星辰の秘密 (2)


 ルクスは苦しかった。この様な運命の元に苦しめられる人間がいる事が。辛かった。その人間が、世界の汚濁に耐えられぬほど純粋で高貴な魂を持っていた事が。そして、少し、喜ばしい気持ちもある。自分が、居合わせたから。自分が…今の自分なら、幾許なりとも力になってやれる。
「嬢ちゃん…いや、昂」
 優しく声をかけ、寝台の上に屈み込む。
「そら…よっと!」
「きゃっ…!!」
 いきなり小さな体を持ち上げ、寝台の端にきちんと座らせる。そこに、にいいとお得意の喜色を見せてから、どっかり右に陣取った。
 唐突の行動に、泣くのも忘れて一段と大きくなった瞳を向ける。先刻の、どこか謎めく蠱惑の趣は消え、再び子供らしい表情に。
 それを見取って大きく頷き、口を開く。
「嬢ちゃん…っと、また言っちまった…」
 出端でしくじって頭を掻く。
「いえ…お好きな様に呼んで下さいまし」
「そうかい?じゃ、ええと、嬢ちゃんよ」
「はい…」
「あんた、ちぃっとも悪かねえよ」
「いえっそんな!私は…」
「あー、違う違う、」
 再び暗い迷宮に逆戻りしそうになる昂にまた困って頭を掻く。
「言い方が悪かったな。…嬢ちゃんはどうして自分を不幸に追い込もうとするんだい?」
「え…?追い込まれたのは殿方の方…」
「いやいや。…いいかい?嬢ちゃん。あんた、その美人のお母上を買い被り過ぎじゃねえのかい?嬢ちゃんが今まで出会った奴等は、そんなにしょーもねえ面食いばかりだったかい?」
「いえ!皆様、大変お優しい御気性の方ばかりでございます」
 即答にうん、うん頷く。
「嬢ちゃんの顔や仕草がバッチリ可愛いのは確かだけどよ、それだけじゃあ、やっぱ命までは賭けられねえよ。…嬢ちゃんは心根がホント奇麗だ、それにしょってるモンが重すぎっから、助けてやりたいって思う訳さ」
「でも…」
「デモもストも内ゲバもねえっ!!」
 ビシッと指を突き付けられて二の句が継げない。
「いいかい?人間にゃ、自由意思ってモンがある。よしんば嬢ちゃんがさ、ちょびっとモーションかけたとしてもよ、嬢ちゃんのために動く動かないはそいつの責任じゃんか、え?」
 まさに貴公子然とした神々しい容姿から発せられる伝法な物言い。そのコントラストが迫力となって、妙な説得力がある。
「そんで、ま、おっちんだとしてもよ、」
 昂の顔が瞬時に曇るが、強引に続ける。
「そいつはそいつで大満足さ!何せ、死んでもずぅ〜っとこんなカワイコちゃんに思ってもらえンだからよ!」
「でも…私を男と知らずにいた方々は…」
 面を伏せ、右の手をそっと胸元にそえる。眉がきゅっと寄せられると同時に衣服の生地を握り締める。
(うわっ、こりゃホントに女の子ちゃんだな〜!)
 恐らく無意識の、可憐なその仕草に胸の内で少々嫉妬しながらも、その小さな頭を軽く叩いてやって慰めてやる。
「だいじょぶ、ダイジョブ!勝手に迷ったベースケが悪い!絶対悪い!…それよか嬢ちゃん、『いっそ女に生まれれば良かった』って、『男に生まれなきゃ良かった』って思ってないかい?」
 弾かれたように昂がこちらを向く。
「うん、図星だろ?俺としてはなあ、そっちの方が大問題だと思うぜ」
 大仰な仕草で腕と脚を組む。…そこでバランスを崩しかけて一瞬大きくよろけるのはご愛敬。
「…っと、ええとな、俺的には嬢ちゃん、普通に男のガキやっててもばっちりはまるぜ?てゆーか、ある意味すげー男らしいしよ」
「え?」
 余りに意表を突いた発言に、覚えず両手を胸の上でたおやかに重ね、微かに首を傾げる。その様子も実に愛らしくて無論『男らしさ』とは無縁である。
「あの、泣く子も黙る夜郎党のクソどもに囲まれて、一歩も引かなかったじゃねえか。『自分で立てます。歩けますッ!』なんて、結構カッコ良かったぜ!」
「いえ、その…例えば、嫌いな食べ物を残すことなら誰でもできますもの」
 その変わった例えに盛大に爆笑。が、直ぐ真顔に戻って小突いてやる。
「その言い方はちょいと戴けねえなあ。首筋に刃物突き付けられて、そんで残さず食っちまった奴の事を責められるかい?」
「あ…」
 弾みの言葉に潜んだ尊大さに気付き、青ざめる。
「失礼致しました…私、やはり贅沢暮らしでわがままになってしまって、自分が通らぬ事態に鈍になっておりました…」
 ちらっとルクスが見遣る。質と機能性はともかく無駄のない作りの衣装は、放浪中ということを差し引いても王家の人間には質素に過ぎて、『贅沢』には程遠い。
「んー、でもよ、嬢ちゃんあンときは自分でもマジで死ぬ!って思ったンだろ?殺される覚悟があって主義主張貫けるのは、魂ン中にでっけえ宝石がなきゃあできねえ」
「宝石…?」
「ああ!…フツーは誇り、とか、矜持、とかいうわな。嬢ちゃんは、」
 ゆっくり、昂に向き直り、真剣な声で続ける。
「ちゃんとそれを持ってる。…一番、人間にとって尊いもんさ」
「!」
 また、瞳を大きくしている小さな体を優しく叩き、にっかり笑ってやる。
「いい男、いい女には絶対不可欠だな。俺、マジで嬢ちゃんに憧れちゃったぜ?」
「そんな…ルクス様は御技量も御容姿も、高潔なお人柄も人並み優れていらっしゃるのに…」
「おいおいよせやい!俺の知り合いは少なくとも『コーケツ』なんて言わないぜ!」
 相変わらず褒め言葉に弱い若者は、嬉しそうにしきりに頭を掻く。が、照れている場合でないのに気付いて真顔になる。
「あのな、あンとき俺には勝算があった。だから嬢ちゃん助けに入ったんだ。ほら、『念』っての、判るか?」
「存じて…おります。習わされますから…」
 何故か、そこでわずかに表情が曇る。だが相変わらず少々鈍感な若者は気付かず勝手に盛り上がる。
「あ!わっすれてた!翼竜国は念術発祥の地じゃん!そっかそっか、王家だったら知ってて当然か。…って、あれ?」
 急に疑問顔になった青年から目を反らす。
「申し訳ございません。…故あって、身を護れる程の技も使えませんの。お恥ずかしい事に…」
「あ!いやいやそう言う意味じゃねえって!」
 誤解に焦る。
「そうじゃなくってさ、嬢ちゃんの歳で、しかもあの翼竜の出で、念がちっとも外に出てこないのは変だなーて思ってさ」
「あ…」

