傾城傾国  (2)


 連れて来られたのは壮麗極まる宮殿であった。吉祥苑では到底叶わぬような、見事に輝く金細工。ここそこの柱の隅の隅に至るまで技巧と宝玉が尽くして在る。道行く女官の裳に至まで、贅を究めた刺繍が施されていた。音曲も響く。…実の所、こちらは明らかに迦陵の歌謡に劣るのだが、そんな些末には気付かぬほど、華蘭の心地は舞い上がっていた。
 用意された衣はいささか薄物に過ぎたが、きらびやかな刺繍やともに着けるよう添えられた輝く環や耳輪(じりん)に眼を奪われ、その上、存分にかたちづくれと渡された、見事な化粧道具一式に、恥じらいなどは吹き飛んでいた。

 もともと、吉祥鳥は華美には装わぬ。元来が美しい種族である。そうでなくとも、その美が災いし、かどわかされ、見世物にされ続けた歴史もある。昔はどの貴人の居住にも金剛石を細く編んで製した鳥籠があり、迦陵の類が死ぬまで歌わされたものだった。鳥達がルキを主に戴く今では皆無だが、実の所、今でも隙あらばと狙う者は多い。
 ルキは華蘭の虚栄には事のほか厳格だった。玩具などはわざわざ遠国から自ら運んで来ることすらあったし、着物も望めば良いものを与えてくれた。それでも、まとうのが許されたのは数少ない祭、祝い事の際のみであったし、化粧も、薄く紅を引く以上は法度とされた。
 女人とはいえ武人のこと、ルキは全く装わない。髪も伸ばしたそのままで、風にも乱れるままに捨て置く有様に、天人どもは眉を潜める。
 それでも。
 ―ルキ姉様くらい、奇麗だったら。

 凛。武人としての生き様がそうさせるのか、ただそこに存るだけで美しい。下界の一介の小娘が、刀利天にまで登り詰めた。それだけでも華蘭には気が遠くなるような話だというのに、ルキは天界を守るべく賊や凶獣を退け、鳥達を守るべく吉祥苑を創った。聞くところによれば、かの地の岩山も、ルキの手に成るものだとか。神々と賭けをしたルキは、わざわざ蓬莱山までおもむき、海中に張り出した岩の根を三日三晩かけて独りで引き抜いたという。天の強力が十人がかりでも一月かかると言われる岩根引き。成し遂げ、賭けに勝ったルキは、かの根を持ち帰り苑に植え、苦心して育て上げて天然の城塞とした。
 華蘭は美しいとはいえ未だ小鳥である。どんなに背伸びをしても一番年若い鳳凰の娘にも適わない。だからこそ、せめて紅や錦の力を借りて、少しでも近づきたい。切たる想いである。

 しつらえた鏡箱の前に座る。衣装はもう既に整えた。華蘭の舞に合わせ、少しでも翼のはばたき、手足の動きを妨げる箇所も直しを入れた。手足の環もしっかりはめた。髪も、伽羅香木の油を使い、鬢を整え櫛を挿し、合わせ鏡で確かめた。今一度、鏡の向こうの自分の面を見据え、肩に白粉避けのまっさらな布を掛ける。
 そっと、粉を取る。静々と、肌に撫でるように塗りゆく。鏡の縁は、鳳凰の雛に合わせてか、見事な紅玉髄の鳥達が戯れていた。その紅色の輝きに、肌の白さが一層映える。
 頬。ほんのりと、春の霞を広げてゆく。それだけでも蕾がほころんだよな様だ。 紅筆を、一閃。ひとさし、ひとさしが艶をかたちどる。
 そして、眉筆を走らせ。…あのひとの、まっすぐな飛翔を思い浮かべながら、一息にひいて。
 瞼に、色を差す。素より大きく黒眼がちな瞳が一層艶を増す。充分に、過ぎぬように、丁寧に、願いを込めて…少しでも大人に見えれば。
 睫毛に落ちた細かな粉を柔らかな刷毛でそっと落とす。その睫毛をすっと反らし…己の眼を引き立たすよう、整える。
 そして見る。盤に映せしその姿。
 ―ああ…
 そは夢か幻か。
 小さき麗人は、鏡に向かって微笑んだ。

