天体の遭遇 (3)


 荒っぽい賛辞を浴びせられて、上機嫌で応えていた青年だが、当初の目的を思い出し、慌てて後ろを振り返る。少女は…無事と言えば無事だったが。
 全身が痙攣するように震えている。立つどころか、胸元を小さな手で押さえ、殆どくの字になっている。呼吸が異常な程忙しなく、顔色が真っ青で、愛らしい唇が紫に変じている。身に降り掛かった思わぬ事態、眼前に繰り広げられた凄惨な活劇…いずれも幼い心の許容をはるかに超えるはずで、気が緩み身体が理性の制御を外れた今、耐えていた衝撃が小さな体を押し潰そうとしている。
「あ…ありが…と…ご…」
 恐らくは渾身の力で顔を上げて恩人を見つめ、苦しい息の間にも必死で礼を言おうとする礼儀正しさが今は痛々しい。言葉を紡ごうとすればする程、少女の様相は火急を要する状態に。
(こりゃあいけねえ…)
 瞬時に少女の様子を見て取ると、男には似合わぬ刺繍入りの白絹の手巾を取り出し、素早く屈んで少女の口に押さえつける。
「!」
「…ゆう〜っくり息を吐きな。ゆっくり、ゆう〜っくり…」
 若者の静かな、優しい声音、穏やかな瞳に、少女は言われるままに息を吐く。
「今度は吸ってみな。ゆっくり、ゆっくりな」
 その通りに深呼吸を繰り返すと、不思議とあの息苦しさが氷解して行く。二度も自分を救った青年を、改めて見上げる。気付いた若者は、また太陽の笑みを返す。
(こんな奇麗な方なのに…あんなにお口を広げては台無しでしょうに。)
 内心いささか失礼なことを考えた少女もふわりと笑む。元が佳人であるだけに、華が開いたかの様。その様子に、過呼吸は収まったとルクスは布を外し、手を添えて少女を立たせてやる。
「さてと、嬢ちゃんにはこんなトコは良くねえな。何があったか知らねえが、もうちっとお上品な店がいいだろ」
 脱ぎ捨てた外套を拾って着こみ、少女を促してドアに向かう…ごく自然な行動に一人、眉を吊り上げた人物がいた。
「おい!英雄の兄さん!」
 大声で呼び止めたのは酒場の亭主である。
「いや、あんた確かに凄腕だった。あんたの話はてっきりほら話と思っとったが、全く掛け値なしの真実だった」
 加えて、うん、うんと頷く様子に根は単細胞らしい青年は喜色満面。
「だろ?自分で言うのも何だが、俺は、ま、当代きっての戦士で千年に一度の美形だな!」
 しーん…
(…言い切りやがった…)
 余りにあっけらかんとした台詞に、流石に一同脱力する。
「…そういえば、『太陽のルクス』ってのは、存外煽てに弱くて直ぐ図に乗るって聞いたぞ」
「ああ、あと装備なんかおざなりにして見てくれの方に手間ひま金を惜しまないって話もな…」
 ひそひそ話が酒場に広がって行くが、当の本人は馬耳東風。都合の悪いことは聞かない耳らしい。
「まさに神業だ…達人の技を拝めて全く眼福」
「いやあ、本当のコト言うなよ〜照れるぜ!」
 美形が台無しの、弛みきった笑顔。とても達人には見えない。
「おまけに今日の戦いは見事な人助けだ」
「だろ、だろ!」
 もっと褒めて♪と言わんばかりの様子で親爺の次の台詞を待つ能天気な青年の側で、どうも変だと察した少女が心配そうに青年と亭主を交互に見る。
「そんなお人が、たかが銅貨三枚ばかりをケチる筈ないなあ?」
「げえっ!!わわわ忘れてた!」
 瞬時に、少々哀れなほど真っ青になった青年が慌ててカウンターに駆け寄り、大慌てで隠しを探る。
「金、かね、カネ〜!」
 必死になって財布を探す様子に親爺も苦笑する。どうやら、わざとではなく本気で失念していたらしい。とても夜郎党を退けた猛者には見えない。
(はは、何だか憎めねえ若僧だ…)
 もう一人、成り行きで置き去りにされた少女も、手持ちを探す青年の悪戦苦闘振りを見守っていた。そして、ほんの少しの躊躇の後に駆け出す。
 トットット。
 纏足でもしているのか、酷く小さく固い靴で小刻みに駆けてくる。気付いて振り返った青年と亭主の前に、何処に隠していたのか上質の加工を施した皮で出来た金袋を差し出す。
「あの…」
「うわっ!待て待て!」
 慌てて自分の外套で袋を隠しつつ、小声で小言を言う。
