山姫様


《負けたのは貴方。もう、悪あがきはお止しなさい…この争いは無用の事》
 金の鈴の音色の様な、麗しい女性(にょしょう)の声が重ねてロウヒを嗜める。ロウヒは勿論、人間達にも不思議と従う気にさせる。
「や、山姫様…お言葉ではございますがの…」
《いい加減におし!見苦しくてよ!》
 ぴしゃり、言葉で鞭打たれ、さしもの老婆もよろり崩れる。
 そこへ…

「婆様!それに人間ども!」
 どやどやとゴブリンの一団駆けつける。丁度一触即発の…構えは流石に解いたとは言え、少女も子どもも凶器を手にしたそのままの姿、それに老婆の杖はいまだ魔術師を向いていた…危険な光景を目前にし。ゴブリンの頭領も冷や汗を拭う。
「危ねえ所だったな…」

「…とにもかくにも、どっちにも死人が出ねえで何よりだ」
「何よりじゃねえよ!この糞ババア、お師匠殺そうとしたんだぞ!」
「そりゃ済まねえ…」
 魔術師の方を向き直る。弟子の子どもは相変わらず、煩く吠え騒いでいるし…赤毛の娘に至っては、眼が本気で剣呑である。そして魔術師の両手はいまだ二人の前にかざされたまま…一目で、二人をとどめてロウヒの命を救ったのがこの白髪の人物であると見てとれる。
「あんたには本気で済まなかった…」
 もっとも重ねて頭を深く下げる、スカルの行動なぞ…激高中の少女の眼には入らなかった。
「とにかく!この魔女だけは許す訳には行かないわ!」
《あら、それは困ること》
 また、鈴転がすよな涼やかな声…

「こ、困ると言われたって…」
《だって可愛らしいお嬢さん、ロウヒは私の侍女でもあるのよ…それもただ独りの》
「え…」
「おい、御声をかけておられるのは山姫様だぞ」
 小声のスカルの忠告に皆一斉に眼を丸くする。
「この声の方が…」
「本当か!ああ…生きて山姫様の御声を聞けるなんてなあ…」
 さしもの少女も高く構えた剣を納め、坑夫に至っては感激の涙を流さんばかりである。…それ程、耳に心地の良い、霊妙なる天上の調べの如き声であった。


《ロウヒの事は許して上げて、私の傷の見立てをしくじって、よほどの深さと思い込んでしまったの》
「幸い、山姫様の御傷は命に関わるものじゃあなかったのさ」
「ああ…そりゃ何よりだ」
 我が事のように安堵する、ラグーの様子に戦士も苦笑。
「何だってあんた達は、そう『山姫様』ってのを敬うんだい?」
「何でって…そりゃあ戦士のあんたにゃ判らんさ。俺達鉱山で働く男は、皆山姫様の御領地を削らして貰って、それで女房子どもを養うからな、山姫様に食わして貰ってるのも同然さ」
「けどさ、その山姫様ってのがいなけりゃ、もっと一杯手に入るんじゃ…」
「シド!」
「おい坊主、滅多な事を言うもんじゃねえ!山姫様がおいででいるから、俺達が掟破りでもしねえ限り…水も出ねえし落盤もねえ。俺が今日この日まで、生きてこられたのも山姫様の御陰だぜ!」
「けど…その山姫って、そっちのババアなんかと一味じゃんか」
 師匠に殺意を向けられた、シドの恨みはなかなか深い。
「そりゃあ…ゴブリンの巣穴は山姫様の御座所に近くてよ、連中普段から山姫様のお世話をしているから多少の不公平はまあ…けどな、山姫様は一度だって、俺達坑夫とゴブリン連中の戦でよ、向こうに余計に肩入れなんて事はなさらなかったさ!」
「そうとも、そうとも!山姫様はお固い、お固い…御威光さえありゃあ、ここなぞたちまち俺達ゴブリン族の天下だぜ」
 ラグーもスカルもしみじみと…余程格別の人物らしい。
「立派な方なのねえ…」
「そりゃあそうですぜ!それを幾らなんでも姫様、蛇だの蜥蜴だのと…」
「そうね、あんな奇麗な声の方を醜い蛇なんて言ってしまって…」
「全くですぜ!まあ…坑夫連中の中にも、山姫様の御人なりがどうにも判らなくて、正体はでっかい蜥蜴だ、なんて言いやがる奴もいやすが…」
 勝手に納得しあう坑夫と少女を見て、スカルやそれに魔術師が。何か言いたげに複雑な表情となるが…二人は気付かない。代わりにまた声が降って来た。
《ふふ、そうね…私も醜いと面と向かって言われては傷ついてよ。おこがましい事だけど、私は容姿にまずまずの自信があるのだもの》
「御無礼を…」
《いえいえ、声の方は褒められたのだもの…悪い気はしなくてよ。でも心苦しいと言うのなら、私達を助けて下さらない?貴方方のせいばかりとは言えないけれど、やはり封印を破られてはね…》
「勿論です!」
《ありがとう、顔が見えないと言うのも不便だから…悪いけれど、こちらに来て下さらない?残念ながら動ける怪我では無いのよ…》
 スカルとロウヒが驚き顔を見合わせる。
「山姫様!こやつらを、御座所に?」
《ええ》
「よ、よろしいんで?」
《そうよ》
 純金の鈴を転がしたような笑い声。
「山姫様は滅多に他所者には姿をお見せにならねえんだが…」
 スカルもロウヒも困り果てていたが…貴き女主人の命とあらば是非も無い。
「仕方ねえ、付いて来い」



