緊那羅  (4)


「かたじけない。」
「いやいや。」
「ほんの、悪戯ですの。」
 まだ、衣装は芝居のまま。それでも緊那羅夫婦の得難き徳は、塵ほどにも損なわれぬ。
「この…」
 返そうと、左腕へと伸ばした手が、那利妃のたおやかな腕に制された。
「よろしゅうございますのよ。」
「いや、だがしかし…」
「御恩返し、そう思って下され。」
 深々と、那羅王。…武人、眼瞬き、常に無い程いたたまれぬ様子。
「その恩は…」
「いや、まだ足りぬ次第で。…那瑠(なる)、こちらに。」
 呼ばれていそいそ駆けつけたるは、若き小さな娘。
「ああ、先程の…勇敢な。」
 帝釈天にも一歩も引かず、朗々と口上述べ見事に調べを弾き通した見上げた娘。
「いやお恥ずかしい…不肖の娘で。」
「なんと!それはそれは…」
「この通り、まだ子どもで…夫(つま)、と思い定めた相手も無く、舞い手で無しに弾き手の列に加えましたの。」
 ぺこり、頭を下げて。紅の武人を前にしてもその様子、気後れなど微塵も無い。加えて、はきはきと述べる。
「ルキ様は私の命の恩人ですから。」
「なに?」
「…ルキ様の御手を煩わしたあの折、この子はわたくしの中にまだおりましたの。恐ろしくて恐ろしくて、産まれる前のこの子まで震えて震えて…遂に息をするを止めまして。」
「息を、か?」
「左様です、私は一時は死んだのです。」
 けろりと、那瑠姫。
「ああ、子を失って何ぞ生きる道…と、自棄な思いも掠めましたが、」
「そこへルキ様の御到来…難事が去ってふと気付けば、このお調子者め、何事も無かった様に心の鼓、叩いておった次第で。」
「それは…何よりだ。」
「全てはルキ様の、御瑞の御陰です。」
 言うなり快活の姫、懐より大事げに取り出したる…麗しき、羽根。
「あの時、恐怖のあまり魂まで凍えておりましたが、こちらの御羽根、一撫ででたちまちに文字通り生き返る心地…何と申し上げたらよろしいか、見当もつきません。」
「これは…」
 それは、紛う事無き鳳凰の、ルキが大将の癒しの大羽根。血の気の全く失せた那利妃の身体を慮り、治癒に用いその上そっと、見舞い代わりに置いて来た、正にその羽根であった。
「私は充分健やかに育ちました。機会も見つからず、長々とお借りしておりましたが、今こそ…」
「いや、」
 差し出す羽根をやんわり戻す。
「この羽根も、那瑠殿の元に留まるが幸い、そう思うておるだろう。それここの、」
 と、背中の翼指す。
「羽根達よりよほど大事にされるに違い無いからな!」
「…全く、ルキ様の無茶は大したものですからねえ…」
 ルキの言には良元も苦笑。緊那羅親子もまた、釣られて笑んで羽根納めた。

「しかし、やはり大した度胸の姫だ。怖じけ心の欠片も無い。」
「はい、その様な心は一時の黄泉下りの折、冥府の淵に捨てました。」
「はは、ますますきっぱりしているな!」
「いや、それがいささか弱りの種で、ずばりずばりと口を利くものですから、我ら夫婦は冷や冷や、冷や冷や。」
「…ひょっとするとその御気性、ルキ様の御瑞に当てられた、その故かもしれませんよ?」
「そりゃますます面白い!那瑠殿、是非ともその羽根、確と携えているのだぞ。」
「はい。」
「…また、無責任な。」
「それにつけても、だ。那瑠殿の楽曲は見事であった。その歳でその腕前…」
「ええ、御褒めに預かり光栄ではございますが、実は舞いと躍りはなかなか不得手で…」
「ほう、それは難儀な。」
 ほんと一時、物おじ知らずの那瑠姫がわずかに口切り羽根を見た。今、正式に姫の手に贈られし、武人の勇武の羽根。
「この羽根の御恩寵を頼りに、重ねて我がままを聞いて戴きとうございます。」
「こ、こら!」
「那瑠、なんて事を…!」
 狼狽の両親他所に。
「華蘭様の、御羽根を…一枚ばかり。」
 雛の瞳が円くなる。

