて薬にしようとするのだから。それが此の地流儀だと、幾ら言われても我慢出来ない。
「お師匠の口にこんなモン、入れられるか!」
 本人は無自覚だが親馬鹿ならぬ弟子馬鹿振り、流石に闇妖精贔屓の老婆でさえも堪忍袋の尾が切れた。
「ええい、小犬の様に煩い小僧じゃ!」
 …と言っても重病人を投げ出した訳では無い。

 せっかく製した薬をまずは捨て置き、驚く皆の目前でやにわに包帯皆剥ぎ取り…傷口に、皺まみれの手を直にかざして何事かつぶやき始めた。
「おい…」
 何をする、その言葉は危うく飲み込んだ。間も置かずに老婆の濁った緑の手から、眼の覚める様な美しい光か溢れ出したからである。
「貴方は…神官なの…?」
 光は確実に深手を癒している、それは間違い無く現実だが。ゴブリンの神官なんぞお伽話にも聞いた試しが無い。
「う、嘘だあ…妖精が光の魔法なんて…」
「…妖精の癖におかしな事を言うの…」
 漸くにして治癒の奇蹟をなし終えた、しわしわの癒し手がくくっと笑う。

「事情は知らぬが…坊は人間暮しが長いと見える。そんなに婆の魔法が珍しいかの?」
「珍しいも何も…連中は妖精と見るだけで狩り立てる位じゃないか。それが選りにも選って神官に、なんてさ…」
 少女達も大きく頷く。少女も信じる光明神、遍照大君は妖精を酷く嫌っている。それ故信者にとって妖精狩りは、特に闇に属する妖精達を狩り出す事々は半ば神聖義務と化している。その意味では少女がシドに取ったあの態度も、あながち極端では無い。
 ところが老婆は呵呵と笑う。
「まあ無理もあるまいよ、人間の魔術師如きが師匠ではの…」
「おい!お師匠は博覧強記の天才だぞ!」
「人間にしては、じゃろ?現に弟子の坊は婆の技風情で胆を潰しておる」
「な…」
 自分の無知が、師匠の責とされるなんて。理不尽と同時に自分がまだ半人前、魔術師の庇護化にある事を思い知らされる。
「でも…でも!俺はまだ弟子になって三年だから!まだ習って無い事一杯あるんだ!」
「三年?あら、それまではどうしていたの?」
 少女の他意の無い問いかけ…だが問われたシドは固くなる。
「俺は…戦争っ子なんだ…」

「戦争っ子?なあに、それ?」
 武人とは言え深窓の育ち、少女は明るく無邪気に重ねて問う。
「嬢ちゃん…それ以上は聞かない方がいい」
「え?どうして?」
 戦士の気遣いもアーシェラには通じない。シドもちょっとばかり苦笑する。
「いいさ、別に。俺の故郷ではざらだったんだ…」


 戦争っ子。それはまさに戦争の落とし子である。
 戦が起きる。荒んだ兵士がやって来る。軍が人里で無闇に徴発しながら通り過ぎ…それから十月十日。父親不明の赤子がそこここで産まれ落ちる。
 気紛れの恋の産物ならまだ許せよう。だが軍隊が徴発するのは何も物ばかりでは無い…正式な命令書こそ無いが。
 土地が土地なら自害する娘も多かろうが、生憎その一帯では赤子もそれなりに貴重だった。冬の寒さがたたるのか、十数年おきに恐ろしい疫病流行り子どもが倒れ…育つ者は少ないのだ。進んで身を任す様な娘がいない事なら誰でも承知、それに『事件』も多過ぎるのだ、悲しい『慣れ』も手伝って、戦争っ子も産んだ娘も他の者とさして変わらぬ日常を送っていた。
 だが。その赤子が…人間以外によってもたらされたら?


「俺がちっこい時は…周りも煩くなかった。その頃はこんなに黒くなかったし…」
 むしろ冗談の様に太って鈍重で、『白ブタ』と徒名される程だったから。皆『父親』の事は大して思い出さなくなった。美しい母も優しく愛情深く接してくれ、貧しいながらも不足の無い暮し…だったが。
 また…疫病がその地に猛威を奮う。

 近所の子どもがばたばた死ぬ。シドもまた、恐ろしい高熱に見舞われて。熱くて熱くて汗が出て、喉には粥も通らず。太った身体はみるみる痩せ細り…ある日。
 漸く熱の下がったシドを見て。母親は絶叫した。
 …一夜にして、白い子どもは痩せこけた闇妖精にすり変わっていたのである。

 敏捷になり精霊の営みも眼で見える様になったが、良い事は一つも無い。遊び友達は逃げ出すし、大人達も不吉な黒猫の様に避けて通る。
 母親は表面上は母親だった。料理も毎日作ってくれたし、シドに優しく話しかける事さえあった。ただ…決して息子の事を見なくなった。

 そんなある時、祭礼を見に行こうと返事も聞かずに街へ引っ張り出し…人ごみの中で不意に手を放された。村から遠く離れた街とは言え、あるいは帰り着く方策はあったかも知れない。それでも。
 …帰った所で何になる?