 シドは少々不審に思っていた。付いて来いと言われた時、真っ先に動いたのは魔術師だった。これまでの行程で、いつでも真の依頼主と言える、貴族の少女の先を歩かぬ様に控えめでいたのに…どう言う訳がさりげなく一同の先頭に立って歩いている。『山姫』とやらがやはり危険な魔物なのかと思いもしたが、それにしては魔術師の様子に変化が無い。生憎、風霊の声は変わらず聞こえぬままだし…せめて偵察をと、魔術師を抜かして先に行こうとすると今度は困った顔を向けられる。
 …そうこうする内に、「御座所」に着いた。

「暗いからな…足元気を付けろよ」
 言われた通り、そろりそろりと足を踏み入れたその場所は、随分と開けた大広間の様な所だった。確かにこれと言って灯明も無く、辺りは一面薄暗いが…岩壁にそって淡い光が見えている。
「あれは…」
「光苔の一種ですね」
 苔に照らされた岩壁に、とりどりの貴石の姿が見える。恐らくこれも…『山姫』の財宝の一部なのだろう。明るさがあればその美しさを存分に楽しめるのだが…空洞はあまりに広く暗く、シドの視力にも判然としない。
《スカル、人間の皆様には暗過ぎてよ。灯りをお願い》
「灯明を…本当によろしいんで?」
《ええ》
(あいつ、何焦っているんだ…?)
 弱り切った表情で、連れのゴブリン一団ともども顔を何度も見合わせて…結局、あちらこちらにしつらえてあった細工の見事な燭台数個に火が灯され、一体如何なる仕掛けなのか、野火の草原焼くが如く次々灯明点火され…宝石尽しの岩壁が、広間の奥を照らし出し…

「!!」

 眩い光の洪水に浮かび上がったその姿に…驚愕の絶句…



 光る衣は翡翠色、眼にも彩なる宝石のきらびやかな光を受けて…時には青、時には赤と。細やかな紋様は少しも乱れず繊細なる網目を描き…ほんの少しばかりの控えめな起伏が。あるいは影を、あるいは光りの煌めきを放ち輝きの旋律を奏でる。
 翠の中にも眼に眩しき、黄金色の縞模様。不思議になだらかに上下して、その豊満なる肢体を華やかに麗しく装わせる。
 滑らかなる曲線描く優美の輪郭に沿い、身体に張り付く翠の衣装…ほんのわずかの動きさえ、密やかなる息づかいさえ絡め取り、艶かしさもいや増すいや増す。
 …美しい。美の何たるかを知らぬ愚人をしても、眼を見張らせ称賛の詩を捧げさすに違いない…それ程の景色である。いやさ、当代最高の詩人をしても語り尽くすは至難の技…善者の魂行き着くと言う、常世の国の眺めとて、適うか否か怪しきところ。
 山姫の姿は一分の隙も無い程に、正しく全き璧の如けし麗しさ。醜い所ではとても無い。
《ほほ…ほほ…》
 水晶細工の水盤に、朝露そっと散らすが様の笑い声。
《どうされたのかしら?急に黙ってしまわれて…》
 少し悲しげな…いささかすねたかの含みの声。
《それとも…私の姿は醜く見えて?》
 にっこり。翡翠纏いし『山姫』は、悪戯じみた微笑を浮かべる。
 …紅玉髄の眼球と、翡翠色の唇無き口元で。

 山姫は醜くこそなかったが。真実凄まじき大蛇であった…

<<戻 進>>


>>「にょろにょろ尽し」目次に戻る

(C)獅子牙龍児
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送