傾城傾国  (4)


「酔ったと見える。」
 天上の貴人。
「いえ…よってな…ど…おりま…せぬ…」
 既にして小さき舞姫の頬は石榴の紅。まぶた半眼、長き睫毛が影落とす。衣の間より、淡き桜の霞が覗く。
 ―百年に一…いや千年に一の華よ。
「それを酔っておると申すのだ。」
 笑みを含んで立ち上がり、眼(まなこ)定まらぬ舞いの雛を腕を伸ばして抱き寄せる。
「あ…」
 既に力なく、男の胸に倒れる。
「それ、酒もこぼしておるぞ。」
 はっとして見やると、貴人の衣に紅の染み。
「これは…!とんだそそうを…」
 夢うつつの中でも身が縮む。
「詫びとして、我が願い叶えて貰うとするか。」
「はい…わたくしに…できますことなら…」
「なに、簡単なことだ、」
 男の眼が怪しく光る、
 と!
 ぐああん!
 耳つんざく大の音。七宝の扉、金剛の重み、勢い鋭く開く音。そこには。
 ―ルキ…姉様?
 金糸乱れ背に紅蓮。衣に残りし不快の朱は、討伐の折りの返り血か。片手に異様に大きく皮袋、おそらく獲物の死骸を入れたものか。…未だ、湯気上がりぬ。
 扉の傍には強力二人。並では開かぬその扉の、客人のために開くが役目、先の思わぬ開帳に、巻き込まれたか血泡吹いて倒れぬ。…火炎の鳥、一顧だにせず。
 ―なんと、凄まじき…
 ―さながら狂女の様…
 ―いやあれは地獄の使いよ…
 驚き怪しむ広間の囁き。ものともせず、怒りの鳳凰、どかりどかり足音鳴らし荒々しく、か弱き雛鳥の元へ進む。
「ほう、これは意外。」
 思わぬ成り行きにも、至って楽しげに大丈夫。
「お早いご帰還のことだ。」
 言いつつ、腕の舞い手の鬢を撫ぜる。…華蘭にはもう何やら分からぬ。
「帝釈殿!」
 ―え…?
「帝釈天…様…?」
「いかにも。余こそ、この刀利天が主よ。」
 なんという…かの御方の御前(おんまえ)で舞ったのか…だが酔いは幼子を押さえたまま。心を霞が覆えれり。
「…帝釈殿。復命つかまつる。下界は夜叉国を荒せし悪猪(あくじし)が群れ、漏らさず討ち獲ったり。」
 猛凰、まなこ爛爛、上官に報告せし兵の様には非ず。
「ついては、我が雛鳥、返して戴きたく参上候。」
「返せとはまた物騒な。まるで余が奪ったかの物言い。」
 鳳凰の瑞気大気焼くが如くを意に介さず、帝釈からからと笑い。
「元はと言えば、ここな主が招きにこのもの応じたが始まり。余は『偶然』この宴に居合わせたのみよ。それにだ、」
 衣の上の酒の染みを示す。
「こやつ、余の晴れ着にとんだ粗相を仕出かした。詫びでも受けねば余の面目が立たぬ。」
「詫び、か。」
 低くつぶやくや否や鳳凰、手の皮袋が中味ぶち撒けり。
 どさり。
 生暖かき血潮、広がり。獣の首。
「ひいいいいっ!」
 女官婦人の叫び声。
 首の元より、肉、崩れ落ちんとす。
「ふん…例の大猪(おおじし)か。」

 その牙、鋭し。蛮勇で知らるる夜叉の兵も、赤銅の鎧、鋼の盾ごと次々貫かれたと聞く。その数、百を優に超え。人の肉を好み民草の屋を襲い、かの血の五千の命を奪ったとか。

 ―並なら一月、いかにあやつが豪とはいえ、まず一週は掛ると踏んだが…
 されど、明と暗とは表裏の仲。かの牙、尖らせば兵に能く、磨けば飾に佳く、砕けば薬に良くと伝われり。肉もしかり。味覚格別は元より、強壮の効延命の果ありて値千金。真新しき生き血も、婦人の病を沈め心を和らげ美をいや増す、古来稀なる妙薬なりき。

