真紅の美女 (3)


「馬鹿だねえ、目つむったら、余計なとこまで切っちまうじゃないか!」
 握っていた短剣を外させ、緊張の余り白くなってしまった手を優しく撫でる。
「では…では、今度はしくじりませぬゆえ…」
 もう星の瞳からは耐え切れぬ大粒の涙が溢れている。あまりの恐怖に冷えきってしまった魂は、アルナワーズの明らかな豹変も判じつかぬ。震えながら夢遊病者のように、卓上の鋭器に手を伸ばす。
「馬鹿馬鹿、ほんと馬鹿な子だよ!」
 短剣をひったくりながら、堪らず笑い出す。涙さえ浮かべながら。
「アハハ、こりゃあ傑作だよ…」
「あ、あの、アルナワーズ様?」
「ハハ、ご免ご免悪かったねえ…昂って言ったけ?怖い思いさせちゃったねえ…」
「あの…一体…?」
 恐れの涙も乾かぬ昂の頭を優しく抱き止せる。
「おチビさんの気持ちはよおく分かったよ。いい子だねえ…アタシの負けさ」
「!…では、ではルクス様は…」
「それとこれとは話が別だよ!」
 白き刃が閃く。
「ああっ!ルクス様!」
 が、短剣が薙いだのは、ルクスの金髪のみであった。

 はらり。落ちる一房の金糸を素早く掴むと、アルナワーズは連れの妹分に投げてよこす。
「そら、サタヤ、アナヒタ、受け取んな!」
「きゃあ!」
「わあ嬉しい!」
 若い娘達がはしゃぎながら飛びつく。
「一体…なんなんだよ…」
 呆然とするルクスと昂に、紅の美女は悪戯っぽく笑って告げる。
「なに、今若い娘達にはやってるまじないさ。奇麗な髪の毛編んで腕飾りにすると、自分もあやかって癖毛が治るって言うのさ。ま、迷信だけどね」
 狂喜乱舞する娘達に、優しいまなざしを送る。ようよう、彼女の意図が読めて来た。
「なんだおめェよう…」
「ひょっとすると、始めから…?」
 二人に疑問を向けられて、妖艶というよりはすっきり明るい笑顔を浮かべて悠然と答える。
「だって、うちの若い子達は結構あんたのファンなのよ?滅多な事、出来る訳がないじゃないのさ」
「けっ、だからって男の髪なんかで願掛けするかよ、フツー?」
「ま、いくら美形だからって、野郎のってのはどーかとあたしも思うけどさ、かといってあたしの髪は商売物だからね、可愛い妹分にだってロハって訳にはねえ…その点、あんたの髪は無駄に長いじゃないのさ?うざったらしいもんが世のため人のためになるんだよ、ありがたく思いな!」
「うー…」
 ルクスはぐったり伏してしまった。対照的に昂は瞳を輝かす。
「あの、それではアルナワーズ様、お許し下さいますのね?」
「まあね、あんたみたいな真直ぐな子、泣かす訳にもいかないし」
「ああ、アルナワーズ様!誠に、有難うございます!」
 感極まっての最上礼拝。そのたおやかに見事な様式に、向こうっ気の強い姉御肌もおおいに照れる。
「その様っての止しなって!アタシは姐さんでいいよ」
「では…お姉様」
「うわっ、それも痒いね!」
「え…ご不快でしょうか?」
「いやね、お嬢ちゃんがあんまりきっぱり昔語りのお姫様みたいでさ、アタシなんかはくすぐったいのさ」
「はい…?」
「まー!その首の傾げ方!なんて可愛いんだろうねえ!お人形さんみたいだよ!」
「お、お姉様…苦し…」
 いきなりぎゅむと抱きしめられて、小さな昂は眼を白黒。豊かな胸に顔を押し付けられる格好となり、男子である身としては呼吸も苦しいが恥じらいもあって、早く逃れようと手をぱたぱたさせてしまう。
「おい、アルナワーズ!そんな巨乳で揉まれたら、嬢ちゃんの息が止まっちまう!」
「ああ?なんて言い草だろうねえ!」
 取り合えず、矛先が変わったようで、解放はされたものの、相も変わらず大らかに過ぎる守護者の物言いにまた一段と朱色が差す。
「さっきなんてこの子の指が無くなるとこだったのに、あんた何にもしなかったろ?それでも男かい!」
「うるせえ、引っ込めって言ったのはどいつだよ!」
「引っ込めって言われて引っ込む男がいるかい!え、女一人守れないでよくも腕利きなんて言えたもんだね!」
「ぐっ…」
 心は少女のルクスとしては、これみよがしのアルナワーズの姿に少なからぬ嫉妬がある。嫌味の一つでも言いたい気分であったが、何といっても女の年季が違う。そうでなくとも今は男の身、こんな時には切り返す言葉も思いつかぬ。
