北辰の祭礼 (2)


 その後は特に事も無く、無事に数日が過ぎた。新たな夜郎党の増員も無いらしく、裏町は平和この上ない。夜郎党も蝙蝠騎士団同様、人為的に作った夜型集団だが、基本的には薬物と朱雀石の付け焼刃のチンピラに過ぎず、皇国もあくまで国威を示すためのみに配置している節があり、欠員をなおざりにする事は珍しくない。しかし、逆に密かに騎士団を増やしたとの噂もあり、むしろ皇国が本腰を入れ出した証拠と見る向きもある。いずれにせよ、無軌道の暴漢が減って束の間であっても無駄な人死にが減るのは良い事ではある。
 ルクスも比較的安心して歩き回れた。アルナワーズの『化粧』の御陰もあって、昂を連れていても問題ない。何度か、情報収集とアルナワーズへの謝礼も兼ねて、フーリー達が酌をしてくれるような店にも同伴したが、ルクスを恐れて昂に不埒を成す輩も皆無だったし、連の申し送りが効いてフーリーに言い寄られる事もなかった。むしろ、昂はとにかく誰からも可愛がられて、久方振りで朗らかな気分に浸れたようである。昂は実に聞き上手で、小首を傾げた可憐な様子とそのつぶらな瞳に見つめられると、大概の人間は知っていることを洗いざらい喋ってしまう。この紅の美女の細工も隠しえぬ魅力に大いに助けられ、かなりの噂話を掴むことができた。酒と祭りの相乗効果で皆口は軽くはなっているのだが、盛り上がりすぎた場の空気を冷やさずに望みの話題に導くのは、正直かなりの苦労だったから、これは思わぬ援助である。

「ああ、本当に楽しいこと!」
 初めてあった時とは別人のように、軽やかな足取りで石畳を踊るように歩く、水色の少女。
「田舎では、こんな色々なお店は望めませんもの…嫌な婚約の事など、うたかたの様に消えてしまいましたわ!」
 晴れやかな笑顔を向ける、昂。二人は取り合えず、昂が無理に押し付けられた結婚話から逃げようと、地方の商人の家から家出して、そこでルクスに出会ったと口裏を合わせてある。有りがちだが実際よく起こる話だから、特に疑われていない。普段からぼろを出さぬよう用心すべきと分かっているが…こんなに楽しげな時にも芝居を忘れない昂の様子は少々痛々しい。
(生き延びるためとはいえ、ずうーっと芝居をし続けて来たようなモンだしなあ…)
「ルクス様…ルクス様?」
「あ!いやいや、ちょっとボーっとしてた」
「あの、今夜が花火、ですね?」
「おお!俺としたことが忘れてたぜ!そうそう、特等席のある店、あんだぜ?」
「まあ!」
「行こう!早く行かねーと、あぶれちまうぜ!」
「ええ!」
 もはや、皇国の魔手も翼竜国の追手もすっかり忘れ去り、手に手を取って薄暮の中を走り出す二人…


「うー…」
「遅過ぎ…ましたね…」
 眼前の、行列というよりは黒山の人だかりに言葉を失う。まだ、日は落ちたばかり、花火は夕餉もすっかり終わる頃に打ち上げるというのに、だ。
 ここは特別背も値段も高い大店(おおだな)ばかり立ち並ぶ高楼街の一角である。特に、ルクスが目指したのは花火に最も近いプルトン富貴館で、特別広い二階の張り出しから美酒と火の舞いを楽しめる…筈だった。
「すまねえなあ、嬢ちゃん…」
「いえ…」
 平気な素振りをして見せるが、足元が震え、動く度に幼い顔に痛みがよぎる。当然といえば当然で、纏足のまま全力疾走したために、酷く足を痛めていた。
「…寄っかかってな」
「はい…」
 辛そうな小さな身体を支えながら、仕方なしに別の店を探そうとした、その矢先だった。

