傾城傾国  (6)


 翌朝、すぐにでも見舞いに行きたかったが、止められた。昼過ぎまではまた薬師が療を施しに来るというから却って邪魔、夕刻に出かけよう、と。だが長い。楽しみごとはたちまちに持ち去る時だのに、辛い待ちをどうして伸ばすのか。
 ようやく許しがでて参る運びとなった。なかば小走りに、里の小道を行く。と。
「全くとんだ――よ、あの子ときたら。」
「ほんとうに。なまじ奇麗だからっていい気になって。」
 ―え。噂話?誰の、こと?
 鳳凰の里に陰口は珍しい。
「酷いもの。あの雛風情のために、ああおいたわしや…。」
「ルキ様のこと、あれほどまで出兵が重ならなくばあのようなことには…。」
 ―姉様が…誰の、せいで…?
「ああ、もう憎いこと!華蘭の――め。」
 ―!
「華蘭さえいなければ…全くの――、鳳凰の面汚しよ。」
 小さな頬から血の気引く。

「華蘭。」
 は。肩を叩かれる。
「瑠…達…」
「行こう。気にするな。」
「でも…」
「いいんだ!来い!」
 強引に連れて行かれた。

 ルキは、既に半身を起こしていた。顔色はまずまず、目元口元にも力あり、常通りとも見えた。それでもわずかな頬のこけ、瑞気の衰えは隠せぬ。
「華蘭、心配かけたな。」
 優しい笑み。華蘭の一等好きな笑み。それが、今は却って突き刺さる。
「姉様。…私…私のせいなの?」
「何?」
 華蘭は今にも泣くかの風情。何か口にせんとて飲み込み、宥めにまわる瑠達。
 素早く見取って合点がゆく。
「華蘭…里で何か言われたのか?」
「婦人方が…ルキ様のこたびの御負傷を…」
 言い澱みながら瑠達。
「華蘭のせいと、な。」
 おおとりの眉、きりりと上がる。そして、面前の幼子。
「姉様…ほんとうなの?私、何か悪いことをしたの?私、悪い子なの?」
「…華蘭、もっとこっちへ来い。」
 静々近ずく。
「もっとこっちだ。そら!」
 腕を引かれて床に半ば倒れかかる。覚えず見上げる、と。
 真摯の眼(まなこ)。嘘、偽りの無い…
「お前は、何も、悪くない。」
 一言、一言区切るように。
「お前は、良い子だ。」
 心に、言い聞かすように。
「私の自慢の雛だ。」
 染み入る言葉。でも…
「私…里の皆が悪口言うなんて…初めて聞いたの…」
 あの、衝撃。
「あんな、怒った顔…」
 鳳凰、ことに女性(にょしょう)は和で聞こえる。
「それに…分からない言葉…」
「何?」
 幼子の嘆きを、優しく髪撫ぜつつ聞きし鳳凰、はたと手を止める。
「皆…私のこと、こう呼んでいたの…『ケイセイ』、『ケイコク』って。」
 ―!
 場の空気、凍る。
「姉様。どんな…意味なの?」


「…華蘭。」
 一時の間の後、重く口開くはルキの長。
「お前はまだ幼い。言わずに済めばと思っていたが…」
「いいの、言って!教えて!」
 必死の、涙の懇願。
「お前は…お前は美し過ぎるのだ。」
「…え?」
「華蘭。お前は我が一族きっての麗人だ。」
「そんな…」
 ルキ姉様の方がよほど、と言おうとしたのだが。
「いや、天界一だ。」
 鳳凰が眼はいっそ痛いほど。…あまりな言に、雛も声なく。
「そして、世人の欲には限りが無い。」
 武人、唇きつく噛み、天を睨む。
「美しい者と見ると手中に収めんとて、躍起になるのだ。」
 雛を抱く腕に力込め。
「殊に男子。望みの女と見れば力ずくで奪う。」
 面(おもて)に浮かぶは…憎しみか。
「罪無き姫に現を抜かして政を忘れ、和好む姫を巡って戦が起こる。これを…」
 常に無き逡巡。
「城傾ける姫を『傾城』、国傾ける麗人を『傾国』と言う。」
 幼子、言葉も色も無し…


 思い出す。宴での、舞の衣装の薄さ。男達の下卑た笑み。殊に酒の席、舐めるように絡み付く視線。
 里でも。近ごろ男の鳳達は、奇妙に甘く。いや、むしろ普段はやや避けられる心地がするのが、華蘭がほんの少し首を傾け、最上の笑みを浮かべて哀願すると、ころりと変わる。対して、凰の娘達のよそよそしさ。殊に若い者、時折刺すような、眼。あたかも妬むが如く…いや、あれはまさしく嫉妬のまなざし。
 そして。舞の「褒美」としての、あるいは褒美ですらない、贈り物の数々。何とも思わず無邪気に受け取っていたが、尋常ならざる値の宝物を授かることも度々。また。いつぞやの宴では列席した貴公子が二人、華蘭を前に争い始めた。すぐに仲裁が入ったものの、あの血走った男どもの眼を忘れることは容易ならざることであった。
 ―迦陵達の様子も違って来ていた…
 迦陵らの国を訪れれば、かつては同じ年頃の者達が駆けつけ大騒ぎとなるのが常であったにも関わらず、近頃では奇異なほどよそよそしい。迦陵と鳳凰ならば格違い、せいぜいご機嫌とりをせねば…と言わぬばかりの慇懃無礼。剛で鳴らし柔を嫌う迦楼羅の国などではいささか無遠慮な、敵意めいたものを感じ、しばらく羽が遠のいていた。