「後は…もう、ぐちゃぐちゃさ。色々さ、汚い仕事で喰いつないでさ…裏の仕事をやり過ぎて、罰があたって死にそうになった時、お師匠に助けて貰ったんだ…」
 そっと、白い魔術師の様子を見る。意識はいまだ戻らぬが、苦しげな様子は随分消えた。
(良かった…)
 自然、安堵のため息が漏れる。

「ご免なさい…」
「へ?」
「だって…貴方の事、考えもせずに『幸せな妖精』なんて言って…」
「ん…いいよ別に。あんたさ、さっきお師匠庇ってくれたしさ」
「う、うん…でも」
「いいって!俺、少なくとも今はさ、お師匠いてすっげえ幸せだしさ!」
「ええ…」



 とは言え。ここはゴブリンの巣穴である。穏やかな空気が何時まで続く筈も無い。
 まずシドがまた絶叫。半ば皆が忘れていた、あの得体の知れない混ぜ薬、一座の気の緩みに乗じて老婆がやにわに魔術師に飲ませ出す。とにかくシドが阻止せんと騒ぐが、海千山千神聖魔法すら嗜める老婆にかかればちょこざいな。恐ろしい事にゴブリン婆、乳鉢一杯分の気色の悪い飲み物を、相手が眠るを良い事に残らず口へと流し込んだ。
「邪魔立てするで無い!治癒の術では足りぬのじゃ、回復早めるにはやはり薬が肝要ぞ!」
 実際、魔術師の真っ青な顔色は見る見る内に赤味が差し、熱も治まり…容態は見違える程良くなって行く。
「ああ、お師匠!何だってこんなインチキな薬が効いちまうんだよ!」
 この頃には人間達も老婆の腕をまずまずと見ていたから、弟子馬鹿の嘆きは完全に無視された。



 白い睫毛がぴくり、わずかに震えた。
「あ…?」
「お師匠…お師匠!」
 もう瞬きも忘れていたシド、すかさず飛びつく。
「シ…ド…?」
「そうだよ俺だよ俺!俺の事判る、お師匠?熱は?傷は?痛みは…」
「これこれ、病み人をそう急かすでないよ」
 少年の様子に流石の老婆も見かねて苦笑。固唾を飲んで見守っていた一同…あのスカルさえも…皆、緊張の糸が切れ、安堵の念が広がって行く。
「お師匠…お師匠…」
「シド…」
 既に涙でぐちゃぐちゃになった弟子を見て、魔術師が片手をそっと上げる。もはや言葉もうまく綴れない、小さな子どもの頭を優しく撫でてやる。
「ご免なさい、心配をかけてしまって」
「心配…所じゃ、ない…」
 恨み事を言おうとするが、泣きじゃくるばかりで結局何も言えないでいるシドをもう一度宥めてやり。首だけ皆の方へ向ける。
(や…やばい!病み上がりにあんなツラ見たら!)
 シドが慌てて老婆を隠そうとするが、肝心の魔術師がひょいと身体を傾けて、老婆に向かってにっこり微笑んだ。
「ありがとうございます…どなたか存じませんが、助けて戴いたようで」



 何と言うか…この白い魔術師は、そよ風にも折れそうに見えながらなかなかどうして性根の座った人物である。老婆がいきなりずいいと魔術師へ、身を乗り出した時は誰しも驚いたが、本人はいたって平気で常通り丁寧に受け答えをして見せた。その礼儀正しさが効を奏したか、あるいは助けると決めた以上、病人の回復を遅らせる諸事は職業的本能として避けたいのか、とにかく老婆は皆に食事を薦めたのだ。
 ゴブリンの巣穴で食事など…皆、一斉に身構えたのだが向こうは存外美食家らしい。ほかほかと湯気を上げる如何にも旨そうな匂いの品々に、一同覚えず唾を飲む。続いて老婆が魔術師に、気分が良ければ水物位なら構わないと許可を下した…途端。

 ぐううううう…
 盛大な腹時計。
「なんか…すっげえ腹減って来た…」
 さっき泣いた烏がなんとやら。少年のつぶやきに、人間もゴブリンも残らず笑い声を上げた。



 星も何も見えない今、正確な所は判らぬが相当夜更けであるのは間違い無い。こんな夜分の夜遅く、夜食にしては随分と重い食事であったが、今日の疲労はやはり凄まじく皆オーグルの様に貪り喰った。実際、ゴブリンの食事はなかなか美味だった。
 それに何やら伝令やって来て、スカルもその他のゴブリンも急ぎ別な横穴へと走り去り…今はこの場に誰もいない。当然の事ながら人間達は漸くにして寛げた。

「しかし…坊主、本気で良く喰ったなァ」
「小さいなりでな」
「うるせえ!こっちとら倍以上働いているんだ!腹だって減るぜ!」
 しかし少年の食べっぷりは実際大した物だった。ゴブリンの出す料理を…怪物退治の前金だ、喰った以上は怪物倒すまで逃がさないなどと物騒な話が付いて来たが…片端から片付けて行き、肉の丸焼きを…穴豚と言ってゴブリンの住処にも人間の知る種とさして変わらぬ家畜がいるのだ…むしゃむしゃばりばり貪る様子はうわばみが象を飲み込む様子に似て、何とも愉快な眺めであった。
「ふふ、そうよね…先生の横にぴったりついてて、偉かったものね」
「何だよ、馬鹿にすんなよ」
 そこですねるのが子どもの証拠だ…そんな風に心の中で思いつつ、白い手が優しく弟子の髪を撫でてやる。
「ご免なさい…それに、本当にありがとう」
「…心配、した。…すっごくな!」
「ええ…」
 ちらり、魔術師を見る。声には張りが戻って来たし、自分の髪を梳く白い指にも異常は感じられない。だが今でも自力では起きられないでいる…背中にクッション代わりの毛皮の束を幾つもあてがい、それでやっと座って食事が出来る位なのだ。シドとしてはもっと悪態をつきたい所だが…穏やかな、淡い忘れな草色の瞳を見ているとそれもできない。
 状況は大して好転もしていないのだが、心地良い満腹感が皆の気持ちを落ち着かせていた…のだが。
「のう…腹ごしらえは済んだかえ?」
 …!
 既に聞き慣れた嗄れ声。一座に再び緊張が走る。

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(C)獅子牙龍児
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