真紅の美女 (5)


 コ、コ、コ…。忍びやかな音に気付いたのは、個室に戻って間もなくのことである。立ち上がろうとした昂を制して、念のため、ルクスが扉に慎重に近づく。
「あたしだよ」
 声は確かにアルナワーズだ。
「一人、か?」
「当り前だろ?疑り深いね」
 返答に遅滞はない。漸くほっとして、中に招き入れた。結構な大荷物を抱えた、平服の美女。が、何故か妙に楽しげだ。
「なんだよ?にやにやしやがって!」
「いやねえ、あんたって意外に慎重じゃないのさ?あたしがちょっと控えめな歩き方した位で偉い警戒しちゃって!」
「うるせーなあ…」
「でかい図体ですねない、すねない!ま、あんた合格だね」
「何?」
 慌てて振り向くと、サファイアの瞳が真直ぐ睨んでいた。
「あんたがね、どれ位その子を守ろうとしてるか、力量があるか、ちょいと試させてもらったよ。…油断するんじゃないよ!あんたがそのいたいけなお姫様粗末に扱ったら、容赦しないからね!」
「お、おう…」
 今日は迫力負けしっぱなしだ。だが、フーリーの中心格でギルドとも繋がりがあるアルナワーズが昂の味方になってくれたのは何とも頼もしい。
「じゃ、あんたちょっと外に行ってな!」
「へ?」
「へ、じゃないよ!レディーの着替えだよ、礼儀わきまえな!」
 アルナワーズが衣類らしき包みをかざしながら言うのに対して、急に昂が青ざめる。
「あの…私…」
(やべ!そうだ、着替えしたら男ってばれるかも…)
 いくらアルナワーズが昂を気に入っているからと言っても、やはり性別がばれるのは良くない。彼女も騙されたとは思うだろうし、高貴な女装の麗人ともなると、好奇心も抑えられないだろう。
「自分でできますので…あの、戴けるだけで十分ですの…」
「やっだあ、遠慮しないの!あたしだってね、昂ちゃんの可愛いお召し替え見たいし〜、色々仕上げもあるし?ほら!そこの男!さっさと出て行きな!下着から着替えんだからね、覗いたりしたら承知しないよ!」
「あ、あの…」
 昂も必死である。出来ることなら、着替えの手伝いだってルクスに頼みたい位だろう。だがはしゃいでいるアルナワーズを説得するのは難しい。
(どうすっかなあ…)
「なんだい、このスケベ!見たいってのかい?」
「あんたこそ、深窓の令嬢に向かってさあ脱げそら脱げって言わんばかりじゃないかよ!」
「ああ?何変なやきもち焼いてるんだい?あたし達女同士だよ?」
「あーあー、やっぱフーリーはデリカシーが足りねえなあ…」
「何だって!」
 金色の柳眉がくいっと上がる。低く見られがちな歓楽街の女達だが、皆それぞれ自らの職業に人一倍の誇りを持っている。侮辱には誰より敏感だ。
「ホントにいいトコのお嬢様ってのは、女相手にも裸なんて見られたくないモンさ」
「あ…まあ、そうかも知れないけど…」
 美女が少々気まずげに少女を見遣る。確かに、ひどくもじもじしているのが彼女にも見て取れた。
「…あと、俺が後ろ向いて目隠しするってのはどうだ?」
「はあ?」
「だってよ、廊下で待ってるのも手持ち無沙汰だし、俺としても、嬢ちゃんどんなになるか興味あるしよ、すぐ見たいモンだぜ!」
 言いつつ昂にこっそり目配せする。賢い昂はすぐその意図に気付いたようだ。
「私も、新しい服を着ました所を、すぐルクス様にご覧に入れたいですわ。…でも、お姉様、いくらなんでも…そのう、日の下で下履きまで取りますのは恥ずかしゅうございます。上の方の服まででもよろしいでしょうか?」
「えー?ちょっとちょっとお、あの馬鹿には見せた癖にお嬢ちゃんたら、この姐さんには見せてくれないのかい?」
「何言ってんだよ、俺だって明り消す位の気配りは出来たぜ?」
「…かーっ!ほんとっにもう、なんて野蛮人だろうねえ!…まあ、いいさ。このお嬢ちゃんたら本気で恥ずかしいみたいだしねえ、ほんとに残念さ…」
 実に、無念そうに、取り出しかけた着替えをしまいこむ。が、見るともなしにルクスはその物体をはっきり目撃してしまった。毒々しく真っ黒な薄物、派手な透かし編みの縁どり、なんとも細く少ない生地…
「って、おい!」
 慌ててアルナワーズを戸口近くまで押し退け、小声で怒鳴る。
