歌舞競べ (1)
下つ国にはやはり時折凄まじき、獣なり乱なり人死にも多々、しかし翻って天人住まいし世界は倦む程に平安。さればこそ、耕す労も紡ぐ役も要らぬ閑人どもは、愉娯をば求めて騒ぎやる。
さる日、楽土全域に御触れあり。邑なり里なり各々より、歌舞音曲の上手を差し出だせ、以ってその技をば競わせん…と。見事最高位の栄誉勝ち得た者には、望みの褒美をたんと出す、とも。
「…如何な美姫なりとも随意なり、だと?」
きりきり、金色の眉怒りの相に吊り上がれり。手中の書状握り潰し…しかれどもルキが大将とて短気ばかりの武者にはあらず。今一度潰した物をば開き見る。
が。却って怒髪天を突き抜ける。
―上手を持ちながら隠したるは罰として、一族の者から見目佳きを帝の御眼の数選び取り、差し出すべし。即ち奴婢にせん…
「無体な事を…」
帝釈天が眼(まなこ)の数、そは千なり。対して吉祥苑なる鳥の数少なし頼り無し、鳳凰の里人全てを合わせたとて、やっとで百と言う次第。
考えても埒開かぬ。
「良元!」
頼みの知恵者とて、これなる外道を避ける策は無理かろう、だがさればこそ、少しでも打てる手あらば全て、済ませておきたいもの。大切な、大切な雛のために…
期日。星廻りの佳き日を選び、楽土は西の涯の無尽宮、贅を極めた七宝造り…しかも、主が如意に広くも狭くも自在と言う天の匠の手になる宝宮に数限りなく楽人集いてさんざめく。さながら春の訪れ祝う小鳥達の如く、しかれどもその心映えは清浄とはとても呼べず。
楽人の主、あるいはその者自身、各々心の内に逆巻く欲をば隠したり。金品財宝を望みて参上したるはまだ殊勝、尋常ならざる醜悪の眼にて辺りを盛んにねめまわす者も少なからず…
―如何な美姫なりとも随意なり―
誰もが、さる「美姫」の姿を思い描いて焦れていた。
さてはて。天人全てを飲み込みて余りある邸なれどやはり口は狭く少なく、自然の道理で客人全てが一時に入るは無理である。さればと、有色故事に明るき官吏が額寄せ、練りに練ったる序列が簿書、その記されし順に従いて者共静々争い無く、皆々無辺の広間に揃い立つ。
「ふん、故事に明るいが聞いて呆れる、ただ我らを見世物にするがため…さても千眼天は御高察…」
「ルキ様、御声が高い!」
「なに、構うものか。」
紅将軍朗らに笑う。
「天狗鳥の鼻をばへし折らん、常勝のもののふ頻りに愚痴る様など珍しき趣向…そう殿は思し召したのだ。その意に添うて何が無礼か!」
無論、常に比ぶれば幾らかは潜めている。だが。ルキをはじめとする吉祥苑の一行は、早くに呼びつけられさんざに待たされ、その間先を越して行く行列どもの不躾極まる好奇の眼に晒され続けていたのだ。
じろりじろりと胡乱げに見るはまだな方、その邪魔な衣など突き通して玉の肌をば拝みたい…とばかりに血走った目玉でぎとぎとねめる者ばかり。一々ルキが眼光の一睨みで払っていたが、華蘭はもう、怯えと怖れで色も無い有様。穏やかな性根の良元でさえ、怒鳴る心地を必死で抑える事がしばしばであった。
そうこうする内漸くにして、広間への許しが告げられる。
「姉様…」
ぎゅっと。ルキの晴れ着を掴む小さき手。
「怖いか?」
と優しく問えば。
「そ、そんな!私が自分で決めたんだから!」
きっと、背筋を伸ばし。…全くの虚勢と一目で判ずるが、それを突く気はルキにも無く。たとえ嘘でも気迫無くば、あの凄まじき欲に瞬時に潰されるであろうから…
そっと、一度だけ雛の手を優しく握る。はっとした様に動き止まり…そしてすがる様に握り返され…だが。入場とともに華蘭は自ら手を放した。
無辺の大広間、数限りなき眼が無粋に雛に注がれていた。
この歌舞競べ、滅多に拝めぬ出し物であるから、競技者のみならで見物の客も恐ろしき数である。豪気な帝釈天がまた、見たい見たいと集まる衆生残らず宮に入れたから堪らない、如何に無限の広さ持つ場とは言え、浜の真砂も適わぬ程の有様である。眼、眼、眼…楽人と言わず並人と言わず凄まじき数が華蘭の一挙一同に注がれる。それでも。
雛は健気に胸反らす。
「暫く、暫く!者共静まれい!尊きも尊き御方、帝釈天様のお成りなり!」
大仰なる仕草、奇抜なる衣装の露払いの後、千眼の主現われたり。自然、場の喧騒も霧散…たとえ自他ともに許す好色の主と言えどもやはり帝、雷光の使い手に相応しき威厳、草々を平伏さしめるに過ぎる程。
が。一同額ずく中唯一人、立礼する者あり。帝釈、にやり。
「いやさ、これはこれは鳳が長。健勝で何よりだ。」
ルキ、驚愕にざわめく場を一顧だにせず。悠々と翼も開きてそこに在り。
「傷の方は如何がかな?」
「既に癒えて候。」
「しかし戦も多くて辛かろう?」
「戦は武人が定め、心配御無用。」
「成る程成る程勇ましい…しかし、その装束、」
不躾にルキが姿をじろり。
「見事な縫い取りにその上化粧(けわい)…また、もののふの舞いをば見せようとの計らいかな?」
「殿の望みとあらば如何程にも。」
言葉の上では平穏に、眼と眼で打々発止。傍に控える華の雛も余波に打たれて震え止まず…だがかすかな声。
「…だいじょうぶだよ…」
「兄様…?」
「ルキ様を見てご覧。」
良元に言われるまま、そっと顔上げ盗み見れば…
武人らしからぬ華の装い、それでも一分の隙も無く。白絹の極上なるに吉祥苑の鳥々を千々にちりばめし地紋様、炎の瑞気に照らされて。光輝くは真空舞う鳥の如。瑞光に吹き上げられ、ふわり舞うは金色の、丈なす髪は後光の様。常と異なりその頂、武人が獲物の獣の角、匠の手により細工せし、さらには紅玉にて飾りし笄(こうがい)…ルキの髪を結い上げるのは、思う様流れる大河に堰を造るに似て酷く無粋に思えたが、きりりとした髷姿もまた潔く…
糸杉も勝てぬ立ち姿。華蘭は一時、我を忘れてみとれていた。
(C)獅子牙龍児