歌舞競べ  (2)


「さてさて、皆の衆、待ちくたびれて首もぞろりと伸びたろう。これより歌舞の競べを参ろうぞ!」
 じゅあん、じゅあん!合図の銅鑼も賑々しく。期待に疼く広間の衆、どっと湧いて屋敷の床地鳴りの如く打ち震え。…華蘭の身も引き締まる。
「さあささあさ静まれい、さてはて帝釈天様の御前である!」
 ぱんぱんやたらに手を叩き、騒々しきは先の道化。金銀の箔にて飾られし、眼にも綾なる書状をば、勿体ぶって広げてり。
「参らせい、参らせい!まず手始めに栄誉の先達、この目出度き日のその初め、競べ事の舞い初め、香喰い香喰い佳人を尋ねる…天下しろしめす喜見城が楽士、乾闥婆に水天女なりィ!」
 じゅああん、じゅああん、しゃんしゃんしゃらん!鳴り物に負けず劣らず一同一座、拍手喝采やんややや。

「帝釈め…」
 唇を噛みつつ吐いて捨てたルキがつぶやきも、喧騒の中…

 悠々と、奇怪な姿の乾闥婆と、その妻たる舞姫座に進み。
 中空自在に舞い躍る…


 割れんばかりの拍手の中、一人眉間に皺立てて、阿呆のよに喜び騒ぎやる者共いまいましく睨むルキであったが、ふと身近な異常に気が付いた。
「華蘭…華蘭!?」
 …震えている。小さく、細き肩が痛々しくぶるぶると。
「どうした、華蘭!」
 耳つんざく大音響、ちょっとの事にも大声上げねばまるで届かぬ。重ねて怒鳴れば…
「姉…様…」
「どうした!」
「私…私、無理…」
 涙さえ、ぽろぽろと。
「何を、薮から棒に…」
「だって、だって…私の舞いも歌も、あの半分も出来やしない…」
 無理もなかろう、乾闥婆の楽は格別である。かの帝釈が喜見城の楽士を勤めるだけあって、その才尋常では無い。妻たる水天女、かの婦人こそ慈雨の源、彼女の舞いなくば雨も霰も乾き切り、天も地も残らず干乾しと成り果てる。乾闥婆の楽、水天女の舞い…この二つなくば世は廻らぬと言う次第。
 さればこそ。帝釈が神は雛の心挫くを狙い、演目の初めに彼等の芸をば持ち出した。
 華蘭は紛う事無き名人である。しかしそれは時として仇となり…技量優れたる者は他所人の技量にも敏なりき。華蘭は歌舞の上手であるだけに、乾闥婆水天女の至芸の真髄、場の誰より確と判じ得たのである。
 実の所、雛は芸を供するを専らにして、他なる楽人の名手を間近に見るは実に珍しかったのだ。ただの波の貴人宅の、一寸ばかりの日銭で雇われた芋楽士…そんな輩ばかり見て、それに引き比べて己の技を誇っていたのも確かである。
 ―いやそなたの歌舞の前には我が宮の雅人どもなぞ野虱同然…
 在りし日の、帝釈天の言葉が蘇る。戯れの言の葉を真実と思い込み、舞い上がっていた…!
 と、がしり不意に肩を掴まれた。

「姉様…?」
「華蘭の方が見事だぞ。」
「姉様…」
 にいっと。武人の面に喜色広がる。華蘭の好きな、邪気無くして豪快な、日輪の輝きのよな晴れやかなる笑顔。
「私はな、如何な戦で疲れ果てようとも、お前の舞いを見、歌を聞けば立ち所に心安らぐ…お前の生まれついての姿や才も預かろうが、何より…」
 そっと、黒髪の滑らかに直ぐなのを慈しみ。
「お前が私を心底案じて私一人のために精一杯舞ってくれる。その心映えこそ私には嬉しい…」
「姉様…!」
 はっとする。そう、小さき小さき雛(ひいな)にも、天の誰にも負けぬものが一つだけある。
「お前は自分を無力だ余計者だと嘆いているが、私とて力に限りがある。何より今日のこの茶番、避けられずお前を巻き込んだは私の非力ゆえ…」
「そんな!そんな事無い!姉様は何も…」
「華蘭も悪くないぞ?」
 ほんの少し笑い、そして一転真顔で。
「お前に頼るは酷だと判っている、だが…私のために、一差し舞ってはくれまいか?」
「…ええ、姉様。」
 怯え何処やらきっぱりと。名残惜しげに今一度、大事の雛をひしと抱き締める武人の腕の中、華蘭はしかと心に誓う。
 …舞いましょう、命の限り。貴女のためなら…