「てめっ、なんてモノを嬢ちゃんに着せようとしてたんだッ!」
「あーら?やっぱりロリコンだとああいうの、苦手?」
「苦手とかじゃなくてなっ!」
「ふふん、それじゃやっぱり勿体なかったねえ…普通の男ならともかく、あんたみたいな変態なら、ああいう際物に恐れをなすだろうって、お嬢ちゃんの貞操帯代わりにちょうどいいかと思ってね」
「貞、操、帯…」
 物凄い発想だ。
「まあ、あの様子じゃあ、昂ちゃんの方がびっくりして失神しちゃうかもねえ」
「あ、当り前だろ!」
「まー、凄い冷や汗だねえ、兄さん意外と純な所もあるじゃないの…ん?」
 ふいに、姉御の眼が輝く。
「ひょっとして、あんた、『童貞』かい?」
「うぐっ…!」
「ひゃっはっはっは!これはウケたねえ!成る程、まだ『童貞』なもんで、あたしらみたいな大人の女は怖いんだねえ…」
「か、勝手に話作んなッ!」
 確かに『まだ』であるが、一応男の身である今、連呼されるのは非常に恥ずかしい。
「あー、それでねえ、昂ちゃんな訳だ…うんうん、それなら最後まで行けなかったのもよく分かるねえ…」
「納得するなって!」
「あのう…?」
 壁際で勝手に盛り上がっている二人に、昂が不安そうに声をかける。
「あらあら、置いてけぼり食わしちゃったねえ…じゃ、取りかかるとするかい!」
 白い手が、手早く包みを解きにかかった。


(けど、これはあんまりだろ?)
 結局、ルクスの同席は許されたが、目隠しはおろか手まで縛られてしまっていた。正確に言えば、やたらに軋む椅子を扉付近に置き、そこに外を向いて座らされて目隠しされた上、椅子の背もたれに縄で腕を括りつけられてしまった。ルクスの長身には低すぎる椅子のため、足の長さが余ってしまい苦しい姿勢で痺れそうだ。
(アルナワーズの奴、完全に面白がってやがる…)
 後ろでははしゃぎまくった女の声がひっきりなしに聞こえる。無論、ルクスも心は女だから、別に他人の着替えを覗く趣味はないが、こうも疎外されると却って飢餓感が疼く。
(早く終わってくれ〜!)
 天の神は不幸な傭兵を見捨てなかった。…程無くして、アルナワーズが近寄って来る気配がした。
「はい、ご対面〜!」
 戒めを解かれ、おどけた声に振り返ると、確かに印象の変わった少女が立っていた。
「へえ…」
 全体の色は、淡い水色。元々の服は足は踝まで腕は手首まで覆われていたが、今度の物は裾も袖もむしろ短めで軽快な印象である。襟は白く、きっちり端から端まで縁どられ、堤灯形の袖の縁にも同様の処理が施されている。腰の辺りは高めに絞ってあって、その下はふわっとふくらんだスカート。これは膨らみをよくするために、下に数枚同じ型の布を重ねてある。胸元にもひだが寄せられ、飾り紐がアクセントに留めてある。
 悪くは無い。
 だが、全体の染めが甘いし、飾りの模様もいかにもまがい物じみている。
「う〜ん、遠目にはキュートだけどよ、よく見ると襟のトコとかイマイチ安っぽくねえか?」
「ま!流石は伊達に衣装道楽してないねえ。確かに、レースなんかは結構インチキさ」
「あの、でもこの忘れな草色は素敵ですわ」
「あら、お嬢ちゃんたらいいこと言うねえ。でもさ、兄さんの言うことももっともさ。なんたって、そう狙って組み合わせたんだからね!」
「狙った?」
「だってさ、前にこの子の着てた服ときたら、一見ぱっとしないけど、うっかりまじまじ眺めると、とんでもなく凝ってるじゃないのさ?そんなの見たら、どんな子だろうって余計気になるだろ?だけどね、この格好だとさ、可愛いから声かけようかーとか思って近づいたらありゃこの程度か、てな寸法でね、女の面目も一応立つけど深い詮索もされないって訳さ」
「へえ…」
「まだまだ!アルナワーズ姐さんの魔法はこれからこれから!」
 上機嫌の姉御は、今度は紅筆を数本取り出した。
「へ?この上化粧もすんのか?」
「ふっふっふ、このお嬢ちゃんなら化粧しなくたって十分とか思ってるんだろ?違うねえ、化粧ってのは色々やり方があるのさ!」
