婆の謎かけ


「さて…山姫様への償いと、治癒の魔法の手間賃、貰おうとするかいの」
 質の悪い笑みを浮かべて、にたり老婆が歩み寄る。
「お、おい!神官の癖に金取るのかよ!」
「そりゃそうだろ、遍照大君の大神殿だって結構な寄進が要るんだぜ」
「へ…そうなのか?」
「当然だろ、神官だって霞食って生きてる訳じゃないからな。神殿の運営にだって物入りだろうし、奇蹟も元々遍照大君のお力って奴の現われなんだろ?それに…」
「それに?」
 戦士は幾らか皮肉な笑みを浮かべて見せた。
「つまりはさ。遍照大君の…強欲神様の養い賃って訳さ」

「ちょっと貴方!」
 流石に少女が眉を潜める。無理も無い、幼い頃から敬虔な信者であった娘にはいささかきつい言葉だろう。ところが対して老婆の方、戦士の言葉にくつくつと笑う。
「お婆さん!貴方、侮辱されて怒らないの!?」
「はは…いやさ失敬、婆には痛快に聞こえての」
「え?」
「何、遍照大君と言わば仇も同じ、仇を誹られて怒る道理は何処にも無し…」
「ちょ…ちょっとどう言う事?」
「ゲッ、ゲッ、婆は光神なぞ信じてはおらんからの」
「…!」
 少女も戦士も眼を丸くした。

「何だって!?」
 …無論、遍照大君の他にも神はいる、神官もいる。が、抜きん出て優れた光明神とは異なって、他の神々の神威は酷く弱い。余程の無理を…例えば、霊媒を生贄に「神降ろし」を行うなど…しなければその能力はとても地上まで届かぬのだ。現に他の神々に仕える者達はせいぜい痛みを弱める程度の術しか使えない。
 それが、遍照大君に信仰を捧げずしてその神力を行使するなど…
「ヒョ、ヒョ、こりゃおもしろい…人間どもは愚かで愉快…」
 まったく言葉通り楽しげに、老婆は頻りに声立て笑う。
「これは抜かったしくじった、初めに婆の謎解きを治癒の代わりに出してやれば良かったものを…」
 と、不意に笑いを納めて奇妙に真顔となる。
 そして再び奇怪ににたり。
「いやさ、今からでも遅くは無い…謎ぞ、謎ぞ、謎かけぞ!婆の術の源と、婆の名をば答えて見せれば良し、答えられぬと言うのなら…助太刀も頼まぬ、地上にも出さぬ!」
「な…!」
 老婆の声はにべもない。再び絶望が支配する…


「今し方にな、山姫様の御前に参ったが…あれはほんにお労しい!元々この自分は御調子も優れぬでおられたに、無理に山鳴り起こされてな…」
「山鳴り!?…って事はまさか、あの地震もそいつの!?性悪女め!」
「お、おい坊主!幾らなんでも山姫様に失礼だろ!ゴブリンどもはともかく…山姫様がいなけりゃ、俺達坑夫も商売上がったりなんだぜ?」
「如何にも如何にも!しかも主らは山姫様の、秘蔵の蔵たるこの山に恐ろしき無体を成したのじゃ!封印逃れし魔物ども、暴れ狂うを…ああ、勿体無き事!山姫様は他所の者が苦しむは耐え難いと憐れまれ、死力尽くして山鳴り起こし出口全てを塞ぎ切り、そして…傷が!傷が!ああ、あれではもう、お命幾らも…!」
「な…!」
「婆もほんに愚か者、山姫様の御傷あれ程と初めに気付いておればのう…仇をわざわざ命存えさす、そんな無為はせんでも済んだにのう…」
 ぎろり。眼光爛爛、眼は鬼灯の如し…