 念は、生体が活動している限り放出する不可視のエネルギーである。健康状態にも左右されるが、概ね本人の意志の強さに比例して増幅する。環境や血筋も関係するらしく、東部地帯で割合強く、特に翼竜国は高名である。自我の弱い子供のうちは、放出の方も頼りなく、慣れた者にも見えにくいが、それでも14にもなれば、念使いか否かを問わずかなりはっきりと念が溢れ出すものである。滲みもせぬとはあまりに奇妙。

「娘の振りを致しますのに、幼少ならば髪を延ばし衣装を変える程でも間に合いましょう。されど、声変わりを過ぎれば余りに不自然…本来の育ちを遅らせるために念術で『縛』をかけましたの…」
「待てよ!『念縛』って、普通は刑罰ンときやるモンだろ?」
 念術にも様々な術があり、難易度は幅広いが、念による束縛は高度の技、強力で失敗時の危険も大きい。単なる物理的な束縛以外に、魔力などの特殊能力の抑制や特定の行動、また場合によっては感情の一部まで制御できる。再度重大な罪を重ねる恐れがあるが子細有って死罪に出来ぬ者には大変有効で、簡単には死なない怪物を差し当たりおとなしくさせる用途にもしばしば用いられる。
「ええ。私の他にも高位の使い手が三人付きましたが、やはり…声変わりどころか背も伸びず、念孔すらも封じてしまいました」
 念孔とは念の主たる放出口である。これが無くては念術は封じられたも同然。
「そりゃひどい…でもよ、それまではそこそこ念使えたんだよなあ?だったら…あ、いや、何でもねえ…」
「おっしゃることは良く判りますわ、目先のことばかり考えて安易な道を取らねば…たゆまず念術を究めておりましたら女を装うまでも無く護身の役には立ちましたでしょうに…」
 自分が振った話題のせいで、また雰囲気が暗くなる。だが、修行の話は自分にとっても耳が痛い。
「う〜ん、俺も精進は無茶苦茶足りねーからなあ。あンときも念溜めるのにエラい時間かかってさ、直ぐ助けに行けなくてご免な」
「いえ!そのようなこと…」
「ま、俺が動いたときはもう満タンだったから、絶対勝てる状態だったのさ。…ところがよ、嬢ちゃんはもう後がなかっただろ?フツーならよ、ガタガタになって泣きわめくか這いつくばるか、とにかく大の男でもどんな偉そうにしてた奴でもみっともない真似さらすモンさ。…俺はそーゆータコ沢山知ってるからさ」
 少し、嫌な事でも思い出したか、顔をしかめる青年を、つぶらな瞳が見つめる。
「それにさ。俺は信心の深い方じゃねえが、天が役にも立たねえモン降ろすはずがねえよ。嬢ちゃんは、いい子だ。嬢ちゃんは…ここにいて、いいんだぜ」
「ルクス様…!」
 涙が泉の様に溢れ出す。顔を覆ってしまった昂の肩を抱き寄せる。
「あーあー、ほらほら泣くんじゃねえよって。…ま、でも好きなだけ泣いた方がいいかもな」
「ああ…そのお言葉…私には乾きの砂漠の慈雨にてございます…」
「や、それ程でもねえって。…でもよー、運命の女神ってのは皺くちゃのばーさんだって言うけどよ、こんなコ酷いメするなんてマジ不細工なんだろな〜」
「まあルクス様!いけませんわ、かの方はあなた様を連れて来て下さいましたもの、きっと素敵な御婦人であらせられましょう」
「おう、違いねぇな。うん!このルクス様と言やあ千人力!手前で言うのも何だが、サシで勝負してこの俺に腕と顔と着物で勝てる奴ぁおるめぇよ!神サマだってチョチョイのチョイさあ!」
「ふふふ、天上にお住まいとはいえ、神々は耳聡くておられましょうに」
 すかさず恩人の不信心をたしなめるその顔には、涙こそ残れど暗い影は消え去り、明るい笑みが浮かんでいた。その、惚れ惚れする華の笑顔を見ながら達成感に浸るルクスであった。

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(C)獅子牙龍児
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