帝釈天  (1)


 そこは、荘厳な宮殿であった。
 刀利天が中央、そびえ建つは帝釈天が城、喜見城。ここそこに七宝惜し気もなく使われ、眩さ限りなし。雅なる音色、妙なる調べ聞こえ…
 ―あ!
 檻の中に、歌姫独り。
 ―酷い…これが…
 音曲の鳥を捕える、金剛の籠。
「ここの鳥達は助けられなかった…」
 付き添いと称し、満身創痍の身を賭して来たルキがつぶやく。常と異なる、錦糸輝く晴れ着をまとい、目元口元に艶やかな紅。されど、その全てが…
「私が天界に至る前より、ここで歌わされているのだ。」
 小声で言うと、顔をしかめる。
「姉様、だいじょうぶ?」
「ああ、どうってことない。」
 笑顔を見ても、辛い。宮中の女官達が重傷のルキを掴えて無理にきつい、ひどく動きにくい衣装を来させ、くどい程の化粧を施したからだ。拒絶しようもないのをこれ幸いとばかり、帝釈天の指示。
 ―姉様にはもっとすっきりした着物が似合うのに。紅だって、あんなごてごてした塗り方、何よ。
 それでも、そんな悪意にも損なわれぬ美しさが華蘭には誇らしい。何より、この恐ろしい場に…かのひとが側にいてくれるのが、うれしい。
 ―姉様が来てくれなかったら…
 この、先の見えぬ廊下、渡り切れぬに相違無い。

 角を幾つ曲がったか。幼い雛は、既に目眩を感じていた。異様な程の宝飾。囚われの楽人。皆一様に同じ顔の女官…別室で着替えを済ました良元に、半ば抱えられるようにふらふらと歩く。
 皆が、止る。はっと気付くと際立って壮麗な扉。
「ここか?」
 ルキの険しい声に、先導の女官は人形の笑みを返す。そして、開門。
 光、溢れ…


「また見えて嬉しいぞ、華よ。」
 高座より見下すその姿。いつぞやの宴の、道楽人めいた姿と異なり、頭に戴くは宝冠、右の手には金剛杵。正しく貴人王者。さらに、肌より覗く、無数の眼。
「待つ間はまさに一日千秋、だがその方の、」
 百の眼、じろり。
「麗しさ…匂い立つようだ。まこと眼福。」
 千の眼、にたり。
「余の眼が数、この上更に増えようぞ!」
 かつて、艶やかなる天女の舞いをば見るがため、瞬く間に眼増やしたという帝釈天。その好色の眼が幼き雛をしかと捕えている。
 震えが、走る。
「華蘭。」
 細い声。ルキが微笑みかけてきた。…哀しい笑み。
 ―はい、姉様。私ならだいじょうぶ。
 面をあげる。
「畏れ多くも直々に御招待賜わり、光悦至極、華蘭参上つかまつりました。」
 口上朗々。
「つきましては我が舞い、歌い、御高覧下さいますようお願い申し上げます。」
 ―震えてなんかいられない。これは、…私の戦いなんだから。
 翼を広げ。宙へと。…戦場へと。

 ふさり。はらり。領布踊る。
 まぼろし。月の夢。銀河の滴。
 細き指は光芒(こうぼう)を紡ぎ、長き腕は夢幻を捕える。
 翼のはばたきは五色の雲を呼び、浄土へと魂誘う。
 美脚(みあし)の一蹴りは瑞気を捲き上げ、辺り一面極楽と化す。
 その四肢さながら水の如く風の如く、変幻自在にして留まらず。
 もはや箏(そう)も要らず笙(しょう)も要らず、か細き喉が震え大気を潤し貴人の耳蕩かす。
 なんとなれば。
 命。雛、まだ幼き身の上なれど、背負いし宿命の重きを耐え、命すら賭して。
 決意の悲壮。
 白鳥が歌は死に際が一等と言い、鶴の織物はその羽根折り込むを上とし。
 なべて真と言いしもの、今生(こんじょう)来世の瀬戸際に生まれ落ちるが常とする。
 喉潰れよ翼(よく)裂けよとばかり、華の至芸は続きけり。
 ただ祥福広がれり…


