真紅の美女 (2)


「アタシは紅(くれない)のアルナワーズ、歌も踊りも天下一、女の魅力じゃ天の妃も形なしさ!覚えときな!」
 情けなくも中腰のままおろおろしていたルクスを無理やり座らせ黙らせて、いよいよ本格的に恋敵と対峙する。だが、美女の怒りの因は腑に落ちたものの、威勢の良過ぎる啖呵に昂は声もでない。
「何だい、男をくわえる口はあってもアタシに答える口は無いって言うのかい!名乗られたら名乗り返すのが礼儀ってもんだろ!」
「は、はい!…申し訳ございませぬ、私の名は昂にございます」
 慌てて居ずまいを正し、震えながらも細く小さな指を奇麗に揃え、様式に乗っ取ったたおやかな座礼を贈る。その健気な様に、怒りのアルナワーズもいささか毒気を抜かれた。
「ふーん…どうやら、ただのカマトトって訳でもないようだねえ」
 今度はまだ顔色の悪い、美形の傭兵に矛先を向ける。
「一体全体、どう言うことだい!え、このアタシのどこが不満だってんだい!答えてみな!」
「い、いてえよ!そう引っ張るなよ!」
「ふん、相も変わらず憎たらしくも真直ぐな髪だねえ。性根の方はねじ曲がってるときてるのにさ!」
 紅の爪も鮮やかな、しなやかな指で無頼の青年のおそろしく癖の無い金髪を手荒く弄ぶ。
「へ、そりゃこっちの台詞さ、半年も前のコト根に持ちやがってよ!どんな男でもおめぇになびくと思ったら大間違いだぜ!」
「根に持たせたのは誰だい!…大勢馴染みもいた前で、アタシにあんな恥かかせやがって!しかも、直ぐさま夜逃げするなんて、男の風上にも置けないね!」
 どうやら、美女アルナワーズはまさしく女難の主、かつてルクスに迫ってこっぴどく振られたようだ。しかし、眼前に突如湧いた真紅の竜巻に、昂は成す術もなく、ただただ肩を震わせ、祈るように両の手を胸元でしかと組む。
「うるせえ、俺は晴れて『コレ』持ちよ。いい加減野暮はよすんだな!」
 殊更に小指を振り立て言い放つ。売り言葉に買い言葉で、ルクスの目つきも剣呑になる。が、赤茄子汁をすすりながらでは迫に欠ける。美女も同じく不快に思ったようだ。
「そっちこそ!飯と女計りにかけるのいい加減止しな!」
「ぶっ!」
「ああ!ルクス様!」
 電光の一瞬、美女の平手が舞い、美貌の朴念仁を襲うと共に匙まで弾き飛ばす。果菜の赤い汁が撒き散らされる恩人の惨状に、小さな魂が悲鳴を上げる。
「うっさいね!これ位でガタガタ言うんじゃないよ!」
 冷水を浴びせられ、凍り付く少女を尻目に、当面の敵に向かう。
「で、聞かせてもらおうじゃないか。アタシのどこがこの小娘に劣るって言うんだい?」
 青の宝玉が真紅に燃え上がった。

「言っとくが、この裏町で半年前の出来事を昨日みたいに語る奴は五万といるのさ。そこに、こんな小娘まで現われた…年端も行かぬ子供風情に負けるなんて、紅華のアルナワーズも衰えたもんだって、あちこち持ち切りなんだよ!」
「それは…悪かったな、アリー…」
「だからアリーって呼ぶんじゃないよ!」
「う…」
 流石にばつが悪い。昂に恋人役を頼むのは道徳的観点以外に問題は無いと思っていたが、確かに女の意地と誇りを考えれば実に宜しくない選択だった。

