真紅の美女 (1)


 マイナス亭の店主は、いらいらと客室に通じる階段に何度も視線を向けていた。思わぬ事件に失念していたが、数日後に大祭を控えていたのだ。準備に忙殺され、様子見にも行けない。
「何事もなきゃいいんだが…」
 ぶつぶつつぶやく親爺に、昼食を終えかけた客が茶々をいれる。
「別に、悲鳴も聞こえなかったぜ?」
「馬鹿言え!」
 唾を飛ばしながら怒鳴る。
「万が一にも、あんな、小さな子がそんな目にあったらなあ…」
「おいおい、傷物にされたのはあんたの娘じゃねえし」
「わしの娘であろうと無かろうと、こんな理不尽が許されるかッ!大体、間違いが起こったと決まった訳じゃあなかろう!」
「でも、親爺さんはそう心配してるんだろ?」
「む…!」
「日が高くなるまでシケこんでやがるもんな。…ま、仕方ねえって。中味はともかく、あれだけの色男に助けられたらなあ…チビでも女だろうし、『捧げてもイイ』とか思うんじゃねえの?」
「滅多な事を…」
「おう!おそよーさん♪」
 噂をすれば、影。親爺が振り向くと、異様なほど『スッキリ』した顔のルクスが、気のせいか寝不足そうな眼をしたあの『少女』を伴って笑っていた。

「きっ、貴様!」
 既に茹で蛸状態であった親爺が、さらに青筋を立てて食ってかかる。
「この!小さな娘は眼中にないだと?なんて事をしでかしたんだ!」
(うわ、決めてかかってるぜ、ご亭主よ…)
(さっき、間違いと決まった訳じゃねえとか言ってなかったか?)
 食後の果実酒の肴にと、居合わせた男達がちらちら様子を窺う。
「いや、その…まあ、全部ってワケじゃあねえし♪」
 喜色満面。
「初めてでいきなり最後まで、てゆーのは俺も気が引けてさあ♪」
「な…」
 余りにあっけらかんと言われて絶句する。
「ま、痛いよーなコトはしなかったからさ。な、嬢ちゃん♪」
 言葉とともに、にやけきった表情で昂を抱き寄せる。その顔にたちまち朱が差し、恥じらうようにルクスの衣服に顔を隠してしまう。芝居とは言え、昂の良識の範疇を遥かに越える台詞に演技も忘れて赤くなってしまったのだが、それで却って真実味が増した。
 親爺の頭からはもうもうと湯気が出ている。どちらかといえば、野次馬達も同様で、ルクスのあまりといえばあまりな罪悪感のなさと、対照的な少女の無垢さに静かな怒気が狭い店内を渦巻いていた。
(う、やっぱり『初めて』だったのか…そうだよな、あんな小さな子だもんなあ…)
(畜生、腕はともかく顔がいいだけで、頭が沸いているような奴に…)
「き、き、き…」
「『き』がどうしたんだい、親爺?」
「貴様の悪事は言いふらす!絶対に言いふらしてやるッ!とんでもない無体をしでかしたと、貴様が言語道断極悪非道下劣極まる劣情の主だと、大陸中に流してやるッ!」
「お、おい、大陸中ってのは…」
 それこそ無体なのはそっちじゃないかと口を開こうとしたところ…
「お待ちくださいませ!」
 思わぬ援護射撃。
「ルクス様はそのような御方にございませぬ!私の意志を曲げるような事など、一つもなさっておりません!そのお心映え、真の騎士にも相応しきにおわします!」
 さきまで恥じらい隠れていた昂が、今度はむしろ怒りに上気して、一気に述べ立てる。筋書にはなかった能弁にルクスまで呆然としていたが。
「ルクス様は、ルクス様は…」
 喉を使いすぎて荒くなった呼吸を鎮めるように、胸元に手を当て深呼吸し。
「本当に…こんな私に、真実御優しくして下さいましたわ…」
 瞳は閉じ、頬は染まり、声は夢心地…
 台本には全く無い台詞。無論、昂は純粋な意味で『優しく』と言ったのだが、その場に居合わせてこの語を誤解しなかった者は皆無である。一同、メデューサの目を見たかの如く、石になってしまった。
 取り合えずはこの隙に、自分の言葉の効果に首を傾げている昂を連れて、空いた席につく。
(こりゃあ…見た目全くの美少女でしかもそっちのコトには天然だもんなあ…)
 今だにきょとんとして物問いたげに見上げてくる視線をさりげなくかわして、まだ半分固まっている給仕を呼ぶ。
(助けたのが俺じゃなくって本物の変態だったら、マジどうなってたか分かんねえなあ…)
 運命の女神の、微妙な采配振りに、とりあえずは感謝をするルクスであった。