 女官に連れられ、大広間へとおもむいた。歩みつつ、さきの情景を思い起こす。
 主の命で、華蘭を呼びに来た娘達は、一目見るなり言葉を失った。
 ―まあ…
 ―なんて…
 一様に驚き、褒め賛え、この控え部屋に案内したときよりよほど丁重に華蘭を連れ出した。それが、誇らしい。
 ぽろうん…ぽろうん…
 楽人達の音調べか。それに、客人達のざわめき。皆待っているのだ、自分を。
 一歩一歩。心の臓も高鳴りゆく。珊瑚に瑪瑙で飾られた扉の前。開く。
 ―!
 まこと雄弁なるは沈黙か。楽人、貴人、仕え人、身分の別なくただひたすら、惚けた如く口を開け、感嘆の息を吸い込むのみ。かように、おおとりのひいなは麗しい。
 舞い手の身で、先に述べるは無礼というもの。華蘭、まずは深々と辞儀を垂れる。その動きに、凍れる広間の魔法が解ける。かしこより、おお、ああとため息が漏れ出ずる。ようやっと、舌が緩んだ正面の、主とおぼしき御恰幅の、ご仁が起立し歓迎す。
「いやさ、言葉にも尽くせぬ…」
「お招きに預りまして光栄至極にございます。おおとりの華蘭にございます。」「おお、華蘭どの。そのような所におらんと、はようもそっとこちらに。…早速だが、楽人を待たせておっての、お頼み申そうかの。」
「仰せの通りに。…まずは一差し。」
 ちりり…
 華蘭の身を飾る小さな鈴が振れる。手足を構え、指先爪先に至るまで神経を通わす。眼を閉じ、楽曲の始まりを待つ。
 りん、ろん、じゃらん…
 ふわり。翼が広がり小さき身体は虚空へと。
 しゃらしゃらしゃらり、ちんとんしゃらん、
 見えぬ花びら追うよう掴むよう、細うい腕が空へと伸びる。
 ととんと、ととんと、
 音の符を、拾うが如く拍子取り。
 ひょろろ、ひょろろ、ぴぃーいぴぴーい、
 腕(かいな)の一振り、瑞雲生ず。
 りいろりいろ、ころころり、
 ついと伸びたる爪先の。
 ぱらぽろしゃらん、ぴいいろり、
 薄紅色の輝きよ。
 さらさらからからこおん、こおん、
 鬢の先まで舞い踊り。
 きんとんりいろ、りいりいりい、
 華のかんばせ、玉の笑み。
 ほーらいほれろ、はらほれろ、
 そを支えりし薔薇(そうび)の茎(けい)。
 からこらきちきち、かんなころ。
 しなやかに反れりし、月の如く。
 …鳴呼まさしく蘭の華。
 夢幻も適わぬその眺め。広間の飾り、何処かへ消えり。前座済ませたる舞姫どもも、嫉妬も忘れて色も無し。場に集まりし殿方の、魂何処や極楽か。楽人奏でし音曲も、華の舞い手が振る領布の、生ぜし五色の霞に呑まれ、もはや遠き灯火の如し。
 玲瓏玲瓏、あや錦、こは浄土にも勝れり。願わくば、この喜びの続かんことを…

 と…
 飛天の足の柔らかきが、間に敷かれたる織物に触れ。
 …ややあって、舞いの終りを皆が知るも未だ醒めやらぬ…
 これが鳳雛、舞いの華蘭。あの恐ろしき怪鳥の、ルキの大将が秘蔵するもむべなるかな。
「や、見事。寿命延びる心地じゃ。…まだ今宵は始まり、そなたの尽きぬ吉祥、重ねて授けかりたいものじゃ。」
「御意に。」
 さらりと両の腕(かいな)を広げ。再び始まる夢幻の宴…

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(C)獅子牙龍児
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