 紅の美女アルナワーズはフーリーである。フーリーとは歓喜天女、往生を迎えた善者を楽園にてもてなすを任とする神聖なる女性達で、当然輝かんばかりの美女揃いで…つまりは転じて歓楽街の者達をも俗にそう称する訳である。
 さてこのアルナワーズ、現在は傑出した歌姫として名声を欲しいままにしているが、その実かなりの苦労人でもあったのだ。アルナワーズという、叙事詩にでも出てきそうなご大層な名前は、没落した北方貴族の出身だからとの触れ込みだが、実際はこの近くの貧民街で路上生活をしているところを人買いに拾われたらしい。顔立ちの良さから高級娼婦になるべく仕込まれ、実際泣く泣く客を取らされた事もあったようだが、天性の美声を自力で磨き上げ、ついには歌の才で引き抜かれ、歌姫として生計を立てるようになったのである。華やかに恋多き人生を歩んでいるが、望む望まぬは別として否応無く男に寄りかかる女が多い中、恋を仕掛けるは必ず自分から、決して男に媚びない気概がある。また、歓楽街でもやや『きれい』な女というものは、堅気から不当に卑しめられる意趣返しを自分より『下』の女に向けるが常なのだが、なまじ地獄より這い上がったアルナワーズはその種の悪徳とは全く無縁、蔑むどころか時には庇い、泣かされた娘がいれば大の男を向こうに回して喧嘩を売る、なんとも頼もしい女性である。
 だが、言い寄られたルクスとしては、まさしくアルナワーズが見事な大人の女、少女の自分の目指そうにも叶わぬ理想の具現であったからこそ、余計に不本意極まる事態であった。ついでルクスの価値観は文字通り衣食住、着物に憂いなくなれば直ぐに食べ物に猪突猛進、元が娘だから仕方の無い事とは言え女の事なんぞ久遠の果て、美女に出会ったがまた好物を口に入れる正にその瞬間であったから、殊の外不快で『お誘い』に実におざなりに対応してしまったのである。
 ちなみに、彼女を縮めて『アリー』と呼ぶ者も多いが、これが実は貧民時代の本名らしい。だからこそ、彼女の誇りを知る人間は面と向かってはわざわざ長ったらしい源氏名を使い、むしろ邪険にされた恨みで彼女を嘲る男共、それも彼女の忘れたい過去を知る者が、古傷をえぐるがために『アリー』と呼びかけるのだ。もっとも初顔合わせの時分には、これら複雑な事情を察せず、単に面倒な発音を避けるがために『アリー』と呼んでしまった。そんなこんなで、こたびのルクスの女難は美女の高慢のみが元とはとても言い切れぬのである。

「どうしてアタシじゃなくってこのちまい娘なのか、きっちり説明して貰おうじゃないのさ!」
「ちまいって…アリ、じゃねえアルナワーズ、立派なレディじゃねえか」
「はん?成る程、女の価値は金と身分って訳かい?ハッ、太陽のルクスは腕利きと聞いたけど、とんだケチな男だね!」
「いや…別にあんたが劣るってワケじゃあ…」
「じゃ何だって会って間もないチビとは頼みもしないのに忽ち懇ろになって、この、『月下の蘭』とまで言われてるアタシの誘いは邪険にしたんだい?大体なんだい、あの態度は!口に卵麺なんぞほおばって、『おんなじ柔らかいモンなら出たがり牛チチよりこっちの方がうめえ』だって!?」
 これは、確かに酷い。最低の低。
「あん時だって、『麗しのアルナワーズが小料理風情に完敗した』って大笑いされて、ひと月は店に出られなかったさ!」
 客商売の歓喜女フーリー達にとって、店に出られないことは収入が無くなる事を意味する。囲われ者でもない彼女にしてみれば、まる一ヵ月無収入とは生死に関わる過酷な事態だ。改めて、自分の軽率の罪科を知らされてぐうの音も出ないルクスに、女は復讐の手を休めない。
「そこに来て、この稼ぎ時の祭礼に、のこのこ素人の小娘連れてやってきた。またアタシは覚悟決めなきゃなんないさ!」
 嵐のような糾弾に、もうすっかり冷めてしまった皿を見つめながら必死に耐える。と、美女の瞳がさらに険を増す。
「…起きちまった事はしようが無いさ。だけど、落とし前はきっちり付けて貰うよ!」
 白い手が閃いて、食卓の上に抜き身の短剣が投げ出された。恐らくは守護の騎士も持たぬ美女の護身用、これといった飾りもないが、白刃を見る限り、確実に肉をえぐる切れ味だ。
 裏の町で『落とし前』と言えば、多量の金銭を示さないでもないが、こと面子の関わる問題となると、文字通り体で償うが当然となる。例えば盗賊ギルドの賭場を荒そうものなら、悪ければ粛正、良くても指の一つや二つは切り落とされるだろう。またもう少し個人の問題、賭けに負けたが金が無いという風なら、金額にも依るが見せしめを兼ねて顔に残る傷を刻まれる程度で済む。
 神妙な顔つきとなったルクスは、眼の前の刃を見遣る。元が容姿に苦しんだだけに、現在の自分の美貌には執着はある。が、長年相当の苦労で磨き上げたであろう、アルナワーズとは値段が違う。女の憤怒も女の自分が一番良く分かる。ルクスは、覚悟を決めた。
「…分かった。気が済むまで、好きなように料理してくれ」
「ふん、腹は決まったようだね。…じゃ、まずはその馬鹿に伸びた金髪ちんちくにして、それから耳でも削いでやろうか…」
「お止め下さいませ、アルナワーズ様!」
 か細い悲痛な制止に、一同が驚き振り向いた。