 既に三時は過ぎている。
 ―身が…砕ける…
 本気でそう思う。息も絶え絶え、眼も霞む。それでも一分の隙もなく舞い続けるのはやはり天賦の才か。だが、限界。
 どさり。音曲の終りと共に、無様にも地に落ちてしまった。
「はぁ、はぁ…」
 か細い息づかいのみが広間に響く。立つどころか腕すら挙げられぬ。
「ほう?どうした、余はまだ満たぬぞ?」
 いっそ楽しむかの問い。…力を振り絞るが、もう声すら。
「ふむ、余に逆らうか。これは強気、面白い。」
 ゆらり。立ち上がる帝釈天が眼、剣呑なりき。が。
「帝釈殿、暫く!」
 凛。七宝の間突き抜けるは鳳凰が一声(いっせい)。
 ―姉…様…?
 立ち姿、天を支えし神樹の如し。広げし翼、折れてなお盛りの緋牡丹の如し。
「我が雛の歌舞には及ばずども、貴殿の退屈、晴らす用意候ぞ。」
「何?はてどんな出し物とな?美姫の舞いならで余の心余の眼満たせると申すか!」
「いかにも。珍しき演目、用意し候。」
「さてはて初耳、余が所望せしは華の舞い踊りのみと言うに…」
「このルキ、武家舞披露つかまつる!」
 ―そんな、姉様!
 おおとりが一声。無辺の間に細波広がれり。
「…なんと、そなたが舞う、とな。」
 帝釈が眼の笑み、増長しきり。
「お待ち下さい!ルキ様は…!」
 良元が叫び、皆まで続かず。長の、まなざし。心中を射る。
 ―ルキ様…貴方は…
 ならば。
 従の者の道は一つ。今一度唇噛み締め、起立。
「…この良元、及ばずながら、舞いの相方勤めたき次第にございます…」
 深々、拝礼…

 忽ちに大剣二振り。ずしりと重きを手渡されり。広間が央、先まで雛舞いし場に鳳凰が一対、構えりて相立ちぬ。
 じゃらああん!
 火炎太鼓が雷鳴轟き。
 どし、どしりっ!
 物々しき足踏み荒く。構え崩さず気張り詰め、相対しつつ。
 ぐるりぐるり。
 隙あらば切り捨てんとて睨み合い。
 引きつ進みつ、探り合うも。
 ぴいろりぴいぴい!
 打々発止、火の花咲けり。
 じゃらん、じゃらん、
 甲が攻むれば。
 とことんとんととと、
 乙受け止めり。
 ちとしゃしゃちんとんちんとん、べべべんべんべん!
 鳴呼、先まで咲きにし華何処。
 じゅあんじゅあん!
 西方浄土が五色の雲も。
 くわあん!くわあん!
 戦絵巻の彼方に消えぬ。
 は!とう!や!むん!
 気合いの弓矢飛び交いて。
 炎の中。消えり。


 剣舞は歌舞の道なれど、もののふの嗜みである。舞いとは言え、闘の型を汲みしもの。剣の上手は剣舞にも勝れ、不得手は舞い通すことなぞ到底できぬと申す。殊に真剣にての舞いはさらなり、武人の見極めにも用いられり。
 ルキ、良元がために遣わされしはまさに真の剣。精緻極まる柄の細工、眼をくらますもその真価は別所に在れり。人の首なぞ造作もなくはねるよな肉厚の刃、怪しくきらめく。即ち、一所なりとも誤ち犯さば、舞い手の魂(たま)すら忽ち飛びぬ。さればこそ、貴人の悪趣ゆえにかの舞い見世物に好まれぬ。
 常ならばいざ知らず、鳳凰が長に軍師ともに傷重き身、重ねて与えられし装束の不随なること鎖の如し。動きに冴え無し、むしろ鈍きに向かう。
 ―姉様、兄様…
 ようよう休息を許された華蘭も、不安に眼が離せぬ。と。
「のう、華よ。」
 はっと気付けば傍らに、帝釈が神。
「何、そろそろ武人も疲れが来たようでな、余も飽き始めてな…」
 笑みを浮かべつ、震える雛抱き寄せんとて腕伸ばし…
 このとき早くかのとき遅く。
 ずだんっ!
 尋常ならざる音響に、振り向きて見れば、あれは。
 金糸乱れ、羽根舞い散り。
 鳳凰が長は中空にあり。

