太陽の昔話 (1)


  目が覚めると日がやけに眩しかった。ひょいと窓から除くと、どうやらもう昼近いらしい。考えて見たら昨晩は相当長く話し込んでしまった。
「っと、嬢ちゃんはどうかな?」
 様子を見ると、こちら側を向いたまま、規則正しい寝息を立てている。加えて実に安らいだ愛らしい寝顔で、起こすのは少々気が引けた。
「ま、いっか。取り合えず待つか」
 水差しから口を着けずに器用に飲み、手拭きで口元を拭うと壁に目を遣る。昨日、昂が脱いだ上着を皺にならぬようにしたのだが、鉤の位置が高くてルクスが代わってかけてやったのだ。目が覚めたときのために、取っておいてやろうと手を伸ばしたが…
 ガチャーン!盛大な物音が響く。まだ幾らか寝ぼけていたルクス、不覚にも取り落とし、咄嗟に衣装は救ったものの、衣紋掛けが固い宿屋の床に激突してしまった。
「え?何ですの…何!?」
 大音に寝ぼけ眼を擦った昂だったが、突如顔色が変わり飛び起きる。
「ここ…は?」
「嬢ちゃん、安心しなって。…昨日の宿だよ。おはよーさん」
 いきなり恐慌状態に陥った昂に優しく声を掛けて、服もよこしてやる。
「悪い、起こしちまったな。ま、時間も時間だし、目が覚めたんならこれも着ちまってくれよ」
「あ…ルクス様。夢では、ありませんのね」
 心底、ほっとした様子の瞳を向けられる。やはり、悪い気はしなくて、苦笑する。
「あたぼうよ!ま、腹が減っては何とやらだ、身支度終わったら下に食いに行こうぜ」
「はい、ただいま、ルクス様」
「おい…お互い腹割って話し合った今、もう他人行儀はよそうぜ?大体、どー考えても『様』付きで呼ばれなきゃなんねえのは嬢ちゃんの方だろが」
「でも…私にとってはやはり、ルクス様はルクス様ですの…」
「へへっ、よせやい」
 相変わらず直ぐ照れる、長身の戦士。その背中を眩しく見つめながら、昂は昨晩の出来事を思い出していた。



「もしや、女性(にょしょう)でいらしたのでは?」
「ん〜、半分当たりで半分間違いってトコだな。なんて言やいいのか…」
 くしゃくしゃくしゃ。頭を掻くのは本当に癖らしい。だが、恐らくは無意識に、乱れた髪を直ぐさま素早く撫でつけて直してしまう。どう見ても豪放磊落を絵に描いたようなのに、見た目に驚くほど気を使う繊細さもあることに、昂も漸く気が付いた。
 だが、ルクスの発言も気になる。
「半分、とは?」
「そうだなあ…俺、筋道立てて話すの結構苦手でさあ、どーしたもんだか…そうだ!」
 ぽんっと手を打つ。
「嬢ちゃん、ちょっと手ぇ貸せ」
「はい…?」
「『観て』貰った方が早いからさ」
 言うなり手袋を外す。白山羊の皮の、特に美しいものを選んで作った見た目も機能も最上級のなめし革と、淡い金糸でさり気なく施された刺繍も目を引くが、何より驚いたことには、その手の先の爪化粧。目にも綾な薔薇色が灯火を受けて輝いている。
(この方はやはり…でも、『半分』正しいとは一体?)
 複雑な心地で滑らかに白い肌だが大きな掌に、自分の小さな手を乗せる。
「遠慮無く『観て』くれよ」
「…あ!」
 念術修行を積めば、あたかも実体があるかのように念を視覚として捉えられるが、直に触れればよりはっきりと感じ取る事ができる。
「ルクス様の中に、二つ…二つの…まるで、大人と子供がいるような…」
 その、特に鋭敏な昂の手は、不可思議にも二種の念の湧出を認めた。一つの生命は一種類の念を発するのが自然の理であるのに…
「そ!ついでに、俺、幾つに見える?」
「え?そう、ですね…」
 礼儀を考えてかなり迷ったが、結局正直に答えることにした。
「二十を少し過ぎた程、でしょうか?」
「ん〜、やっぱ半分正解。実は俺、花の16歳、女のコ!」
「ええっ!」
「で、体はピチピチの美青年で、年は多分、嬢ちゃんの言う通り」
「??多分、ですの?」
「だって、この体、赤の他人だし」
「!?」
 この夜の昂は驚きのし通しだ。