「あの、お姉様!私、大切な事を失念しておりましたの!」
 昂はどんな時でも守り人の味方である。
「私、昨夜に暴漢に襲われたのです!その危うき所をルクス様に救われ…」
「分かってるって。大の男が雁首そろえて、だあれも何にもできないでいる所へ、ひらりと現われて並み居る敵をばったばた!」
「いやあ、ま、実力ってモンさ」
 ボカッ。今度は拳が飛んで来た。
「ってえ、何すんだよ!」
「全く、ちょっと持ち上げただけですぐこれだよ。そんな腑抜けたにやけ面じゃあ折角の美男子も台なしじゃないかい、嘘でもいいからちょっとは謙遜しな!」
「でも、本当に勇ましく素敵でしたわ…」
「ほら!嬢ちゃんもそう言ってンだろ?…ま、ちょっとは焦ったぜ。てっきり、俺が小さな女の子、無理に手込めたって噂だけが広まってンのかと思ったぜ」
「あーら、えらく広まってるね!」
「ええー!?」
「あの、女泣かせの顔の癖に女嫌いの『太陽のルクス』が、あろうことが年端も行かない子が嫌がってるのにあれこれ無体したって話『だけ』が評判になってるのさ」
「そんな!ルクス様は勇者であらせられるのに、酷い…!」
 また泣き出してしまった昂を軽く宥めたアルナワーズ、貰った金髪をさっそく編み出している妹分をはばかるように今度は声を潜めた。
「相手、あの皇国の夜郎党だったんだろ?」
「ああ?」
「ギルドがね、折角目障りな奴らを潰してくれた恩人を皇国に渡したくないってんで、一応の緘口令を出しててね、」
「何だって!?」
「偽装も兼ねて、『そっち』の話だけがやけに出回ってるのさ」
「!」
 腑に落ちる。成る程、昂との話は、なまじルクスの身持ちが今まで堅くて、しかも女にいつも追掛けられていたことが有名だっただけに、相当なスキャンダルである。大した操作をしなくとも、とてつもない勢いで広まるに違いはないし、そんな奴だと知れれば皇国も油断しさほど注目もしないだろう。良策ではある。
「そっか、思ったよりここも皇国の影響来てるって話だからなあ。…けどよ、俺としたことが、あいつら逃がしちまったンだぜ?俺はどうにも目立つしよ…一思いにヤッちまえば良かったぜ」
「駄目駄目、一思いじゃああいつらに殺された人間も浮かばれないさ。どうせなら皇国お得意の、たまげる様な死刑の方がいいって!それと、あの腰抜けが正直言うと思うかい?女みたような美人の男に、しかも一人にやられたなんてさ!」
「それもそうだな…」
「ま、そんな訳だから、根も葉も無い噂立てられた位でがたがた言うんじゃないよ!」
「根も葉も無い噂…?」
 ルクスと昂が同時に硬直する。折角、良い芝居だと思っていたのに、アルナワーズは端から信じていなかったのだ。
(じゃ、また迫られたりするのかあ!?)
(お姉様には…真実を申し上げるべきでしょうか…)
 今後の災難を思ってルクスは青く、また嘘を言うにも恥じらいが邪魔をして言葉が出てこない昂は耳まで赤くなる。が、その奇妙の間をなまじ経験豊富な『おネエ様』は誤解した。
「ちょ、ちょっとあんた達!まさか、まさか…?」


 結局ルクスは当初通りの芝居を打つことに決めた。
「いや、言っとくがちょっとだぜ?味見程度、途中まで…」
「途中までってあんた!」
「お姉様、ルクス様は本当に酷い事はされておりませんの!」
「酷い事って…酷くはない事はされちまったのかい?」
 勢い込んで尋ねられて、昂は真っ赤になってうつむいてしまう。適当な事を言えば良いと分かっていても、羞恥心が遮ってしまう。そんな純情さが、却ってどんな演技より効果的なのだが。
「胸とか…触られちまったの、かい?」
「…はい」
 さらに身を縮めながら、消え入りそうな声で答える。実際は『触らせ』たのだが。
「なんて事だい!お嬢ちゃん、幾つだい?」
「…十、二にございます」
 これは台本にはない話だが、確かに本当の年齢を言うよりは面倒がない。ルクスも調子を合わせる事にする。
「何せ、月水もまだな子にいきなり突っ込む程、俺も鬼畜じゃねえって…いてっ!」
 猛烈な平手が飛んで来た。
「こんな小さくて可愛い子に突っ込むも何もないよ!奇麗な顔してる癖に、なんてデリカシーが無いんだろうね!ほら、昂のお嬢ちゃんたら、赤くって赤くって茹で死にしそうじゃないかい!」