「さてはて皆々皆の衆、両の眼あらば御覧(ごろう)じろ。百の舞姫千の美姫、何れ劣らぬ伎芸の主、残らずこの間に集まれり!…さあさこれより先は千華の舞い、魂(たま)も蕩ける浄土が景色、いざ!舞いの競べを参らせい!」
 じゅあん!じゅあん!じゅあん!野次馬どもの輪の中へ、麗しい舞い姫次々と、現われるにつれ一座の興奮いやが上にも高まれり。その中に…独り。
 華の蘭は静々と、なよやかな中にも誇り高く、ようよう生え始めた麗しの翼、惜しまず広げて足元も、風のよに軽げに進みたり。
 ―おお!あれが音に聞く…
 ―成る程、美姫も美姫…
 ―鳥が屠殺の将なんぞには勿体ない…
 ―今であれなら十年後、如何な麗人に育つかの…
 この場には華蘭を初めて見る者も少なくない。賞賛の言葉も常より多く…だが、その言葉は欲得と表裏一体…
 ―ますます欲しゅうなった…
 必ず、同じ言葉で締めくくられる。それでも。
 今の華蘭はひるまない。

 誰が何と言おうと何を不埒に考えようと、雛の心までは触れられぬ。雛の心…外見にはただ柔弱の徒とだけ見えしも、その奥底には炎あれり。いまだ若い炎なれど、凄まじく熱く…小さな胸は既に焦がれている。
 初めての、恋。
 子どもと娘のあわいに立つ、小さき雛。戦へ行くにも徒手空拳、なれども武器なら一つあり。恋の懐剣胸に秘め…音曲も待たず虚空へと。
 ざわめく一座。そして楽士が奏も始まりき。


 …審査の役なんぞ無用であった。技巧の良し悪しならば見る眼も要ろう、美しさなら好みも流行り廃りも種々あろう、なれど麗しの雛(ひいな)が舞いはその彼岸、長者が見ようが乞食が見ようが等しく心を打たれんげり。
 舞いの勝負は小半時、水時計をば目安にし、その間一つの過ちもなす事無く、舞い通した者を合格とする…筈であったが。
 誰も彼も…見物どころか舞姫も楽士も、天空軽やかに舞う宝玉にただ魅入り。競べ事の最中も忘れ恍惚の中、楽士の手も凍る中、己の中に鳴り響く、綾なる調べに従いて、ただひたすらに歌い舞う。そはさながら春の野の、胡蝶無邪気に風と戯れるが如く…さりながら銀糸細工の巧みに似て、名人鍛冶の刀に似て、何処より見ても隙は無し。

 敢えて例えるならば、匠が千年を賭して仕上げた全き璧か。

 ぴちゃり。水時計が最後の滴。…夢幻の時も終わり来ぬ。とは言え誰も、その場の誰も、声一つ発する事も出来ぬでいた。

 ばしり!しじまを鋭く破りしは大の美丈夫掌を合わす音。
「見事!その方の伎芸の技、以前にも増して婀娜なるぞ!」
 天帝釈、優れた声音は隅々まで届き。
「いやさ、その方と他な者達を共に舞わせたが不覚であった!見よ、舞姫舞いを忘れ、楽士も楽を忘れ…皆そなたを愛でる眼と変じた!千眼千眼、そなたの技を見るには我が千眼にても不足な程じゃ!」
 暫し哄笑。だが…
「しかし…舞いを忘れて何の舞姫ぞ?如何におおとりが雛が美麗名人とて、己が勤めを忘れ果て、見惚れ果てるとは何事ぞ!」
 雷光落つ。帝釈天が千の眼も、皆々凄まじき怒気含み、かっと睨む様鬼神の如く。…舞姫皆々震え上がる。
「さても無駄な輩よの。この者食扶持で蔵減らすもちと癪の種…いっそ、切って捨てようか…」
 ほんの、野の薄を刈るが如けき気軽さで、すっと挙げしは金剛杵…悪竜も一撃の元に仕留める刃が冷たく光る。…殺気。
 ―そんな!
「お待ち下さい!」
 雛は王者の足元にすがりついた。

「どうか…どうか御慈悲を!咎ならこの私にございましょう、それを…」
 帝釈、言葉皆まで言わさせず。いきなりむんずと顎掴み、やっとばかりに雛引き上げる。
「あ…!」
「ほほう…成る程増長の相見ゆるわ。」
「え…?」
「そなた、己の舞いを何と心得る?かほどの芸ならば民草諸共心奪われて当然至極、なまなかな者がその威力に抗し切れるものではない…そなたの振る舞い、その意より出るものではあるまいな?」
「あ…」
 血が失せる。
 ―そんな、大それた気は無かったけれど…
 だがそう突かれれば否定のしようも無く。何より一介の舞姫の分際で、帝釈天が断に否やを述べるなど…不遜も良い所。
「蛙の子は蛙と言う…養い親に似て大した思い上がりよの。しかし、」
 にたり、その身を眼で賞味。
「ここで誅して捨てるは惜しい…されば、」
 凄まじき笑み。
「やはり千の舞姫切り捨てようぞ、かほどの死骸の山見れば、さしもの天狗も角取れて、丸く変じてさぞかし御し易くなろう事ぞ!」
 かつかと割れる笑い声。そは雷鳴轟くに似て…
 ―私のせいで…!
 雛は恐れで今度こそ声も出ない…

「帝釈殿!暫し!」
 凛。冷え切った広間に涼やかに激しい一声通れり。

<<戻 進>>


>>「華蘭」目次に戻る

(C)獅子牙龍児
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送