 ルキの背の翼は未だ癒えずとも、両の脚は健在なり。
「ほほう、飛べずども跳べると言う訳か。」
 再び宙返り。勢いそのまま打ちつけ。…長もさりながらその剣圧受け止めし良元もつわものなりき。
「これはこれは…余を一時も飽かさぬという算段か。」
 くつくつ笑うことしきり。
「余としたことが、とんだ奸計にはまったものよ!」
 一瞬じとりと雛をねめるとと手を離す。
 されど。解放はされとも、華蘭の震え怯えは消えぬ。
 面前の両人、既にして傷開き、血は長衣を染め広がり。
「ふふ、紅の花の咲き広がる様のようだ!見事!」
 帝釈の声聞く度、寒気増す。
 ―私…姉様を助けるために来たのに…!
 再び舞いを申し出んとするも、身体は利かず、傍らの帝釈の無数の眼に見据えられ声も出ず。もはや心中で祈るのみ。
 ぱっ!ぱぱっ!
 飛沫飛ぶ…赤の!
 見れば。血の筋増えり。限界、互いに打ち損じ受け損じ、新たな傷、次々と。
「いやはや、真の決闘のようだ!」
 帝釈の笑い増す。
「てい!」
「は!」
 気合いの息が一閃すれば、点々点々、朱の紋様、場の床彩れり。
 その一滴、一滴落つるとともに、おおとりの命は削られぬ。
 ―いや!姉様!兄様!
 ぴいいいん!
 つと、楽曲止む。弦の切れたか、静まり、武人も殺陣を止め…
 どん!
 遂に、良元膝を付く。
「くっ…はあっ、はあっ…」
 剣にすがり、立とうはするが。もはや。
「成る程、武人の弦(いと)も切れたか。」
 帝釈起立す。ルキの眼開く。背筋に汗流るる。
 ぱん!ぱん!
 帝釈が神、手を二拍。
「まこと、今宵は佳き夜であった!雛の歌舞、武人の勇、ともに甲乙付け難き出来ぞ!殊に…」
 ルキを見据えてにたり。
「化粧(けわい)せしルキが大将の舞いなぞ、生きて見られるものではない!まこと、余は果報者よ!」
 哄笑する所、しきり。
「実に珍しき見世物であった!さて、褒美をとらそう。なんなりと申せ。」
「直ぐの暇(いとま)を。」
 即答。
「はっ、欲の無いことだ。ほれ、ここな金銀、山程持つも自由というに…」
 示された巨大極まる財宝に、ルキの青筋みるみる太くなりぬ。
「辞退申す!我が願いは一族の安寧、ここな者達をば連れ帰る一事のみ!。」
「なんと連れないことだ。…が、短気は損気と申すぞ、まあ待て。」
 何故にか、傍らの従者に示し筆と紙をば取り、さらさらと認める。
「それ…これを遣わそうぞ。」
 示されたは、書状。
『吉祥苑が主、ルキの鳳凰の傷癒えるまで、長の許し無くして里に入るを禁ず。』
「なっ!」
「要らぬか?されば何故、我が下僕とはいえ、易々そなたの結界潜って里に降りたか、分からぬとでも言うのかの。」
「!」
「ふふ、井中の蛙(かわず)大海知らず…いやいや、天上随一の大将のこと、深手で界の結びほつれるを、気に病んでおることだろう!」
 武人の顔色(がんしょく)、見る間に消えり。
「さてはて、如何とす?」
 選ぶ余地もあらばこそ。
「…御慈悲、有難く頂戴し候。」
 深き礼のち、受け取りぬ。と。
 ずさりっ!
 突に手の剣、突き立てて。
 やにわに大の歩、五歩六歩。
 忽ち立ち得ぬ華蘭が前。
 抱き上げ、向き直り…
「こたびの恩、かたじけなく候。さらば御免。」
 今一度、ぐっと頭垂れ。
 次の時にはもう崩れし良元が側。
「行くぞ。」
 雛を片手に抱き直し、空いた肩もて良元立たせぬ。
「ル、ルキ様!お怪我が…!」
「なら、立てるのか。」
「は、はいっ!」
 必死の力振り絞るも、やはり…
「なら素直にしていろ。来い!」
 くっくっくっ…。背後に嘲る笑い声。
「瑞雲なりとも翔獣なりとも余には余る程、貸してもよいのだぞ?」
「結構!」
 振り向きもせず、鳳凰が長、広大の間をば退出す。

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(C)獅子牙龍児
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