「あの、あの!でも、私ルクス様を真実お慕いしておりますの!私にはルクス様は唯一無二のお方にございます!」
 義憤に燃えているアルナワーズに必死ですがる。
「ルクス様は、私の命ばかりか、魂まで救って下さいました…」
 思いの全てを乗せて、熱の籠った声。実際、その台詞は芝居ではなかった。そして熱意は必ず伝わるものだ。
「そう…子供でも女だねえ、惚れ切ってるんだねえ…」
 ルクスの襟首を掴んでいた手を放し、しみじみ言う。
「それじゃあねえ…でも、顔と腕前はともかく、何だってこんな馬鹿頭に、こんな芯からのお姫様が惚れたんだい?」
「そりゃあ、俺の方が聞きたい位さ…」
 実際、ルクスとしても何だかむず痒い。確かに、昂の生命も心も助けたが、当然といえば当然のことだ。それをここまで恩に思うのは、つまりは昂が当然受けられるべき好意も全く無しに、非情な運命に翻弄されて来た事を示している。その事を思うと複雑だが、嫌われ通しの半生だったので、とにかく率直な好意は非常に嬉しい。思わず口元が緩む。
「なーに、にやついてるんだい!このロリコンスケベが!」
「ロ、ロリコンって言うなよ…」
「だってロリコンじゃないのさ!…そら!」
 美女の白い手が伸び、昂の胸元に触れた。一瞬、女装がばれるかと硬直したが、細い体型と偽りに告げた年齢のお陰で全く怪しまれなかったらしい。
「あらあら、小さいどころかまだ胸も出来てないじゃないかい!…それなのに、もう触られちゃったんだねえ…」
 しみじみ残念そうに言ってから、まだどぎまぎしている昂に顔を寄せる。
「いいかい、お嬢ちゃん?あんた、今だって十分可愛いけど、ここが膨らむ位になりゃ、そりゃあ引く手数多だよ。あんなのほっといて早く大きくなって、選り取りみどりの中からあんたの好い人探すんだよ?」
「え…」
「おいおい変なコト吹き込むなよ。嬢ちゃんはもう…」
「お嬢ちゃんはお嬢ちゃんのもの、あんたの持ち物じゃないよ!…いいかい、昂ちゃん、ああいう馬鹿はとにかく女を自分の手の届く所に囲っておきたくてさ、女が育たないように邪魔するけど、そんなの気にするんじゃないよ!さっさと胸も背も大きくして、あんなのふっちまいな!」
「そんな、ルクス様は女性(にょしょう)を束縛するような方ではありませんわ」
「ん〜?まあどうだかねえ。…やっぱりお嬢ちゃんはもっと育った方がいいと思うね。…ん?」
 昂の前の、食べかけの食事を見てまた金糸の眉が跳ね上がる。ちなみに、紅豆のスープの他は馬鈴薯のお焼、白い平パンに香辛料を利かせた惣菜のみと昨夜に比べて随分質素である。今後の旅は何かと物入りになりそうだし、この町であまり宝石を換金するのもなまじ高価過ぎる玉ばかりなだけに危険が伴う。昂の隠していた現金はもう一袋あったが、やはり節約も大事だろうと、安い割りに旨くて滋養のある物をルクスが注文していたのであった。
「ちょっとあんた!」
「いてててて!だから、引っ張んなって!」
「あんたには甲斐性ってもんが無いのかい!育ち盛りの子にこんな野暮ったい物食わせて!だからお嬢ちゃんたらこんなに小さいんだよ!」
「あのお姉様、これは…」
「いいのいいの昂ちゃんは!あんたと来たら、口を開けばこの案山子頭かばう事ばかりじゃないのさ?駄目駄目、男ってのはとことん利用しなきゃ!」
「おいアルナワーズ…」
「何さ、どけち野郎!服にかける金がそんだけあって、女養うに不足があるもんかい!男ってのはね、自分の衣なんざどーでもうっちゃって、それこそ褌一丁で震えてても惚れた女の面倒はちゃーんと見るもんさ!」
 全くこの姐さんは威勢が良い。だが、そもそもルクスの惜しんだ金は、元々昂の物なのだが…
「ほら給仕!葡萄酒に肉、飛びっきりの奴持って来な!旨くなかったら承知しないよ!」
 無敵の美女に勝てる者などいる筈も無く。さっさと、臨時の宴会を仕切り出した。

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(C)獅子牙龍児
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