「そーゆーモン、気安く他人に見せるんじゃねえ。盗めって言うようなモンだぜ」
 そして少女の手元に押し返す。
「俺だってこれ位は払えるしよ」
 その台詞に、少女は赤くなってうつむく。が、意を決して顔を上げ、さらに言い募る。
「ルクス様には大変なご迷惑をお掛け致しました。私などのために、かの皇国の兵士と事を構える窮地にあなた様を追い詰めてしまいましたことを心より深くお詫び申し上げます」
 深々と、おそらくは異国の様式の、たおやかな礼をされて青年が逆にあせる。
「いや、その俺はだな…」
「かような事態になりましては、ルクス様のお仕事にも響きましょう。それがためにルクス様が困窮なさるようでしたら…私、悔やんでも悔やみきれませんの…」
 幼い声と唇が、歳にも似合わぬ才知で、傭兵の誇りを傷つけぬよう慎重に言を継ぐ。…実際、青年は少々暴れすぎたかもしれない。強国の顔色を窺うばかりの小領主などは、ほとぼりが覚めるまで問題の人物を遠ざけようとするだろう。
(これは…言われて見れば、ちょっとまずいかもなあ…)
 急に心細げに、つい虚空を見上げた青年に、ここぞとばかりに少女が畳み掛ける。
「何分幼少の身、ルクス様に良き士官の道を差し上げることも罷りなりませんから…。まことに、ルクス様の御心労を和らげる役にも全く不足にはございますが、私などのために被られました事への補償と致しまして、心苦しくも微々たるものですが、お納め戴けましたら幸いにございます」
「おっと、そう来るかい…」
 小さい身体に見合わぬ見事な論法に苦笑しつつ頭を掻く。確かに向こう一ヵ月全く失業する羽目に陥れば、これ位の金がないと厳しいだろう。もっとも、青年の場合は着物を売るだけでもそこそこの額になるのだが、この天下の洒落者は餓えても伊達は通したい、実にわがままな性分だった。
「いいじゃねえか。貰っちまいな、兄さん」
 傍らで少女の弁舌を感心しながら聞いていた親爺も口添えする。実際のところ、店を預かる亭主としては客の懐が豊かになるのは大歓迎である。誰しも、大金が入れば気前良くなるものだ。
「ん〜、そだな。でもま、嬢ちゃんみてえなコに、『補償』なんてえ堅苦しい言葉は似合わねえなぜ?俺が嬢ちゃんだったら、まあ、そいつの肩ァ叩いて、『悪かったなあ、今夜は奢るぜ』って言うトコだがな」
 しきりに照れて頭を掻きながらも、青年は少女の心遣いを受け取った。
「じゃ、行くか、嬢ちゃん」
「はい…」
「おっと待ちなよ、あんたら何処行く気だ?」
「へ?何処って別に…」
「『もうちっとお上品な店』かい?」
「うっ…」
 じとりとした視線に、上機嫌の青年がまた青くなる。確かに口が滑った。
「うちはそりゃあ子供が来ていい店じゃあないが、居ちゃいけない店とは違うぞ?」
「そりゃあ…ま、品物の質が良いってのは認めるけどさ、」
 さりげなく客の囲い込みを計る亭主に対抗できる言葉を探すが…
「第一そのお上品な店とやらはもうじき閉店だろう」
「何だって!?」
 親爺が顎をしゃくる。その先の小ぶりな水時計は…多少の狂いを差し引いても…夕刻というよりは明らかに「夜」と言うべき時間に差し掛かったことを示していた。
「げ!」
 子供、それもお嬢様が入店しても違和感のない高級店は、酔いどれを防ぐために早々と店終いをする。何分金持ち相手の商売だから、あくせく稼ぐ必要もなく、それより高価な調度品を傷つけられるような事態のほうが損害になる。だが、冷静に考えれば、水時計の時刻はまだそんな時間まで、たっぷりとはいかないにせよ、間が残っていることを示していた。
「って、いくらなんでも早すぎだろ?」
「ああ、あんたこの町来たばっかりだろう。ここ数年のことだが、ああいう店は半時ばかり閉めるのを早めちまったのさ」
「半時ィ!…て、言ってもよ、俺が来たときゃまだ随分早かったんだが…」
「兄さんの手柄話は馬鹿に長かったからなあ…」
「うっ…」
 その後の事件も長かったろ、と言い返そうとして、少なくとも彼が行動を起こしてからは割合速く解決したことに気付いた。暫くの間、悪党を野放しにしていたのも自分だ。
 