「ふむ、北辰の神サマのお祭りってワケかい…じゃあしょうがねえなあ…」
 純白の装束を汚さぬよう、外套を羽織ったままの姿で赤茄子煮込みをつつきながらぼやく。
「北辰大君様は星見の司にございましょう?祭礼は厳粛成れど趣深く、常ならば起こりもします騒ぎの類も無しと聞きますれば…」
 ひらりひらり軽やかに匙を扱い、紅豆のスープを運びつつ、星の瞳が怪訝に見上げる。
「いやな、ここらじゃ北辰どのと言やあ、ツキを運ぶ神サマって決まっててよ、こーゆー裏町の運まかせの商売の奴にえれぇウケが良くってな。おかげで、年に一度の大祭ともなりゃあ、見事な無礼講になっちまうのさ」
 真っ赤な汁を流し込む。南部果菜の酸味と隠し味の甘唐辛子が利いているが、複雑な気分の今、旨さも半減である。
「左様ですの…」
 いま一つ状況の理解できないでいる幼い容姿に苦笑する。
「ん〜、ま、今度の祭りは水商売の連中のモンでさ、とにかく贅沢に派手に騒ぐんだが、特によ…その、男と女がくっつく出会いの場でもあってよ、こン時の約束は神かけて無下に出来ねえ習わしでさ、」
 がしがしと見事な黄金の髪を掻きむしって鳥の巣の様にする。
「ほら、さっき通りにいたオネーさん達さ、いい機会にいい男とっ捕まえようと、昼間っからかなり本気なのさ」
 見るからにげっそりして見せる。つまりは美男の女難も倍増しと言う次第。
「あ…そうでしたの」
「ま、悪いコトばっかじゃねーけどな。…そら、水物ばっかじゃなくて、肉も食いなって」
 少食の様子に鹿肉のパイを切り分けてやる。牛酪がやや多めだが、ルクスとしては嫌いではない。
「まあわざわざ…ありがとうございます」
 にっこり、雛菊の笑み。やはり悪い気はせず、同じく歯を見せる。
「今回は、嬢ちゃんがいるし、な」
「あ…はい」
 一応、今や昂はこの長身の美丈夫の公認の恋人となっている。流石に、二人が仲睦まじそうに振る舞う限り、恋を仕掛けようという無粋はいまい。だが、恋人役という自分の立場をそこで意識してしまい、小さな頬がまた朱に染まる。
「おいおい、飯が冷めちまうぜ?…とにかくよ、人間がうわつく時期だからよ、逆に情報集めにはもってこいさ。何も苦労して情報屋探さなくても、ヒントが掴めるかも知れねえ…」
「まあ…よろず物事は両面ですのね」
 陰謀に巻き込まれた半生だったが、自ら立案を迫られた事も無い昂としては、世事に長けた傭兵の才は頼もしく、感心する。
「取り合えず、オネーさん達いなくなったら、当座の入り物の買い物と後は…」
 今後の予定を考え始めたルクスの背後で、扉が開いた。昂からは陰になって見えない。ルクスが何の気無しに振り返ると…
「げっ!!…っとぉ」
 弾かれたように立ち上がってしまい、ついでに上げかけた大声を抑えようと自分で口を塞ぐ。
「ア、アルナワーズ…」
 好奇心に負けて身を乗り出すと、入り口には、外の光りを後光のように背負った絶世の美女が立っていた。



 入り口にいたのは三人。皆各々に美人であったが、中でも、真ん中は格別の顔立ち。その美女は厳しいまなざしを店内中に巡らす。と、すっかり蒼ざめて、口をぱくぱくさせすっかり美男を台無しにしているルクスの前にぴたりと目を据え、つかつかと歩み寄る。
 緩やかに波打つ金の髪、サファイアの瞳、くっきりとした紅。典型的な北方人の白い肌も艶かしい。揺れる耳飾りがルビーなら着衣の布も鮮なる炎色、上はあくまで豊かな胸を誇示するべく、装飾少なに肌を覆うと言うよりは大胆に覗かせ、逆に腰まわりは凝った様式、ドレープを幾重にも寄せてさながら大輪の薔薇の如し、さらにその羅紗の花びらからは時に白い太股が付け根まで露になる。蛇足ながら本来は肩も見せる衣装なのだが、昼間という時間もあり、薄物ながら大振りのショールをかけ、胸元の露出も(一応は)控え目にはしてある。
 実の所、着飾った女性というと宴に集う高貴の婦人を思い描いてしまう昂は、女性の職業など全く想像も付かず、ただただ華麗さに感心して見とれてしまっていた。だが、美女はと言うと、そうは取らなかったようである。
「何ジロジロ見てんだい!アタシは見せモンじゃないよ!」
「え!?…あ…失礼いたしました…」
 慌てて頭を下げる。思いもよらぬ罵声に、目をぱちくり。
「おい、アリー…」
「お黙り!気安く呼ぶんじゃないよ!」
 宥めようとしたルクスをぴしゃりとやっつけ、連れの娘に目配せすると、即座に卓についた。美女がルクスと昂の間の席、残り二人が入り口に近い席に陣取った。割合空いていたので、隅の方にあったゆったり五人掛けの席で食事をしていたのが見事に仇になる。これでは逃げようがない。
 いきなりの出来事の連続で大きな瞳をまた一段と丸くしている少女に、真っ赤な蘭に良く似た美女の、品定めをするような無遠慮な視線が注がれる。
「ふーん、顔はブスじゃあないようだけど、ほんのガキじゃないのさ。…で?」
「きゃっ!」
 いきなり、顔を掴まれ、無理に向かされる。爪が長く、柔らかい頬に食い込む。
「どうやって、このアタシを袖にしやがったあの男、タラし込んだんだい?え?」
「あ…」
 漸く、状況が見えてきた。

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(C)獅子牙龍児
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