「ちょっと!兄さん、兄さん!」
「ああ?」
 路地の暗闇から若い娘の呼び込みの声。女難続きの勇士としては胡乱な事だと身構えてしまう、が。
「あの方…ひょっとするとアルナワーズお姉様といらした方では?」
「へ?」
 よく見ると、手に例の腕輪の輝きが。
「もう!じれったいよ!ほら、お嬢ちゃんも!」
 確認する間もなく、業を煮やした娘は飛び出して来るなり、二人を細い路地に引きずり込む。
「うわっとっと!いてえよ…って、あれ?」
 まじまじと相手を見ると、やはり覚えがある。暗さで断定はできないが肌はやや浅黒く、髪は金髪だがやや跳ね気味、それを頭頂高く結んでいる。髪に合わせてか山吹色の衣で、二の腕は剥きだしで太股も露、おまけに臍出しどころか腹が冷えそうな衣装だが、どうも本業は踊り子らしく、全身の筋肉が引き締まっている。それと歓楽街の娘にしてはまだまだ発展途上の体型のため、色気よりも元気の良さが伝わってくる。名前は確か…
「えーと、サタヤ、だっけ?」
「そう!よく覚えててくれたね!」
 頭の黄色い尻尾を揺らしながら娘が喜ぶ。笑顔を見る限りではまだ十代のようだ。
「姐さんがね、あんた達どうせまごついて途方に暮れてるだろうから、ここの亭主に話付けて部屋押さえといてくれたんだよ!」
「へえ〜!そりゃあ…」
「おっと!お代はそっち持ち!とーぜんでしょ?」
「ちぇっ、しっかりしてやんの。ま、俺達も『一見』だから、そいだけでも破格なこった」
「そ!じゃ、案内するね!」
 明るい娘の手引きで、裏口から入っていった。

「痛っ…」
 少女が耐え切れずつぶやく。ただでさえ痛む足に階段はきついらしい。
「ちょっと兄さん、まさか…」
 どうも、思春期のフーリーは少女の痛む箇所を取り違えたらしい。じとりとした視線を向けて来る。
「そんな、酷くなる程…」
「違うって!嬢ちゃんの痛いトコは足だよ足!」
「へ?」
「あ…御心配をおかけして…はしゃぎすぎて、まめを作ってしまいまして」
「ああ、それで庇ってたら挫いちまったみたいでさ」
「え〜?四階まで行くけど、平気?」
「平気なワケ…ちょっと待て、四階!?」
 最上階である。無論、花火見物にはまたとない場所だが、この界隈でも大変な高層に当たり、値段も飛び抜けている。
「お、俺らも、そんなには払え…」
「やっだあ、びびっちゃって!姐さんそんなに人が悪いと思う?」
 思う、とは口に出しては言わない。
「いや…」
「ちゃんと話つけてあるって言ったでしょ!値切りに値切ってね、二階席の値段にちょいと上乗せした程度なの!」
「ほ…」
「でも、料金先払い!」
「げ!」
「げ、じゃないでしょ!それ位…祭りのときはみぃんな飲みすぎて、勘定いい加減になるから、ここでなくても大抵前払いだよ?」
「はあ…そうやってぼったくるワケだあ…」
「ひっどぉーい!そりゃ普段よりはちょっとは高めだけど、こーゆー時ってみんな馬鹿飲みするじゃない?下手すると、こっちの損になる位!…それより、その子、どうすんの?」
「あ、歩け…ます」
 気丈を言うが、やはりお姫様育ちには辛かろう。
「よし!」
「きゃ!…ルクス様!」
 軽々と抱き上げる。元より昂は小柄でルクスは見た目に依らず怪力、何の苦もない。
「わ!かっこいい!何かどっかの騎士様みたーい!」
 サタヤも思わず手を叩く。
「ま、な!…最初からこーすりゃ良かったぜ!」
「でも…四階までですのよ…?」
「だあーいじょーぶ!嬢ちゃん、俺を誰だと思ってる?大陸一の美形で腕利きの…」
「人呼んで『太陽のルクス』!」
 ノリのいい娘が合の手を入れる。
「そ!心配ナッシング!…じゃ、上がるか」
「うん!…あ、この先ちょっと狭くなるから気を付けてね〜」
「うわ!…そーゆーコトは先に言ってくれよ〜」
「ぜーたく言わな〜い♪」
「はいはい…」
「くす…」
 何だか、楽しい夜になりそうだった。