 無論、同じ高級でも純然たる酒場ならばまだまだ営業中のはずだ。ただ、何れにせよ良店はここからかなり歩く大通り沿いにある。
「表の通りには自警団がいるぜ、兄さん。…あんた、そんな小さな娘さん連れじゃあ連行されるぜ?」
「おい!俺の人相は悪くないぜ!」
「暗けりゃ判らないぜ?下手に言い訳して、それこそ真相ばれてみろ、相手は、」
 ここで息を潜める。
「皇国の息が掛かってるんだぜ?」
「へ?だってここは完全中立の自治領だろ?」
「兄さん甘いよ。そりゃ、大半は真っ当なここの住民さ。だが、奴等もじわじわ手を広げて来てな、もう間者が紛れてるっていうより、牛耳られてるようなもんさ」
「そんな…昔は誇り高き自由都市だったんじゃねえのか?」
「昔、昔のことさ。…特に大通りの辺りは珍しい贅沢品の店が多いから、それなりの御身分のお人が集まるだろ?そういう重要な人物に探りを入れるってえ嫌らしい仕事が奴等大好きなのさ。そんなんで、あの辺の老舗も客を護るのに必死でね、早めに店閉めて自警団の入り込む口実封じる訳さ」
「おい、店の中まで巡回するのかよ?」
「ああ、『酔っ払いや不審な挙動の人物に迷惑されていませんでしょうか』って、そりゃあ嫌味な口でずかずか入りこむのさ」
「自由都市の名が泣くぜ…」
「まったくさ。先代の評議員様達も、草葉の陰で泣いて入るだろうよ」
 親爺が嘆息する。恐らく長年この町を見守って来たであろう、年輪の刻まれた顔が寂しげな色を浮かべる。
「ま、ともかく悪いことはいわねえ、今夜はそんな遠出はしないがいいさ。そこ行くと兄さん、こっちは一応裏の町、何せ大陸じゃ一、二を争う盗賊ギルドの本拠地だからな、奴等も手を出しかねてるのさ」
「へえ、そりゃあ頼もしい!…けど、それはそれでまずいぜ」
 ちらっと、傍らの愛らしい顔を見遣る。不審な挙動に少女が心配そうな目をする。
「なあに、まだこの通りはシマの外れだ。弾みで堅気が迷い込むのも多いんで、ここいらじゃ『拾い』はせんのが不文律よ。もともと砂無翅のギルドは律儀なもんで、『副業』は『副業』と割り切ってるのさ。…ま、絶対安全とは言い難いが、兄さんがお守につくんなら十二分だろう」
「そうか…」
 この界隈に出店する以上、大なり小なりギルドの恩恵を被っている亭主の話だから鵜呑みにするのは危険だが、全く嘘でもなさそうだ。
「ん?ちょっと待てよ?例の糞ったれのイカレ玉なし腐れ××ポコ野郎どもは…」
 親爺が青年をつつく。見ると、少女が瞳を一段と大きくして、かわいそうなほど真っ赤になっている。自分の失言に気付いた青年も赤くなる。
「いや、その、許されざる悪行をお働き遊ばされた皆さんのことなんだが…」
 背後でぶしゅっと音がした。聞くともなしに聞いていた客の一人のツボに、慌てた青年の珍妙な表現がクリーンヒットしたらしい。睨んでやろうと振り返ると、涙と鼻水まで垂らして盛大にむせている最中だったので大目に見る。
「あんたの言いたいことは判るよ。要するに、お仲間がいて飯も上等な表通りの方がクズどもも暴れやすいだろう、てんだろう?」
「ああ」
「なに、まあ不幸中の幸いだが、馬鹿どもも慇懃無礼とは相性が悪いのさ」
「へえ?」
「間者と言っても、一応騎士崩れらしくて身分も本国じゃそこそこらしくってな、それをまた半端でなく鼻にかけてな、夜郎党と見ればゴキブリ潰すのと同じ勢いで絞め上げるのさ」
「あ!そうだな、あの赤いピカーッは位が上の奴には通用しねえって話だもんな」
「そうそう、自警団に変なのが紛れたのに気付いたのもそれがきっかけでね、ちょっと引っ込んだ通りで奴等が平気で襲っていたのさ。あの夜郎党がヒイヒイ言うのは見物だが、もっと厄介な奴が入り込んだもんだとげんなりしたもんだ…」
「へ、思わぬところで化けの皮剥がれたってワケか」
「だがな、おかげで奴等こっちの通りに流れて来るようになりやがった。騎士には通じねえ赤ピカもあいにく盗賊達には覿面でさ、腕の良いのが随分殺されたさ。…あんたの活躍はじきに頭領にも伝わる。少なくともこの裏町にいる限りは悪いようにはならねえよ。皆感謝するさ」
 親爺が笑って本日の英雄に、軽く頭を下げると、照れ屋の青年がまた頭を掻く。
「ま、悪いことは言わねえ、今日はうちに泊まっちまいな。…そっちのお嬢さんもどうにも訳ありらしいしな、はぐれた相手を探すにしろ、明日の明るい時分の方が変な疑い持たれにくいだろう」
「…誠に、斯様に至らぬ身に過分なるお気遣い、何と御礼を申し上げたらよろしいやら…ただただ万の感謝を捧げることしか叶わぬこの身をお許し下さいませ」
 話題が自分に向いたと見て取っての、亭主に向けての優美な辞儀。親切心もあるが、半分は営業として話をしていた親爺が赤くなって焦る。
「いや、万の感謝って言われてもなあ…おい、兄さん、このお嬢さんは掛け値なしの貴婦人だぞ」
「ああ、どうもほんとにワケありらしいや」
 二人の男は顔を見合わせて苦笑した。

<<戻 進>>


>>「太陽と星の戦記」目次に戻る

(C)獅子牙龍児
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送