「ちょっとヤバい話になるが…『具現法』って知ってるかい?」
「え、ええ…あの、禁忌、とされる、古代念術…」
「そ。リスクが多い割りにイマイチ効率悪いヤツさ」

 具現法とは、術者の肉体を直接変化させる高等念術である。術者の望みの形態を自らの身体に強く投影することで、念の量次第では巨大な怪物に変化することも可能な荒技だが、有限の人体に相当の負担をかけるため、寿命が縮むとも言われている。古代にはこの具現法で超人となった念術士が各地を闊歩していたらしいが、言霊魔法の発達した現在では能力拡大系の魔法の方が余程効率良く力を得られる。そもそも先史時代の言霊魔法の急激な進化は、具現法の術者の横暴を抑える必要に駆られての事だったらしい。

「しかし、念を多量に要しますゆえ、お一人では…」
「ああ、準備に2年かかったさ」
「では、そうまでして…何故にルクス様は、男性…になられましたの…?」
「ん〜?あ、誤解してるな、嬢ちゃん。さっきも言ったけどよ、俺さあ男が良かったとか女が良かったとか無いものねだりはしねえの。チビの時分にはちったあ葛藤もあったけどよ、俺、グッドな女になって、髭マッチョとくっつくのが夢だったのさ」
「ひげ…」
 目を閉じて、遠い日の夢を懐かしげに語り出す美形を前に目が点になる。
「おう!こう…真っ黒か、さもなきゃ焦茶かなんかで、胸毛もヘソ毛もすね毛もモッサモッサしててさ、もうムッキムッキのごっついガタイの奴!でも筋肉馬鹿じゃなくってさ、ほら…若いのに渋くってさ、声ももろバリトンでよ、苦みばしった大人の味ってヤツ?そーゆーの漂わしてるのがタイプなんだ!」
 好みの異性像を語る人間は皆、何処か傍若無人で饒舌だ。しかし、これはどうにも度が過ぎる。
「………」
「でさ、でさ!俺その頃、チビで結構真っ平らだったんだけどよ、俺としては、激シブ男に見合う、ボーンキュッボーンになりたかった訳よ!」
「ぼーん…?」
「あー、その、こう…砂時計みてえな、すげえグラマーちゃんのコト」
「あ…はい…」
 一応、先の『タイプ』の話よりは数段理解できる。が、何だか話題は昂の思考の彼岸に向かっているようだ。ほとんど目眩を起こしかけている昂に、暴走者が苦笑する。
「悪い…ちょっと突っ走っちまったな。ま、つまり、美人になりたくて『具現法』に手え出したってコトさ」
「はい………え!ええ!!そんな、余りにも危険が過ぎます!ルクス様なれば御婦人としても素敵な方でありましょうに、むざむざお命を削るような術を…」
「あー、ストップストップ!嬢ちゃん、顔が奇麗ってことはえらい大したことだぜ。俺は全くのみそっかすだった。…雛菊みてな嬢ちゃんにどうこう言われる筋じゃねえ」
「あ…そんなつもりでは…」
「人間は顔じゃねえ、悔しかったら魂磨けってそりゃ何度も言われたさ。けどよ、そーゆーのとはちょいと違うんだわ。その…」
 柄にもなく、赤くなる。
「つまりその、すっげえヤツに惚れたらさ、そいつに釣り合うだけのいい女になりてえって思うモンじゃねえかい?」
「そのような…殿方が、いらしたのですか?」
「いーや、残念ながら。でもさ、俺、結構色々努力してさ、残りは顔と胸だけってトコまで行ってたからさ、いつか出会う、その…『運命のヒト』のためにさ、自分も完璧にしときたかったのさ」
 理想としては、理解も出来る。だが、余りに高すぎる理想だ。
「それでも…」
 口ごもる。
「もしも麗人になられたとして、お二人の時間が長くは続かないとしたら幸いと…呼べるでしょうか?」
 遠慮がちの問いに、いたって上機嫌で答える。
「別に、すぐ死ぬ訳じゃねーから構わねえよ。どうせさ、俺の好みの男は、ぶっとく短く生きるだろうし…それなら俺も、婆ぁ成る前に死にたいしよ」
 自分で問うておきながらも、『死』への言及に眉をきゅっと寄せてしまう。実際、『具現法』を使えば、30年は寿命が縮むと言われている。らしいと言えばあまりにもルクスらしい目標への猪突猛進振りと、その理由を知って複雑な感情が沸き上がる。
 が。重大なことを失念していた。
「あの!ルクス様、お体は男性でいらっしゃると…?」
「ああ。とんでもねえ大失敗だったぜ…」
「そんな…!ルクス様が…おかわいそう…」
「わ!そこで泣くなって!…ま、話せば話すほど間抜けな話なんだがな…」
 詳しい経緯を語り出した。