「止めろ!」
 シドは真っ先に魔術師の前に立ち塞がる。老婆の殺気は今度こそ本物…
 とは言えやはり余程に闇妖精は気にかかるらしい。シドの姿に鬼の形相も束の間緩む。
「坊、そこをおどき。坊まで巻添えにするかも知れんでの」
「なら尚更だ!お師匠をどうこうするんだったら、まず俺を殺してみろよ!」
「シド!何を言うのです!」
「ほ、ほ…成る程成る程穢き事じゃ!其こそ其処な魔術師が穢らわしき目論見ぞ…いざと言う時盾にせん、そう思うて闇の子どもをたばかる、とな」
「違う!お師匠はそんな人間じゃない!」
 蒼ざめる魔術師を全身で庇い…と言ってもその背丈では、心の臓も護れぬが…シドは必死で声奮う。
「健気よの…」
 老婆の眼(まなこ)も憐憫に細る。が…
「ならばの、少しばかり機会をやろうぞ」
 にたり、耳まで裂けた口が笑う。

「山姫様の深き傷、癒せるようなら是非も無い」
「ほ、本当かよ!?」
「ただしの、傷を癒すに肝要は、傷を負わせし下手人ども…化け物めらの血の海ぞ」
「ですから!わたし達がその怪物、必ず倒してみせますから!」
「ぬほ、斯様な事は天地覆えろうと無理かろて」
「な…スカルの奴だって、助太刀になると…」
 そこで皆一様にはっとした。
「ほ、ほ!愚か愚か。スカルの奴めは戻らぬぞ」

 ずずい、老婆はさらに歩み寄る。
「スカルの奴めは性根が甘い…元よりいささか人間贔屓と来とるでの」
「人間贔屓?奴が?」
「ひょ、ひょ、能無しめ。三年前の戦よりこの方…我らゴブリンが主らの勝手の領分に、まるで姿を現わさんを不審と思わぬでか?」
「そう言えば…」
「け、け、恩知らずが。こんな奴ばらを何時までも恩に着ておるスカルもスカルじゃ…」
「恩に着る…?」
 確かにスカルの言動には妙な所が多々あった。戦士も少女もラグーを見るが、当人も首を捻るより他無く…
「もっとも主らに無用の事、じき揃って根の国送りじゃて…」
「待てよ!倒してみなきゃ判んないだろ!」
「坊、良いか?スカルとて主らに『あれ』が倒せるとは思うておらなんだ、婆の術でも殺すは無理じゃて、追い返そうとの算段であったのじゃ。追い返すだけなら…あるいは主ら風情にも出来るか知れんでの」
 ぎろり、再び人間達を…とりわけ魔術師の白き面を。
「だけど…だけど!今機会を…って言ったじゃないか!」
「きゃんきゃん吠えるでないよ、血筋が泣く。婆の謎が解けると言うなら、まあ望みも五分と五分、されどか弱き婆の問いにも答えが出ぬと言うならどの道無駄と言うものじゃ」
「そんな…そんなの、判る訳ねえだろ!」
「ほ、ほ、坊の命だけは取らぬで安心せい」
「俺だけ助かっても意味ねえよ!」
 埒が開かない…焦りが闇い影を生み。シドは懐に素早く手を伸ばした。
 はっと、魔術師が息を飲む。
「シド、駄目です!」
 慌てる魔術師の制止とほとんど同時…シドの利き手に痛みが走った。

「…ッ!」
 慌てて手を抜き出すと。細いながらも傷がある。血がにじむでも無し拍子抜けする程浅いのに、痛みだけは馬鹿に強い…
「シド…」
 心配そうに覗き込む、魔術師に軽く笑みを返す…が。
(一体、何にやられたんだ!?)
 弟子の無事を確かめても、魔術師の表情は変わらず固い。焦燥の様子で視線を走らせ…『何か』を確かに凝視している。
(…?)
 つられてシドも眼を凝らし…驚愕に眼を見開いた。
「ほ、気付いたかの」
 老婆の口角ぐいいと上がる。
「さて頃合、見えぬ者にも見せてやろうかの…」
 老婆は曲がった背筋を突然伸ばし、疣だらけの両手を杖ごとぐうんと高く掲げ奇妙な音声の羅列…呪文は瞬時に完成した。
「な…!」
 一体何時の間に張り巡らせたか…細い細い銀の糸が、一同をぐるりと巻いている…!

