帝釈天  (2)


 また、満天の星。ここは城の外。
 ―あのときと同じ…
 ルキに抱えられて。だが今度は余程、分が悪い。
「良元。」
「は、はい!」
 唐突の呼名。
「傷を見せろ。」
「いえ、大したことは…くぅっ!」
 いきなり傷口を掴まれ、激しく呻く。ルキの眼も険しく。
「相当深く斬ってしまったな。許せ。」
 まず雛を傍らにそっと降ろし、物も言わず自らの長衣の裾を裂く。…白い脚が覗く。
「ル、ルキ様!」
「これだけ血まみれではもう役に立たぬ。」
「あ、いえ、その…」
 赤面する良元に構わず、手早く止血する。…天界の住人にとりて、血潮は命の流れ。ただの傷ならばたちまち治癒し、長寿をゆるがす事もないが、出血の多さは神通力を減じる。下界ならば足りぬ分、他の血を入れるも可能だが、鳳凰鳥に血の余る者などまずおらず、与えた者が却って寿命を危うくもするのだ。
「よし。あとは…」
 さっと、背の翼より羽根の大きく見事なるを取り、以って目立つ深手をそっと撫でる。羽根の揺れる度、ふわり燐光、柔かに光りぬ。
「ルキ様、それ以上ご瑞を使われては…」
「何、暫く結界を張る必要も無くなったからな。」
 口の端歪めて。かのひとらしからぬ自嘲。
「井中の蛙、か。全くだな。」
「ルキ様…」
「吉祥苑の主となって、何もかも可能のように錯覚していた。が、所詮は私も鳥に過ぎぬ。」
「そんな、姉様は…」
「ああ、華蘭、」
 ようやく口が利ける程に回復した、雛の頭をそっと撫で、
「気付かぬ内に結界を支える力が減じていたのだ。たまたま、さほど外部に知られなかったとは言え、里を危うくしていた。全く天界一の武人が聞いて呆れる。」
「でも!」
 こぼれる、涙。
「あんなに出陣があったから…私のせいで、姉…!」
 皆まで言えず、抱き上げられる。
「何度聞かせれば分かる!お前は悪くないのだ!」
 ぐっと眼を釣り上げ、まず怒鳴る。
「お前は、大切な鳳凰の子だ。大切な私の養い子だ。」
 今度は優しく。
「お前は私の幸いだ。お前の喜びは私の喜び、私にはお前が必要なのだ。」
「だけど…皆が…」
 里での陰口が胸を刺す。
「里の衆とて同じことだ。…真に憎いはお前を狙う貴人面の欲深どもだ。」
 きっと眉寄せ。
「だが、我らの力はあまりに小さい。きゃつらを敵にはできぬ。さればこそ、行き場に困る恨みの念を、幼いお前にぶつけもする。」
 髪を、撫でてやり。
「お前に万一があって喜ぶ者など独りもおらぬ。」
「だからって…!」
 却って泣きじゃくる。
「姉様は苑を守って下さる大切なひとなのに!私なんて、歌と舞しかできない…」
 バシッ!
 一瞬何が何やら。突如頬に圧がかかり、じんわり熱広がり…徐々に、痛み、はれ。眼前には怒髪、というよりむしろ泣かんばかりのルキの顔。
「あ…」
 鋭い、平手だった。手を挙げられたのは初めてだ。
「この、分からず屋め!」
 再びルキの手が振り挙げられるのをただ呆然と見ていた。
 と。
 その手が止まる。それまで沈黙していた良元が、ルキの腕を掴んだのだ。
「ルキ様。」
 ふっと微笑む。
「全く、お変りありませんね。」
 その眼、主を案ずる僕より兄のまなざしに似て。いささか赤面するとルキも手を引き、そっぽを向く。その様にまた笑むと、雛に向き直る。
「なあ華蘭。」
「…はい?」
「お前は、ルキ様が弱くなられたら嫌いになるかい?」
「そっ、そんな!私、姉様のこと、何時だってお慕いする!ずっとする!」
 いきなりの問いに驚き慌てる華蘭を、軽く宥め。
「お前も、ルキ様が強いから大事な訳ではないな?」
「もちろん!姉様は姉様だから…」
「華蘭は華蘭だから、」
 言葉を中途で奪い、
「俺やルキ様はお前が好きなんだ。強いとか弱いとかじゃあない、お前がそこにいるから、だから好きなんだ。」
 心に染み入る言葉―