「男と女ならば、肌重ねることもある。…くがなう、のだ。」
 話は静かに続く。
「元より思いを確かめ、快を与えあう行為だが、時として、相手の意も汲まず、無理に組み伏せる事も在る。」
「無理…に…?」
「男子の中には、自らが深く欲すれば相方も思うが当然とし、違えれば怒り狂うものも珍しくはない。」
「…」
「さらには己の邪心の責を娘の美になすり付ける輩もいる。」
「そん…な…」
「斯様にして望まぬ交合を強いられる娘が少なくないのだ。」
「望まない…」
「あれほどの…責め苦は、無い。」
 心無しか、ルキに苦悶の色浮かぶ。
「華蘭、お前もいずれ変化の時を迎える。」
「は、はい。」
「その頃にはお前にも思い人が出来よう。思いを告げ、受け入れられたなら、その者と肌を重ねれば良い。お前も成人出来よう。」
「…はい。」
 『思い人』の語に、未だ幼い華蘭は頬染める。
「だが。今のお前は幼い。」
 ふと、険しくなる表情。
「変化の兆しも無い雛がくがなえば、身体が持たぬ…病を得て、必ず…死ぬ。」
「そんな!」
「天界なら知られたことわりだ。だが、お前は美麗に過ぎる。変化の時を待てず、お前の…身体を奪う欲に憑かれたものどもが多くいる。」
「!」
「宴で食い入るような眼で見られたことはないか?殊に、酒宴…酒は下劣なものをさらに下劣にする。獣にするのだ。」
 ―その様な男達の前で、舞った…煽るように…
 ルキが華蘭の化粧、舞いの披露をあれほど嫌ったのは。
 華蘭の面前で男どもが争ったのは。
 女どもが盗人でも見るような眼をしていたのは…
「華蘭、お前は未だ幼い。私も教えなかった。お前の責ではない。」
 身が、縮む。…震え。
「お前が悪いのではない。お前に罪は無い。」
 重ねて労られても。自らが頼む唯一の拠り所が禍をもたらすのだと、知らず知らず煽り惑わしてきたのだと悟らされ、血の気はすうっと引いてゆく。
 優しく飽かずに雛の髪をすくルキの掌のみが暖かい。


 ふと、戸外が騒々しい。気付いて頭を巡らせば、怒号。
「どけっ!どかんか無礼者めが!」
「鳥風情が、我らに刃向かうかッ!」
 耳に不快、無粋の軍人か。…いや。
「結界…里の結界はどうした…?」
 呆然たるルキの声にはっとする。いかな者であれ、吉祥苑の麓はともかくもこの有頂天に行き着くのは不可能のはず。
 ここ鳳凰の里に幾重もの守りあり。まず吉祥苑をふうわり覆う瑞気の雲。たおやかに見えども悪意の客には眩惑を生じさせ、害意の者には心の臓掴まれる心地を覚えさす。こは苑の民の祈りなりき願いなりき、消ゆることなし。次にルキ手ずからの岩山。心あり、招かざる客に感じて触れらるるを拒む。岩に命ある限り守り続けり。さらに、鳳凰が里に張られし結界。瑞力絶大のルキの術により、吉祥の鳥とて導きなくば易々とは入れぬものなり。
「ルキ様の結界…破られるはずは…」
 良元の声も、覚えず震える。
「そうですよ!余程の上級神でもなければ…」
「上級神?」
 瑠達の言葉に突かれたルキの耳に、今度は。
「愚か者め、我らを刀利天が主、帝釈天様の使いと知っての狼藉かッ!」
 ―帝釈!
「あ…」
 あの、宴を思い出し。今なら合点の行く数々の出来事に震え始めた華蘭を見やり、武人に決意の色。
「良元、肩を貸せ。」
「そんなっ、無茶ですよ!その御体で…」
「やい、おおとり大将!出て来ぬか!」
「それとも、ここらの煩い鳥ども皆斬って捨てるが良いか!」
 怒号いや増す。さらに、幾筋かの悲鳴。
「…良元。」
 長の低い声。
「…はい。」
 黙って、命に従う他なかった。


 瑠達に華蘭を任せ戸外に出れば。…地に伏せ呻く者、血泡吹く者、およそ十。中に娘も混じるを見て、武人の眼、険を増す。
「いよう、ようようのお出ましじゃ。」
「先の戦は随分とてこずったようだの。」
「…かほどの大音声ならずとも、貴殿等の呼び声聞こえておる。耳ならここに二つ在る!」
 傷も懸けずに声朗々、帝釈天が使いのむくつけき大男二人を前にしても、臆することかけらもなし。
「ククッ、いやはや威勢の良い!」
「その元気ならば容易かろう、出陣の命じゃ!」
「何!」
「お待ちください!ルキ様の傷は未だ癒えませぬ!暫しの御猶予を…」
「戯けを申せ!」
「そもそもそちらが雛を出し惜しむ故の命じゃ!」
「情け深き帝釈天様なればこそ、招待拒む無礼をたかだか魔獣の討伐でお許し下さるのだ!」
「恥を知れ!」

 ―招待?
 瑠達にすがりつくように、戸内で震えていた華蘭は眼を見開いた。
 ―まさか…!
「しかし!ルキ様は御羽も折れておいでです!御慈悲を!」
「ならぬ!」
「我が主の命は二つに一つ!」
「つわものルキが出陣か!」
「名人華蘭が歌舞音曲か!」
 ―私!
 途端、瑠達の手を擦り抜け駆け出した。
「華蘭!」
 瑠達の声にも止らず。

『酷いもの。あの雛風情のために、ああおいたわしや…。』

 ―私のせいで、姉様!

「お待ちください!」
 振り向く八つの眼。焦燥の長の声より早く…
「御招待、お受け致します!」
 雛の悲壮の決意、響く。

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(C)獅子牙龍児
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