 慣れた手つきで、幾つもの紅壷を並べ、昂の肌色と比べながら取捨選択して行く。まずは何かクリームの様なものを顔全体に優しく広げる。その後、何種類かの紅筆や化粧刷毛で素早く色を乗せて行く。実に鮮やかな手並だ。
「さてと!…どうだい?」
「む!面白いモンだなあ…!」
 目元が何だか眠そうに変わった。これはアイシャドーの効果で、浅めの蘇芳色でぼかしただけで、妙に媚びたような甘えたような目になる。アクセントに水色の顔料も塗られているが、これも少々演出がわざとらしく、魅力的ではあるがどちらかといえば頭は悪そうな仕上がり。頬にも丹が捌いてある。血色は良く見えるが、微妙な色選択でこれも却って田舎娘を演出してしまっている。またもう一つ目立つのは唇。明るい桃色がきっちりと塗られているが、立体感を無視した厚塗りの上に縁が幾分はみ出しているため、この愛らしい色彩が元々のふっくらした唇をはなはだ平板なものに変じさせている。個々の色合いは少女らしく可愛げだが、全体の印象からは昂を昂たらしめる知性や気高さが抜け落ちてしまっている。
「なんて言うか…悪くはないけどお子様が背伸びして化粧にチャレンジしました、ってカンジ?」
「そ!後は、念のために…」
 肩までゆったり垂れた黒檀の髪を緩く編んで服と共布の飾り切れで結び、頭全体をスカーフで包み込む。こうすると、平民ながら小金持ちの娘が、祭りにうきうきして普段出来ないお洒落に挑戦しているような風情に仕上がる。
「へえ…!嬢ちゃんのいい意味での神秘的なトコが程ほど消えて、普通の子みてえだ!」
「変装、と言う程にはいじっちゃいないけど、この程度の方が怪しまれなくって良いだろ?どうせ、ヅラや毛染めは玄人にはバレバレだからね、ちょいと地味にしてやる位がちょうど良いさ!」
「地味、でしょうか…?どの色粉もとても華やかな色に見えますのに…」
「ん?おやお嬢ちゃんたらすっぴんより気に入ったのかい?…まだ子供だねえ、お嬢ちゃんの可愛らしさの前じゃ、こんな粉なんざ褪せちまうよ。あたしは絶対化粧よか元の方が奇麗だと思うし、そこのやたら軽い優男だってそう思ってるよ?」
「ああ。…でも、すまねえな。こっちは迷惑かけ通しなのに、随分手間かけさせちまって」
「勘違いすんじゃないよ。あたしはね、あんたじゃなくってこの可愛いお姫様に一肌脱いだだけさ。…さて、兄さんもぼやぼやしてないで、とっとと情報屋の所にでも行ってきな!」
「お、おい!簡単に言うなよ!俺、この町は久しぶりでよ、情報屋の当てなんざ…」
「当てならあたしが作っといてやったよ!感謝しな!」
「マジかよ!?」
「後ね、あんた達本気で惚れ合ってるって、フーリーの『連』には通しておいたからさ、もう酒場で岡惚れされる事もないよ。安心しな!」
 その台詞に、ルクスと昂が思わず顔を見合わせる。狙って芝居を打った訳だが、やはり少々照れ臭い。もっとも、フーリー連に話を着けられたのも頭目格のアルナワーズが味方についた御陰である。歓楽街の店は大なり小なり盗賊ギルドに上納金を払っているから、フーリー自体も組織の支配下だが、酷使されがちな女性達が自衛のために作った連には独自の影響力がある。その連の通知なら、女の仁義にかけてまず違えるような事はありえない。皇国の細かい動きを知るに様々な人間が訪れて酒と女で口が滑りがちな酒場巡りも重要だが、その際の余計な女難が減るのは心底ありがたい。
「色々、本気ですまねえな。…あんたにも、まじないの金髪、やんなきゃなんねえかい?」
「ハ!馬鹿をお言いでないよ!目ん玉かっぽじってよく見てみな!あたしの金髪は天下一品、そこいらの顔はいいが中味は腑抜けのクズ野郎の髪なんざ、頼まれても貰ってやらないね!」
 威勢のいい呵呵大笑、晴れやかな笑い声を残して、紅の美女は去って行った。だが、ルクスは見てしまった。去り際のアルナワーズの目元に、光る一滴…
「すまねえな…」
 小声で詫びつつ、面倒なこの肉体に嘆息した。

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(C)獅子牙龍児
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