今生楽 (3)


「華蘭、しっかりしろ!眼を開けてくれ!」
「華蘭、その瑞気の嵐を…頼む、このままでは…!」
 帝の前も忘れ果て、駆け寄る鳳凰主従の呼び声も虚しく…幼き雛は火焔の中。己の命削りし紅火の炎、そのまま今は身すら焼く。抱えた小さな身体が灼熱地獄、熱に揺らぐ視界の奥、堅く堅く閉ざされし儚き瞼見える…佳く化粧(けわい)し愛らしさすら、今はひたすら痛々しい…

「華蘭!!逝くな!私を置いて逝くな…もう、私を独りにしないでくれッ!!」

 …闘神と、獄界の鬼とも称されし。剛勇無双の紅将軍…その眼にも、涙。その稀有に清き滴とて、燃ゆる雛を救いはせぬ…業火の壁に遮られ、雛の頬にも触れられず。

「私は…私は…」

「また…たった一人すら、護れないのか…ッ!!」

 己の身すら焦げるも構わず。涙にくれし鳳凰が長、小さき力無き身体を…力の限りに抱き締める。

「華蘭!!」


 …と。ざらり、背後で音がした。


「な…ルキ様、あれは一体…!」
 良元の叫び。ゆらゆらと力無く顔挙げれば…こは如何に!舞の広間に青海波、怒涛の勢い未曾有の奔流…何処を発したものにやら、こちら目がけて唐突に!
「ルキ様、お逃げ…」
 良元とて皆までは告げられず。訳も判らずとにもかく、紅将軍御大将、両の腕にて雛と従とを確と抱え。足でむんずと踏み止まり…そこへ、ざばあと天突く青の大海嘯、吉祥の鳥をば無下に襲う!
 たちまちに。三羽の鳳凰、波間に消ゆ…



 天帝釈をはばかりて、場の誰もが無言である。
 一体、今の大水何処より生ず?それもあれ程の…大海の潮、そのまま引き入れたかの如き凄まじさ。華の舞台は既に海、青き波のたゆたうばかり…
 漸くにして、水静々引き始める。何処よりか生ぜし青の海、また何処にかするする消えて行く…
 そして。
 ―おお…!
 どよめき広まる舞の間に。大海過ぎ去りしその後に…
 鳳凰が長、きりり立つ。


「なかなかどうして、見事なものよ!あの荒波にすら、堪え切るとはな!」
 笑みを含みし大音声、確かめるまでも無くかの帝釈天。負けじときっと見返さん、紅大将振り向くが…
「…なっ…!」
 驚愕。…さしもの勇士も眼を疑う…

 ―何と、流石は帝の御力じゃ…これは真に稀有の眺め…
 ―あれよ、あれこど千眼天様の御大力、天界無双の神通力ぞ…

 広間にざわめき広まらん。如何にも如何にも、皆強大無比の天帝釈、その神威の様を間近くしては…驚くより他は無い。
 帝釈の、手に…かの大刀。一時とは言え、鳳凰長の腕奪いし豪の品…
 その、鋭き切っ先より。滴静々ぽたぽたと。…成る程、名刀自ずと露生じ、血糊刃に張り付くを防ぐとは音にも聞くが。いやこれは凄まじき事、露の滴地に落ちるなり…たちまち池の如き水へと変化する。
 天帝釈、力の主なり。高だが刀の生みし滴すら、神秘で以って大海と成さん…

 紅将軍すら。その様前にし色も無し。


「どうした?言葉も忘れたかに見える!」
 呵呵と大いに笑われても。咄嗟に返す口が無い。
「しかし…その方の武芸の精進、さても見事なものよ!」
 今一度の哄笑の末。天の帝釈、刀投げ捨てる…と見えた。

 だが。
 地に付くよりまだ早く、刃(やいば)ぐなりと形変え、あれよあれよと伸び広がり…どどう、地鳴り激しく落ちし時。既に、その形(なり)がらり変え…
 …一頭の巨大なる蛇(くちなわ)、広間にぐたり横たわれり。

 ―ひいい、何と何と大蛇なるぞ…!
 ―ああれえ、喰われてしまう、逃げねば逃げねば…!
 大平楽の閑人ども、あまりな事態に我先に、広間去らんと扉へと。愚かな見物どもの大慌て、広間の口は阿鼻叫喚。ただ唯一動ぜずは、蛇に間近い鳳凰の衆。
「あれは…かつて世を悩ませし、毘利杜羅の蛇では?」
「何!?」
 驚きに見返す間もあらばこそ、地に伏せしくちなわ、鎌首もたげて襲いかからん!
「静まれ!」
 鋭き大音声とともに…王者事も無げに大蛇の身をむんずと掴み…投げ上げ鋭く床に打ち付ける!わずかな痙攣の末…さしもの悪蛇も眼を閉じぬ。
 豪で鳴らした武人の鳳凰とて、この有様には言葉も無し。

「いやさ大したものよ!」
 ククク…玉座の帝、喉鳴らす。
「良元とやら…明察なるぞ!如何にも、このくちなわ…かつて余が手ずから倒せしもの!今の今とてこの通り、隙あらば暴れんとする厄介な輩よ!」
「まさか…」
 帝釈天の大蛇下し。それは刀利天に住まう者なら誰彼も知る…太古の昔、帝釈天自ら出陣し。地上の露を残らず飲み込み大旱魃を引き起こせし、極悪無比たるかの悪蛇、それを見事に討ち取った…古き時の物語。
 その、大蛇が面前に!