 青く赤く、常の平穏振りが嘘の如く慌てる夫妻を他所に、ルキの大将悠々と。いっそ、笑顔すら浮かべて姫を見る。
「それはまた、思い切った事だ!この世で一等高い物を。」
「はい、さればこそ身に帯びれば気も引き締まり、尊き品に恥じぬよう、精進にも熱が増そうと思います。」
「成る程成る程、理屈ではある。…華蘭、」
「はい、姉様。」
 問われてにっこり、華の雛。初めの驚きから覚め、既に那瑠姫の隠れた心遣いにも気付いていた。

 華蘭は鳳凰、天界随一とも謳われる舞い手である。後見には比類無き武者、ルキが付く。…とは言え。
 瑞鳥瑞鳥ともてはやされる鳳凰とて、神々からすれば唯の鳥、畜生に過ぎぬ。ルキもまた、貴人達には悪し様に、羅刹さながらに言い立てられる。華蘭自身、その舞いを褒めた客人が、その舌の根も乾かぬ内にやれ傾城それ傾国と下卑た笑いで言うのを幾度も耳にした。結局は…華蘭は唯の非力な雛に過ぎぬ。
 その、雛に過ぎぬ華蘭の羽根を、気の遠くなる程永い時、代々神々の耳目を慰めて来た、神聖なる緊那羅が姫が所望するのだ、歌舞の上達を願って。

 これ程の果報、これ程の力づけが他にあろうか?
 …まして、雛は舞いの重責に、心も潰れる心地でいたのだ。

「とても名誉な…恥ずかしい位。」
「だ、そうだ。が、生憎至極、我が雛は大事を控えている。ほんの、小さき初の羽根一枚、それでよろしいかな?」
「はい、勿体無い事です。」
「では…」
 細い手を、そっと。背の翼に…
「ま、待って下され!そ、その様な…」
「そうですわ!那瑠!」
 慌てて心も無い様子、仁智勇兼ね備えたる徳者とて、動転すれば気も回らぬもの。娘の機知に気付かず慌てふためく緊那羅に、鳳凰達も弱って笑う。
 結局、知恵者の良元場を納めた。
「どうか御両人、気を沈めて。華蘭にも、贈る喜びを味わわせてやって下さい。」
 そして…軽く目配せ。
 回廊奥深く、目付らしき者の影がちらほらするのだ。

 如何に由緒正しき緊那羅族とは言え、帝のほんの一存で、如何な目に遭うやも知れぬのだ。危険なルキの郎党と、殊更親しい様子を見せれば…
 さればこそ。聡き娘の那瑠姫は、両親にも告げずにこの所業に踏み切り、騒ぎを引き起こした。遠目に見れば、おそらく深窓育ち故に物知らずのお転婆姫が、純な好奇心より鳳凰が一行に無理難題吹きかけた、それを両親取りなそうとおおわらわ…そんな次第に見えた筈。


「鳳凰、鳳凰!何処ぞにおる!」
 道化の不躾な呼ばわり声。
「今参る所だ!三度と呼ぶな、大概にせい!」
 ルキが一喝、たちまち静寂。一度だけ、にいと笑い。
 立ち去る。

 緊那羅一家、密かに礼…


「姉様。」
「ん?」
「私、踊れる。他の誰よりも、きっと上手に舞って見せる。」
「…ああ。」
「だって、私…この世界で一番の舞い手だもの。」
「華蘭…」
 紅の将軍をしっかりと見上げて。雛は、華の様に微笑んだ。

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(C)獅子牙龍児
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