 ルクスの故郷は大陸北東、猟虎州の一集落であった。
 群雄割拠の時代にあって怠惰な人種の巣窟たるその地方は独立独歩の気風など欠片程も無く、その時その時代の趨勢に従い、有力な国々に媚びへつらい、特権階級の輩達は偽りの安寧を享受して暮らしていた。上に立つ者の堕落はそのまま下層階級の手本となり、日々の糧得る慎ましき労働を軽んじ、一山当てるをただ虚しく夢見る怠惰の民と成り果てていた。
 そんな、当地では珍しくも無い自堕落男の住む家にルクスは生まれた。
 別段、生まれた時から『ルクス』等と言う男名で呼ばれていた訳では無い。当地で広く信仰を集めていた光明の女神に因み、『ルキア』と名付けられたのだ。

『娘が生まれたら玉の輿に乗せて、俺は晴れて左うちわだ』
 父親はそう言ってはばからなかったと言う。器量良しの娘が生まれる事だけを期待して、村で評判の美女を無理やり妻とし、愚かな夢想に浸ってまるで働かず、生まれつき病弱だった女房が身を削って家計を支え…恐らく神罰が下ったのであろう、娘ルキアは母親とは似ても似つかぬ姿であった。
 加えてルキアの母親は難産がたたってか、以後子を成せぬ身体と成り果てた。皮算用の男は怒り狂い、実子のルキアを己の不幸の元凶と理不尽にも決め付け、当たり散らしたのだ。
 村人達も似たり寄ったり、ルキアが通りを歩く度に女達はくすくすと男達はにやにや笑い、加減知らぬ子どもに至っては面と向かってはやし立て、時には石まで投げつけられた。働かぬ癖に豪奢な暮らしに憧れる連中にとっては玉の輿は至上の目標、従って美女は善なり醜女は巨悪なりと腐った価値観に凝り固まっているのである。…元々忍従を良しとせぬ気質であったから、ルキアが男勝りの凄まじい跳ねっ返りに育ったのは自然の流れかもしれない。
 他所で生まれたのならそれで終わってしまったかも知れぬ。しかしルキアの住む村はまた特殊であった。
 …所謂、落人の村であったのだ。

 村の者達が殊更に日々の慎ましい労働を厭う元凶も実はそこにある。太古の戦では武芸者として戦場の華であった筈が、何の因果でこの様な暮らしに…と、幾世代を経ても過去の栄華を引きずっているのである。それで己の困窮を招いているのだから世話無いが、ルキアにとっては幸いでもある。
 いつか、と言う夢を抱いて一番貧しい者に至るまで家々にはそれなりの武具があり、また先祖伝来の戦の技をいまだ伝える者もいたのだ。役立たずの穀潰しと言われ、器量でもさんざに苛め抜かれたルキアは「もののふの道」に引かれて行く。
 幼くして弓矢は勿論、剣の技でも大の大人を任す程の腕前となるが世間の風当りはましになる所か却って悪くなる一方、馬鹿にしていたルキアの才能を見せつけられて嫉妬を招いたのだ。
 と言っても少女ルキアはただの暴れ娘とは違っていた。母親はただ美しいばかりでなく思慮も深く家事の才に長けた田舎には惜しい程の婦人で…と言っても、肝心の夫が見初めたのはあくまで外見であった…ともすれば自暴自棄に陥りそうになる娘を丁寧に導き、生きるための技術だからと炊事洗濯事もきっちり教え込んだ。御陰で並の娘よりそちらの才も抜きん出ていたが…嫁に行く当ても無い癖に無駄な事を、と嘲る者ばかり。

 そんな中、唯一人ルキアを庇った母親も流行病で早死にしたとあっては故郷にもう、未練は無い。わずか12歳で村を出たのである。…心に「大志」を抱いて。
「で、グラマー美女になるための大冒険が始まるってワケさ!」
「あの…でも…」
「なんだい?」
「それでも、ルクス様…いえルキア様はそのままでも十分でいらしたと思います。どうして…」
 ふいに、厳しい視線を向けられて沈黙する。
「嬢ちゃん。分かりもせずごちゃごちゃ言うのはイイことじゃねえなあ?」
「あ…申し訳…ありません…」
 かわいそうな程、身を縮めてしまった昂の様子にふっと表情を和らげる。
「いや、怖がらせちまって悪いな。俺は並みのブスじゃなかったのさ。てゆーか、そのままじゃ本気で結婚は無理だったのさ」
「え!」