「いや、驚かされたは余の方、全くもってもののふぞ…あの大蛇を化身せし、豪の大刀筋身に受けて、持ち堪えて見せるとはな!天晴ぞ、鳳凰将軍!」
 ばしり、ばしり!大の偉丈夫高座から、両の手ばしりと打ち鳴らす。これにはさしものルキ大将も、かの武家舞にて相方成して受け止めた、あの大の刀が正体を知っては…覚えず、己の腕をじっと見る。
 と。
「さらにはその方果報者!見上げた軍師を得たものぞ!」
 主の傍を一歩も引かず、同じく天の帝釈を、きっと睨みし良元を見やる。
「柔弱の徒と思いしが…いやさいやさ、性根の座り、見事である!…さて、」
 帝釈天が、手を挙げる。すると柱の影より…強力二人。たちまちルキの血が昇る。
「おのれ!先刻の…」
「左様左様、その方の大事が軍師を縛した者ども…だが、」
 千眼天、帝釈網をばむんずと掴み、そのまま無体の強力、はっしと打つ。
「何!?」
 強力の。身の輪郭…不可思議に薄れ。その身体、見る間に姿を変じて行く!
 見上げる程、いやさ天突くその威容…まさしく!
「…金剛…力士…」

「如何にも!」
 いっそ朗らかに応ずる帝釈天。
「変化(へんげ)せしとは言え、その膂力にいささかの衰えも無い!主がための無我夢中とは言え…良くぞ逃れて見せたものだ!」
 豪快なる笑い声。鳳凰達は、呆然とするより他は無い…

「そして…何よりの驚きであった…」
 千の眼(まなこ)が一斉に、鳳凰が長の腕の中を見やる。
「…!華蘭!!」
 慌てて雛を確かめれば…弱ってはいるものの、業火は全く消え去り。…ただ、その幼き身体が幾分熱帯びているが唯一の名残…
「左様、余が倒せし大蛇…奴め欲深にも大海の水、残らず飲み干しおった…それを吐かせて漸くぞ、その雛がほむらは消すにも難儀…流石は天下無双の大将が秘蔵、歌舞音曲のみならで瑞炎までもが並ならぬ!」
 じゃらり…いまだ声すら出せずに驚愕の、鳳凰達を他所にして、神力長けし帝釈天、己が名冠したる…帝釈網をば掴み取る。青の剛玉さらさらと、涼やかなる音立てきらきら煌めく…だが、この玲瓏たりき宝の網こそ帝釈天が真の深秘(じんぴ)、かの強力の力の顕現なり。
 その不思議の網が。いまだ、諦めも悪く地をもがく、件(くだん)の悪蛇を…はっしとばかりに打ち据える…して、此は如何に!
 何と…雷電帝の御大力、瞬時の内に巨蛇消しやり。代わって中空に、現われ出でたるは…優れたる、槍。その形、刃の鍛えも見事なれど、何より眼に驚きは…かの切っ先より常に露、しとりしとりと滴る様…
「己の滴で以て、刃を汚れの血より護りし武具…その方も、耳にした事があろう?」
 くつくつと、さも楽しげに帝釈天。
「今宵の趣向、久しく無き程に愉快であった…是非とも褒美を取らそうぞ!」
 と。腕にて滴の槍をしっかと掴み…鋭く投擲、鳳凰へ!
 無論、鳳凰が長…武勇猛きルキが大将、慌てず騒がず確と受け止めり。
「帝釈殿、何故(なにゆえ)斯様に過分な恩賞を!我らとて土地もある、財もある…施しなぞ無用!」
「これはこれは、固い事を言う…なに、その方が武家舞と稀なる艶姿、さらには軍師の望外なるもののふ振り…それが余の千眼愉悦せしめた、ほんのその礼よ!」
「だが…しかし!」
「おお、これはこれは辞退とは!いやいや見くびって貰っては余とて困る、有り余る財宝が山に比ぶれば、槍の一つ蚊程にも足らぬ!」
 笑いながら語りし帝釈天。事実さもありなん、成る程かの雷電帝、流石は刀利天が全き主、蔵には金銀七宝唸る程。むしろその事実を突きつけられ、引き比べて己の卑小さ嫌でも自覚…
「く…」
 拳握りし鳳凰を、さも愉しげに見下ろす帝釈天…

「しかし…のう、鳳凰の?」
「重ねて何を!」
「いやさ、そう睨むな恐ろしい!」
 白々しくも天帝釈。
「何、歌舞比べの勝敗決したと言うに…肝心の、勝者の望みはまだ成らぬ…さても寂しき事だ…」
 ぎろり、千眼残らず雛を向く。その眼圧のあまりな強さに…さしものルキもたじろいで、咄嗟に雛を抱え直す…と。
 千眼効いたか、強く抱えたが吉だったか…華のひいなが身じろぎ一つ。さらにゆるゆる瞼を開ける…
「あ…?」
「華蘭!」
「姉…様…?」
「気が付いたのか…良かった…」
「兄様…も?私は?」
「華蘭、良くやった…お前は終いまで舞い通した!」
「勝ったんだよ、華蘭。」
「私が…本当に?」
 嬉し涙に暮れる吉祥鳥…喜びは暫し、辺りへの注意を忘れさせた。
 それ故。近付く足音に…暫し気付かず。

「まこと、見事であった…勝者に相違無き事ぞ!」
「…!」
 我に返りしその時既に。…千眼天は間近くいた。

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(C)獅子牙龍児
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