「どうか、どうか、ルクス様をお許しくださいませ、アルナワーズ様!」
「おや、漸く口が利ける様になったじゃないのさ?…だけど、アタシは様付きで呼ばれた位じゃあ騙されないからね!」
 口ぶりこそ荒いが、無垢の少女の切羽詰まった必死の声が、優雅に自分の名を発音するのは悪い気がしなかったらしい。相変わらず眉を吊り上げてはいるものの、むしろ自分の心中を悟られないためのポーズであるらしい。
「ねえ、おチビさんよ、あんた、アタシにそんな事、頼めた口かい?」
「あ…あの…!」
 傍目にも美女は怒りよりも少女への好奇を優先させた様に見えるが、それでも表層では牝豹の如き凄みを湛え、百戦錬磨の迫力に、小さな雛菊の心は今にも潰れんばかり。それでも、死力を振り絞り、守護者のために弁を奮う。
「ルクス様は無実におわします!何もお悪くはございませぬ!」
「ふ〜ん、自分になびくのは良くって、アタシみたいなあばずれに恥かかすのもお悪くはないって訳かい?え?」
「いえ、そうではございませぬ!」
 無論、アルナワーズにも少女の気持ちは良く分かる。惚れた男のために、勇を奮うその意気や良し。ただ、彼女も少々人が悪かった。
「へ〜え?じゃ、どう違うんだい?説明して貰おうじゃないのさ!」
「それは…あの、咎は全て私にございます!」
「はあ?」
「私が、私が、ルクス様を…無理やりに寝所に引きつり込んだのでございます!」
 これには美女も流石に絶句…

「私が、ルクス様の御雄姿に恥ずべき劣情を抱き、そんな卑しき私をルクス様は憐れに思い遊ばされて…」
 昂は自分の作り事とは言え、あまりの内容に、自分で赤く小さくなって行く。羞恥心に涙さえ浮かべながら、細くなり行く声を絞るその可憐さ、『劣情』などという語とは程遠い。
「………あー、分かった分かった」
 手をひらひらさせ、またルクスの方に向かおうとするアルナワーズに必死に追いすがる。
「本当でございます!私が不埒な手口にてルクス様の御意志を理に反して曲げたのでございます!ルクス様には一片の不実もございませぬ!どうぞ、お怒りの矛をお収め下さいませ!」
「ふ〜ん?」
 金の柳眉がついと上がる。
「じゃ、アタシの潰れた面子は?ひと月もおマンマ食い上げだった事はどうなるんだい?」
「あ…」
「落とし前は落とし前だよ」
 白い手が、刃物を取る。
「それとも、あんたが着けるかい?」
 言葉はあくまでも怜悧。小さな手に、乱暴に短剣を押し付ける。
「え…あの…」
 憔悴しきった幼い表情が紅の美女を見上げる。
「そうだねえ…あんた、チビなりに奇麗な細い指をしてるじゃあないのさ?その指、落とすってんならアタシの腹も収まらないでもないね」
「おい、アルナワーズ!」
「お黙り!これは女と女の戦さ、野郎は引っ込んでな!」
 血相を変えて立ち上がりかけたルクスも、伝法の勢いに思わず負ける。
(俺、ホントは野郎じゃねえんだけどなあ…)
 心中で間抜けにひとりごちるルクスをまるで無視して、刑の執行を告げる。
「食器を使う指じゃあかわいそうだから、左手の小指で許してやるよ」
「!」
 震える雛は、両の手と短剣とを見つめた。顔色はこれ以上無い程に青い。が、唇を真一文字に結ぶと、左の手を卓につき、目をきつく閉じて刃を振り上げた!
「ば、馬鹿はお止しよ!」
 その手を慌てて女が掴む。すんでのところで、小さな小指は斬死を免れたのである。

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(C)獅子牙龍児
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