緊那羅  (2)


 闇雲に走りに走り前も見ず、やがて当然の帰結として華蘭は何かにぶつかった。
「まあ!」
 柔らかい腕、女性(にょしょう)の声。…無論、ルキでは無い。恐る恐る顔を挙げれば今日の楽人の一人か、淑やかに着飾った婦人が雛を優しく見下ろしている。
「これはこれは…華蘭様にございませぬか?如何されまして?」
「あの、あの、向こうに…ああ怖い!」
 思い起こして震え出し、堪らず見知らぬ婦人にしがみつく。
「あらあら…何事でしょう?」
 婦人も困った様子で、それでもゆったりたおやかな仕草で雛撫でる。…如何に本日諸人浮かれに浮かれて騒ぐとは言え、仮にも帝釈天が住居、怪しき者の侵入なぞあろう筈が無い。それでも雛の怖がりよう、流石に気になり『向こう』を見る。…と。
「いやいや済まぬ済まぬ…全てこの馬面が落度でなあ…」
「まあ…」
 近付く馬頭の姿を見て、婦人ふわりと微笑み浮かぶ。
「もうし、華蘭様?御驚きも御もっともでございますが、あれなるはわたくしの夫(つま)なります故。」
「え?」
「我ら緊那羅の一族なりますれば。」
「あ…!」
 雛、合点。
 …すっかり失念していたが、緊那羅は不思議の一族、女人は麗しき姿なれど何故にか、男は残らず馬の顔。馬は馬でもなかなかに美男の馬ではありながら、やはり馬面その顔で美女を妻とし楽を奏すが愉快なりと人は言う。
「私…私…無礼を致しました!」
 顔から火が出る汗が出る。
「いやいや勿体無い、偏にこの…」
 言いかける緊那羅男耳ぴくり、何やらどやどや聞こえて来る。
「華蘭ー!…華蘭!?」
 …大事の雛を追いかけて、鳳凰が長に軍師駆けつけたり。


「…いや、これはとんだ粗相を、されど雛の幼きに免じて戴けまいか?」
「それは勿論、咎は全て…」
「うむ、確かに馬面。」
 かか、二人して豪快に笑う。さもありなん、互いに知己である。
「それはそれとして…華蘭!」
「は、はい…」
 笑顔一点鬼の顔、とは言え非は明らかに自分にある。
「この様に那羅王殿や那利妃殿であったから良かったものの、この場におるは善人ばかりでは無いぞ!勝手に出歩くは慎め!」
 瞬時首を縮めた華蘭であったが…ルキの言葉反芻し、大事に気付いてはっとなる。
「那羅王様に、那利妃様…?」
「その通り、この御両人は緊那羅族の長殿だぞ。」
「ええ!?」
 小さな身体、さらに縮む。

「私、私…」
「うむ、この一件、一寸ばかり語り草になろうぞ?」
「まあルキ様、幾ら華蘭様が御可愛らしいからと言って、そんな苛め方はいけませんわ。」
「左様、左様、何より我ら、ルキ様には大恩ある身。」
「え…姉様が?」
「こら馬面殿、口が多い!」
「…以前、那羅王様が貴人のお供で下界下りをされた事があってね、その折りに凶獣の群れに追われて…」
「待て、良元お前まで!」
「でも本当ですのよ、わたくしもこの人も覚悟を決めた正にその時、天空からひらりと…」
「皆いい加減にしろ!」
 照れる照れる頻りに照れる。その照れる武人を改めて見上げる。
「知らなかった…」
 白桃の頬、淡く紅。黒曜石の瞳も憧れに潤む。
「姉様、本当に素敵…」
 百戦錬磨のもののふと言えど、幼き雛の一途な憧憬にはぐうの音も出ず…
 赤くなった。

「…それはそれと致して、華蘭殿、一体全体何故にこの様な場にまで逃げられたのだ?」
「それは…」
「なに、馬面殿の顔が恐ろしゅうて恐ろしゅうて、その一心。」
「はは、ルキ様も相変わらず御口がきつい。」
 一頻り笑い、ふと真顔。
「まさか…歌舞の順の事ではあるまいか?」
「…!」
 図星である。

「…口惜しい、馬面殿にもそっと大きい貸しあればなあ…」
「はは、成る程我らに手心を加えよ、と?しかし華蘭殿なれば…」
 朗らかに馬頭を揺らす那羅であったが、不意にルキが大将あまりに真摯に眼を向ける、その視線が痛さに押し黙る。その様に、ルキ却って苦笑。
「いや、失礼した。今の言葉忘れてくれ。」
「しかし…」
「いや。」
 今度はきぱりと。
「帝釈天を黙らす程の貸しなんぞどうにも望めぬ…」
 …沈黙、落つ。

 たとえ緊那羅達が手加減をしようとも、帝釈天が千眼は誤魔化されぬ。然らば…恐らくは事の露見に伴いて、緊那羅一族郎党、如何に呵責な罰被るや知れぬ。

「忘れてくれ。」
 重ねて、ルキ。そっと華蘭の手を取った。
「今日は世話をかけた。御免!」
 立ち去る姿に…緊那羅が二人、そっと眼を交す。傍から見れば瞬時の事なれど、仲睦まじき鴛鴦夫婦には十二分。
「あの…お待ち下さいまし。」
「…何だ?」
「せめて、これを。」
 さっと、那利妃細布ルキに差し出したり。
「これは…」
「ルキ様の御腕が人目に晒し者になるは口惜しゅうございます、されど華蘭様の御歌舞には天衣必須でございましょうに。」
「いや…これは…」
 さほど高位の一族では無いにせよ、仮にも妃の晴れ着の一部である。
「我らルキ様の御恩に何ぞ報いる事が出来ませぬ故、これは咎料なりと…そう思うて下されば。」
「那利殿…」
 緊那羅が心映え。武人も素直に受け取った。

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(C)獅子牙龍児
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