 ―この猪(しし)、恐らくは群れの頭目。その首、選りにもよって殊に効の強き肉をば持ち帰るとはな。

 なれど恐ろしき獣のこと、天の豪傑数多(あまた)集いても捕うること能わじ。倒すもまた同じ。仮に運良く止めを刺せたとて、巨体のことまた皮の厚きにより、手足の一部といえども持ち返るは難きこと。

 ―出立から数えて今日でようよう三日のはず。大事な雛のためとはいえ、またあやつらしき無茶無謀のことよ。

 誇り高けき鳳凰の長、戦上手と聞えしが、かの頬この腕あちこちに常と異なり血糊の紅化粧。

 ―返り血ばかりでは無いと見える。

 泣く子も黙らす天帝釈、そを前にしてもたじろがず、射るが如く刺すが如く炎の眼。

 ―ふ、なかなかこやつも可愛気がある。


 腕を伸ばして獲物検分。焦れるを承知でゆっくりと。
「成程、結構結構。…だが、幼いとはいえ美姫と野獣では釣り合わぬ。のう、そなたもそう思わぬか?」
 わずかに、鳳凰の眉、形麗しきが跳ねる。眼光いや増し。
 ふぁさり…!
 翼、広がれり。
 尋常為らざる瑞気の乱。赤く赤く羽包み、吹き荒れる様は地獄の釜の炎燃ゆるが如く。いや…
 燃えり。まこと熱き嵐…ちりちりりと大気燃ゆ。いやそこな足元も、敷きたる錦が上物、ちろちろ赤きを走らせり。
 不動の構え、一歩も引かぬ。
「おお怖い怖い、こちらまで燃やされそうだ。」
 うそぶく帝釈。
「さてはて、詫びが不足だ返さぬと言わば如何とする?」
「貴殿の命、奪うまで。」
 即座に短きいらえ。
「ハッハッハ!いやこれは面白い、流石は天界随一のつわものよ!」
 天を裂く哄笑にも瑞鳥動ぜす。
「久方振りの笑いじゃ。雛の舞いと併せまったき趣向よ。それ、褒美をとらすぞ!」
 前触れもあればこそ。おざなりに立ち上がりし帝釈は、ぶんと無造作に雛鳥を投げる!酔いも覚め得ぬ小さき者、天空を舞い、落つると見えた…
 確と。受け損じる鳳凰に非ず。されど炎、静まるどころかさらに激しく。
「おう、どうしたどうした、確かに返したぞ?短気は損気とな。礼なぞ申したらどうだ。」
 紅蓮の鳥、答え無し。
「その上、この宴半ばにて場を崩したる非礼如何とす?…たかだか小鳥が苑の主風情が偉くなったものよ。かような苑、余が一声にて如何様にもなるものを。」
「ぐっ…!」
 言葉詰まれり。
 今一度、きっと見据え、唇噛み。
「まこと今宵が無礼釈明の余地無く、詫び申しつかまつり候。」
 誇りの武人、深々と拝礼。…さらに一瞬鋭く刺すまなざし、しかれども言も無く、背を向け、扉へと。半ば眠りに落ちし幼子抱き、行きに違えり静々寂々。無言の姿に今だ火の粉は舞えり。
「のう、そなた。雛の主よ。」
 天帝釈の大音声に止む歩み。
「まことそなたの舞い手は名人美麗。いまは幼くともほどなく天界隠れもなき舞姫となろうよ。」
 鋭きまなざしそのままに、武人見返り。帝釈が神、不敵に笑み浮かべて存れり。
「かほどの姫を側女に置きたいものだ!」
 鳳凰の眼開く。帝釈の満悦。流るる間。瑞鳥の心中。一族の安寧。
「…身に余るほどのお誉めに預かり、華蘭ともども光悦至極にございます。」
 やっとの言。唇再び切れるまで噛みしめ、二度と振り返ることなく退出の儀。
「ハッハッハ…次に見(まみ)えるが待ち遠しい!」
 背に帝釈が驕りの笑い、貴人どもが嘲りの囁き受けて独り、孤高の長、宮を出でり。