「嬢ちゃん知らないだろうが、俺の故郷にゃ『ブチオコリ』…紋瘧って病があるんだ」
「病…?」
「ああ。ほんの、三つかそこらの子供がかかる熱病で、全身に赤い…なんて言うか、模様が出来んだよな」
「模様、とは?」
「ああ。全身真っ赤になるとか、赤いぽちぽちが出来るような病気ならよくあるだろ?そうじゃあなくってさ、もう大人の手の平ぐらいはゆうにあるよな、でっかい赤いモンがわらわら出来るのさ」
 思い出す様に顔をしかめる。
「もちろん、熱も相当高くて苦しくてよ、それも下がったと思ったらまたぞろ上がりやがるタチの悪い奴でさ…その後がもっとひでぇんだ…」
 一旦、口を閉じる。重い沈黙…
「…でさ、赤かった部分がさ、長い事膿んでさ、くっせえ汁がびちょびちょ出て止まんねえの」
「!」
「それだけならまだ良くってさ、ちゃんと、膿が無くなって、皮膚も出来て塞がってくるんだが…」
 眉根がきつく寄せられる。
「そこだけ、色が違うんだ。…屍体から剥がして付けたみてえな、暗い土気色の、ぶちが全身に残っちまう」
「そんな…」
「いや、嬢ちゃん。嬢ちゃんの想像はきっとまだ足りねえよ。本物はもっと堪んねえぜ。…いいかい?色黒なら色黒で、全部黒くて艶がいいんなら、まずまずのモンさ。だけどよ、俺のは…まあ元も地黒は地黒だが、そこに牛かなんかみてぇにブチが入るんだぜ、ブチが!しかもよ、そのブチときたらよ、変に強ばって皺まで寄っててよ、屍体は屍体でも干からびたバーサンから剥いた見てえな代物なんだよ!一代限りのモンだが、子に移るって言って誰も嫁に取りたがらねえ!そら!」
 懐から奇妙な物を取り出す。何やら、ミイラの様な…
「昔の俺の皮さ。どうだい、凄いモンだろう?」
「…!」
 昂は声も上げられない。心の何処かで、自分はこの世で一番不幸だと思い込んでいた。だが、人にはそれぞれ重荷があり、しかも本人に落度はないのだ。
(この方は、恐ろしい運命に遭って…お辛かったでしょうに、立ち向かわれて、私まで救って下さって…)
 胸が締め付けられる。
(でも、私は何も出来ないでいる…)
 耐えきれず、頬を涙が伝う。止めどもなく、流れ落ちる滴。
「ああ、おい!また何で泣くんだよ!」
「だって…」
 嗚咽混じり。
「私、ルクス様の御本心も知らず、うかつを度々申しまして…おまけに、まるで私が一番哀れかのように…吹聴まで致し…」
 なまなかな同情ではなく、全く苦しんだのが自分であるかのように泣き続ける昂。本人は気付いていないが、どうにも優し過ぎる。他人の痛みを自分の痛みとして捉えてしまう…これでは遠からず、心が砕けてしまう。表情を曇らせるルクスだが、今まさに昂を苦しめているのが他ならぬ自分の不幸自慢だったことを思い出し、笑顔を作って優しく頭を撫でてやる。
「『吹聴』してたのは俺の方だろ?第一、嬢ちゃんの大変さはやっぱ、俺とは比べものになんねえよ。嬢ちゃんは自分が可愛いからってブスの僻みを馬鹿にするような、狭量じゃねえ。それにさ…」
 マニキュアを施した指先をひらひらさせる。
「ほら、男には勿体ない程奇麗な爪だろ?昔は、例のブチが指先まできてて、爪化粧なんぞやりたくても出来なかったのさ。ま、俺の悩みは半分解決してるってコトで…て、あれ?」
 さらに、顔を覆って忍び泣きを始めた昂に慌てる。
「でも、でも…神様は残忍に過ぎます!…ルクス様は…ルクス様は、女性になられようと…」
「あーあー、たんまストップ!ま、俺も罰当たりなことしたしよ〜、美人違いでオトコになったこと位はま、良しとしなくっちゃな」
 そこで、急に悪戯っぽく、にいいと笑う。
「で、俺がどおんなコト、やっちまったか、分かるかい?」
「いいえ…」
「は・か・あ・ば・き!」
「!」
 昂は、眼を丸くした。

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(C)獅子牙龍児
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