 それは、ある意味ルキの言葉よりよほど通らない言葉だった。理由にならない理由。だが。初めての平手に未だ呆然としていた華蘭の心中には深く響いた。
 もしも。ルキの両翼がもがれ、ただびととなっても。華蘭はきっと側にいようと思う。これは確信。
 殻を破った時。いや、生まれる前から、その声を聞きながら、想っていた。このひとに逢いたい、側にいたい、ずっといたい、と。
 その強さ美しさを見るにつけ、憧れが増したのは事実だ。だが、想いは始めから在った。

『華蘭は華蘭だから、』
『俺やルキ様はお前が好きなんだ。』

 ―私を…
 同じ想いを、ルキや良元が自分に対して抱いてくれた。そう感じると、冷えきった身体が、芯からぽっと暖まるようだ。
「それとな、もう一つ。」
 言葉が通じたを見て、良元。片目つぶり、
「ルキ様は何分言の葉の足らぬお方、しかも短気と来て、早く推し量るようにしないと…」
 ごつん!いきなり良元の体(たい)が沈む。
「兄様!?」
 何故かコブを作り頻りと痛がっている。と。
 ルキがにやりと笑って拳を突き出した。
「これが、飛ぶぞ?」
 くすっ。思わぬ茶目っ気に、笑みがこぼれた。
「華蘭まで笑うことはないだろう〜」
 情けない声を上げつつ頭さすりさすり、良元も起き上がる。
「ふふ、泣いた雛がもう笑(わろ)うた、だ。」
 笑いながらルキも。と。
「さて。」
「わ!」
 二つの声、同時。華蘭は腕の中、良元は肩の上。ルキがいきなり抱き上げ、立ち上がったのである。
「お、降ろして下さい!ルキ様!」
「その身体で飛べるのか?」
「飛べます!」
「ほう?ここに来るまでも既にぼろ雑巾のようだったぞ?」
「うっ…」
「姉様、酷すぎ〜」
「本当を言ったまでだ。おとなしくしていろ。」
「しかし!ルキ様の御羽は…」
「歩く。」
「!本気ですか?」
「ああ。私は足にも自信がある。」
 既に歩みを進めている。
「駄目です!いけません!何日掛るとお思いですか!」
「なら、途中で野宿でもすればいいさ。」
「そんな!無理です!」
「無理でも何でも、動かなければ帰れないだろう?」
「ですが、お傷に!」
「煩いな、少し眠っていて貰おうか…」
 ルキの大将物騒な拳を振り上げるまさにその刹那、遥か天空より輝ける流れ星。みるみる近付くその姿…。猛禽の眼力持つ豪の鳥、光点詳らかに捕えてにやり笑む。
「なあ、良元。歩かずとも帰れるやも知れぬぞ?」
「え…?」
 慌てて眼を凝らせば…これはこれは。迦楼羅の武者姿も凛々しい若者達が三羽ばかり急いて来たり。
 先陣を切るは、瑠達なりき。
「…よくよく命に背く奴だ。大事に備えて一兵たりとも苑離れるべからず…確かそう言い置いた筈だがな。」
「いえいえ、ルキ様の御身こそ、吉祥苑の一大事ですよ。」
 すかさず述べる良元にルキは照れた様に苦笑い。
 華蘭もまた…

 まだ、そこには笑みが確かに残っていた。

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(C)獅子牙龍児
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