「まあ!」
 露台の手すりに身を乗り出して歓声を上げる。
「おいおい、落ちンなよ、嬢ちゃん…」
 言いつつもルクスも夜景を見に出て来る。歓楽街であるだけに普段からそれなりに灯があるが、今夜は格別だ。表通りも含めて、特別の色硝子入りのカンテラを掲げ、とりどりの光が目を奪い、さながら第二の天球の様。大きな通りに、時折祭りの行列らしい灯明の筋が揺れるのが何とも幻想的な光景である。
「町は…こんなに美しいものだったのですね…」
 頬を紅潮させての夢見心地の声。思わず苦笑してしまう。
「まったく、嬢ちゃんは感激屋さんだなア…確かに奇麗は奇麗だが、ま、特別おめかししてるだけさ。日の下で見りゃ、結構ごみごみしてんだぜ?」
「でも、このような眺め、初めてにございます…私は辺境育ちゆえ」
「あ、そっか…」
 自然に囲まれて、と言えば聞こえは良いが、要は人里離れた場所である。逃亡のため致し方ないとは言え、さぞ寂しい子供時代だったろう。
「あの光明一つ一つが人々の生活の証と思うと、なお愛しく覚えます…」
「うわっ、愛しくまで言っちゃうか!…おっと!」
 コン、コンと程よいノックの音。最高級のこの部屋は、一品一品給仕が運んで来るのだ。
「お!いーぜ?」
 露台に寄りかかったまま、のんびり答えると、直ぐさま扉が開かれる。名店らしい、立ち居振る舞いは無論、姿も役者顔負けの銀髪に色白細面となかなか美男の給仕である。
「え!?あの、失礼致しました!」
 大急ぎで少女が着席する。その様子にルクスと給仕、二人の青年が微笑む。
「いいんだって!今夜は無礼講だぜ?」
「左様でございますよ。どちらのお客様も、食事より夜景に心を奪われておいでです」
「あの、でも…」
「いえいえ、この眺めも当店の自慢の品、商品にございます。お気に召されて何よりです」
「嬢ちゃんよう、そんなお上りの庶民みたく畏まるこたァないぜ?今夜ばかりは俺達、王侯貴族さ!パァーッと行こう、パァーッと!」
 大仰な身振りで忘れな草色の少女の緊張をほぐしてやる。もっとも、胸中には冷静な計算もあった。
(予めこう言っといた方が、嬢ちゃんの身分も低く見えるだろうしな。)
 裏町の歓楽街とは言え、これ程の格の店ともなれば客層は高いし、給仕の目も肥えている。今の昂は舞い上がっていて、とても芝居は望めない。うっかりすると、全くの姫君にしか見えない昂の事を、ここは年かさの自分が守ってやらねばならぬと、密かに気を引き締める。
 給仕が食前酒を高めの瑠璃杯に注ぐに当たり、ルクスも着席することにする。
「如何がでございましょう?」
「うむ…」
 慇懃に畏まる給仕に対し、美貌の青年も貴族的な外見に見合った仕草で杯を嗅ぐ。…が、急に眼の色が変じ、慌てて口に含んだ。
「これは…!」
 忽ち喜色で付け焼刃の気取りがみるみる剥がれ落ちる。
「北限の葡萄…小粒で数も劣るが甘みが堪えられねえって言う、あのノウルーズの、しかも初物じゃねえか!…俺、俺、取り合えず赤くて甘いのでお薦めのヤツって言ったんけど…」
 先程の余裕はどこやら、嬉しさと驚きで慌てふためく有様に、給仕が忍び笑いを漏らす。上品とは言い難い物言いと裏腹に、その内容は青年の五感の鋭さを示していた。
「流石はルクス様、ご明察の通りにございます。手前どもは残念ながら辛口の酒ばかり多うございまして、赤の甘口で自信を持ってお薦めできますものは、こちらノウルーズ産のみとなっております」
「ひええええ…嬉し恐ろしい…」
「僭越ながら、こちらも既に料金に入っております。御会計の心配でしたら無用でございますよ」
「お、脅かすな〜」
 すっかり汗だくになり、美男子を台無しにしてしまった守護者の様子に、昂もつい笑い声をたてる。
「ふふ…ルクス様、今夜は無礼講ですのよ?しっかりなさって!」
「お連れ様には同じくノウルーズの、酒精のごく薄いものを御用意致しましたが…」
「あ…済まねえ、俺ちから入んない、頼む…」
「畏まりました」
 本来ならルクスが昂の杯に注いでやるのが作法だが、給仕としても大変に面白いものを見られたので別段不満はない。ただ、込み上げる笑みばかりは押さえようもない。
「いきなり…この調子でデザートまで続くのかよ…」
「まあ、ルクス様ったら!まだまだ花火まで間がありますのよ?」
「う…俺、花火まで…持つかなあ…」
「酷いおっしゃりよう…私に一人寂しく見物せよ、とお命じですの?」
「いや…付き合う、よ。…けど、そん時には白目剥いてっかも知れねえ…」
「どうか、ごゆるりとお寛ぎ下さい。…ルクス様は過ぎる程の味覚をお持ちです。私どもにおきましても、ルクス様のようなお客様は歓迎こそすれ敬遠など致しません。仮にも高名の勇士様を疲労困憊させるばかりであったとなれば、我が方も心苦しく…」
「分かった分かった…リラックスするよ、前向きに。…ああでも期待ってゆーより、何か怖い…」
「では、前菜を運びますので、いま暫くお待ちください」
 上機嫌の給仕は、ゆっくり静かに扉を閉じた。


 廊下は酷く薄暗い。その、誰の眼にも触れぬ所…
「そう…もう暫く…」
 男の口元に不可思議の笑みが上る。
「『太陽のルクス』よ…」

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(C)獅子牙龍児
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