 とは言え、慌てて身体を動かすと、どう言う訳だか自由である。かと言って糸の切れる気配も無く…
「の、伸び縮みするの!?」
「ひゃひゃ、違うて違うて。そこいらの無粋な物とは別物じゃ、主らがただ動くに邪魔立てする、そんな野暮とは無縁じゃて、」
 と、表情和らげシドを見る。
「…坊、悪い事は言わん、そんな奴なぞ忘れて婆と暮せ。…婆の糸は鋭くてな、武器を取るなり魔法を使うなりせば…たとえ坊でも八つ裂きじゃ」
「そんな…」
 背後ではラグーや戦士が真実かどうか確かめている。短い悲鳴の示す所、糸は確かに戦意を察知する。…魔法にも、と言う言葉もあながち嘘では無いかも知れない。
(何か…何か手は無いのかよ!)
「坊、諦めい忘れれい!その魔術師は無力無能の穀潰しじゃて、それが証左にほれみい!婆如きの謎一つ解けぬでいる!」
 狂気の様に笑い続ける恐怖の老婆に、凄まじき魔力持つ白銀の戒め…シドは半分泣き出しながら、唯一の頼みの師匠を見上げる。
「お師匠…」
 と。白い髪の魔術師は、何時もよりもさらに蒼ざめてはいたが…シドの眼を見て確かに笑った。

(…?)
 こんな時に眼にしてもこの人の笑みは暖かい。たったそれしきの事だけで、何の根拠も無く安心してしまう…
 弟子の様子の落ち着いたのを見計らい、魔術師きっと面を上げる。病み上がりの虚弱の様をさらり捨て、老婆に向かってゆっくり問う。
「念のため、お尋ねします。もしも私が貴方の謎を解いたなら、私達を地上に案内して下さいますか?」
「は!昨今の魔術師は耳が遠いと見ゆるわ!婆が先刻話したじゃろが、魔物外へと放たんがため、出口ことごとく塞いだと…もっとも、主らだけで助かりたいなら別じゃがの」
 怒りと憎悪に満ち満ちた老婆の手酷い挑発にも、魔術師はただ静かに首を横に振るのみで。…そしてさらに言葉を継ぐ。
「重ねてお尋ね申し上げます。もしも私が謎解き誤らねば、その魔物を退治し地上の出口を再び開けて出る事を…お許し願えましょうか?」
「ファ、ファ、ファ!こりゃ驚いた!」
 老婆はそれこそ腹を抱えて大笑い。
「ああ許す許す、何でも許す!万が一にも間違い無く、主如きの小物ぞに、しかも魔法も使えぬ有様じゃに、婆の謎が解ける筈も無いからのう!」
 暫くは魔術師、笑い転げる老婆の姿をただ黙って見つめていた。

 老婆はいまだに笑っている。それを静観していた魔術師だったが…少し困った様にため息を付く。
「ほ、どうした降参かえ降参かえ?どの道待っても答えは出ぬ、刑を怯えて待ち続けるも不憫じゃに、そろそろ…」
「あの…巫女殿。御名を言ってもよろしいのですね?」
「はあ?」
 意外な言葉に婆ぱちくり。

「こちらにも事情が多々ございます。御無礼とは思いますが…」
「お師匠!こいつに対して無礼も糞もねえよ!大体今まで、今の今だって…」
「シド、それとこれとは話が別です」
「お師匠…どうしてそんなに甘いんだよ!」
 その甘さに自分も救われた訳なのだが。…もっとも老婆も同意見であった。
「ま、全くじゃ!主の眼は飾りか硝子玉か!主が謎を解けぬなら、この地下にて朽ちるのじゃぞ!」
 老婆の激高振りに…魔術師はもう一度嘆息し。…おもむろに口を開けた。

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(C)獅子牙龍児
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