兆候  (1)


「…辛くは無いか?」
 鳳(おおとり)の長が武人らしからぬ声で頻りに案ずる。さもありなん、紅の武者の大事の雛は病の床のただ中に在る。
「へい…き…」
 無理に笑みを作るが痛々しい。声も掠れ、常の囀り跡絶えてはや三日。高熱は下がる兆しもまるで見えぬ。

 あの喜見城での一件以来、華蘭の名声はいや増した。かの帝釈天が御執心、とあればせめて一目なりとも…と言うのが人情と言うもの。宴への招待の文は引きも切らせず、華蘭は己が享楽のためならで苑の安寧をこそ願って舞い侍る様にと相成った。成る程、ルキを悪し様に言い、事によると陥れんと企む腹黒の者共の心も美姫の舞いにて溶けたも事実。帝釈天も、あれで気が済んだかルキの出兵を盾にみだりに呼びつけるような真似は控えるようになっている。
 だが。雛が健気であれば在る程、その舞いに歌い、容色は日に日に増すばかり、およそ木石ならぬ天人達は貴賤を問わずますます華蘭にのぼせ上がる。やれ「我が後宮が姫に」、やれ「側室に」、果ては「妻を去らせて迎えよう」などと狂った事を言い出す始末。もっとも、畏れ多くも刀利天が主、帝釈天その人が狙うとあれば無下には出来ぬ…と言う事か、以前の様に隙を見て苑より盗み出そうとする様な外道は絶えて久しい。
 とは言え。
 ―性も定まらぬ子どもに妻になれもなかろうに。
 熱に苦しむ華蘭の髪を、飽きもせず梳いてやりながらルキは唇を噛み締めた。


「ルキ様!?…まだ、いらしたのですか。」
 呆れた様な良元の声。
「何だ、私がいては華蘭の病が長引くとでも言うのか?」
「また、その様な事ばかり…」
 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら…実際ルキはここの所、ほとんど眠ってもいないのだ…銀盥を卓に置く。そのまま華蘭の額を少しでも冷やそうと、布を浸して固く絞る。その慣れた手つきを見るともなく眺めていたルキであったが。
 突如形相が変わった。
「良元!」
「は、はい!?」
「はいではない!手を出せ!」
「え…いえ、これは…」
「いいから貸せ!」
 忠義な側近の手を無理に掴むと眉を潜める。
「…冷え切っている…私の事を言えた義理か!」
「も、申し訳ありません…」
「謝れとは言っていないぞ。」
 蒼ざめて畏まる良元の手を、己の無限の瑞気で暖める。
「そんな、ルキ様…勿体ない…」
「勿体ないものか、仮にもルキの大将が軍師、その両の御手ぞ!」
 大仰な物言いの中にも真摯が籠り。良元もそれ以上は逆らえず。

 何より、良元の傷はいまだ癒えてはおらぬのだ。

 鳳凰は寿命を持たぬ種族ゆえ、その者の齢(よわい)は量り難い。一見して頼りなげな青年の風のある良元とても、その実一族きっての長老である。所謂「老い」と無縁の一族とてもやはりしかし、倦む程に永きの歳月を重ぬれば些かの綻びも生ずるが道理、傷の癒えも決して早くはない。本来を申すならば斯様な者がルキ大将軍の遠征に付き添う事こそあまりな無謀。

 そうで無くともかの鳳凰、仔細あって常の者より虚弱な身体であり…

 ルキは、今一度幼い雛の苦しげな寝顔にそっと眼をやった。


「…良元、どう思う?」
「え…華蘭の、『病』ですか。」
 いつもながらに唐突な問いだが、長の「唐突」は重々承知している。そして…わざわざ、己に問うた訳も。
「ルキ様のご推察に間違いないでしょう。」
「私は何も言ってはおらぬ!」
 不自然な程きぱりとした物言いに武人の本音がにじみ出る。ルキとてやはり、不安は出来れば否定したいのだ。
 幼子。まだようよう七十に届くかと言う所、下界の尺度で申せばおよそ十二、ほんの子どもの筈である。されど華蘭の姿や如何に。手足すらり伸び、妙なる曲線描くは柳の腰、華のかんばせ今が旬とて咲き誇る。何も、当の本人は殊更装う事など何も無く、ただただ里の贄となりて望まぬ歌舞にひたすら精進の毎日だと言うのに。
「…何とかせねばな。」
 ぽつり、厳しき顔の長の声。ややあって、忠義の臣も力無く頷く。
 雛の苦悶。…尋常ならば齢八十程で迎える筈の変化の時が、恐ろしく早まっているのだ。

 天人の住まいし世は異な世界。下界にても天の住人の視線にて孕む娘も少なくないが、事実上つ世の色恋の沙汰は理不尽なりき。ただただ欲を含んだ眼で見るだけで、それは汚れた手にて肌まさぐるも同然の仕打ち。ましてや毎夜の様に酒宴に侍りし幼子が無事でいられる筈も無く。その無体がために、雛の心にも無理強いに、身体ばかりが育ちやる。…それも、歪んだ形で。
 変化の時が早まって良い事など一つも無し。華の雛(ひいな)も変化の時分に相成ったと、まかり間違って欲深の衆どもに知れたなら、まず間違い無く直ぐにでも無体をされるに相違ない。ただでさえ繊細なる幼子の、未だ世の荒波にも耐えぬ魂、それがその様な…考えるだに恐ろしい。
 しかし。変化の始まり早まれば、その刻限もまた早まるが当然のことわり。一族の、永きの歴史をひもとけば、やはり容色過ぎたる小麗人、変化を早くに迎えすぎ、結局は成人となれぬまま苦痛の内に命散らすは数多あり。
 相応しき想人が現わるならば悩みも消ゆるのだが。
「良き、伴侶を見つけてやらねば…」
「はい。」


「…お前ならば、手を打っても良いがな。」
「え……えええ!?」
「何を驚く?」
 正しく、鳩が豆鉄砲を食ろうたよな顔の側近を眺めてくつくつ笑う。
「華蘭もお前ならば否やは無かろうよ。」
「し、しかし!ルキ様、」
「良元、そら顔が赤い赤い。」
「…ルキ様…」
 冗談めかした言い種だが、満更嘘でも無く。長の本気も幾分窺えるだけに良元は心中複雑である。
 そうこうする間に里の者が長をば呼びに訪れて、ルキが大将退出の次第。弱り顔の良元を捨て置いたまま…

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(C)獅子牙龍児
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