 何か暖かいもので包まれる…毛布?ぼんやりと瞼を開ける。
「あ…姉様…?」
「気が着いたか。」
 わずかに笑み。が、ここは暗い。
「どこ…ここは…」
 満天の星も、里で見るとは異なる。
「ああ、先の宮にほど近い所だ。…里にはまだ遠い、寝ていろ。」
 毛布が巻き直され、そっと撫でられる。でも、厳しい横顔。
「ねえ、姉様…」
「ん?」
「私、帝釈天様の御前で踊ったの…」
「…ああ。」
「その後、お酒を戴いて…」
「…」
「なんだか眠くなって…それから覚えてないの。」
「…覚えてない、か。そうか。」
「うん…ルキ姉様が来たのは覚えてるけど…あのとき姉様と帝釈天様、何のお話してたの?」
「華蘭は聞かなかったか?」
「少しは聞えたような気がするけど…よく、わからなかったよ…」
「そうか。」
 ルキの腕に力が込められ、抱き寄せられる。
「姉様?」
 ばさりっ。
「飛ぶぞ。夜も深いからな、少々急ぐ。喋ると舌噛むぞ。」
 中空へ。…言われずともかのひとの飛翔瑞雲、何にもまして心地よく、舞い疲れに酔いも加わり、静かに眠りにつく華蘭であった。


 結局、あのときの事は今でもよく分からない。幼年の身の上でかの帝釈天の御前で舞う、それが大それたことなのは解る。だが何故ルキがあれほど怖い顔をしていたのか、七日は掛るという討伐を無理に三日に縮めてまで駆けつけたのか…翌日、華蘭が目覚めたときも、側近の良元らと難しい顔で何やら話し込んでいた。起き出した華蘭を見てルキがまずしたのは意外にも優しく抱き寄せることだった。
 ―絶対、すごく叱られると思ったけど。
 言いつけを破った上、成り行きとはいえ、大それたことを仕出かした。ルキは普段はとても優しいし、竹を割ったような気性だが、「ほんとうにいけないこと」をしたときにはまさしく鬼のよう炎のよう怒り狂う。
 ―なんだか、少し泣いているように見えた。
 あのひとが泣くはずがない。第一、泣く理由も見えない。それでも何故きつい叱りが無かったのか…
 ―まあ結局、あのときも謹慎、一月も続いたんだよね。
 暫し、迦陵の国に行くのも禁じられた。里の中では玩具でも何でも与えて貰えたし、ルキも何時もよりも遊んでくれた。でもやはり寂しい。
 ルキの目を盗んで里の鳳凰たちに連れ出すよう頼んだが、常なら華蘭に格別甘い良元にさえ、難しい顔で拒まれた。
 謹慎の解けた後も、苑の麓、俗人も紛れるような地に行くことは厳しく禁じられ、迦陵国を訪れるのもルキ同行の際のみとなった。
 だが。
 かの宮殿での舞いは、天の衆目の知る所となり。かなたこなたより招待の文、休みなく届く。華蘭は大喜びだったが、ルキは諾とせず、片端から断わりを入れる。が、華蘭の懇願には勝てず―そうでなくともやんごとなき申出を断わるのは容易ならざること―ルキが付き添うなら、と条件付きで一部を受けた。
 ―ああ幸せ。
 それが雛の正直な心地。それゆえ何故に楽しき宴にはべりながらもルキの眼が、まるで並み居る悪鬼を睨み殺すが如く辺りをねめまわすのか、全く理解できない。
 それでも少々不安がある。
 ルキの討伐、出兵。ここのところ、妙に頻繁である。帰って来たかと思うとまた命が。休む間もなく、里を空ける日が増えている。ただそのため、華蘭も招きを受けやすく、いささか不謹慎ながら多少嬉しくも思う。
 ―だって、楽しい宴会と怖い戦いだもの、関係ないよね。
 雛は未だ幼きに過ぎた。

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(C)獅子牙龍児
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