北辰の祭礼 (3)


 結局の所、その晩は当初の思惑に反して昂の独壇場となった。別に、昂としても出しゃばりはしなかったが、肝心のルクスが圧倒され通しなので致し方ない。さり気なくまた甲斐甲斐しい手助けにより、ルクスも食事の後半には何とか人心地が付いてきた。元々料理も得意で舌の確かさも自他共に認めるルクスだけに、終わり頃には偉そうに蘊蓄を垂れる余裕も生まれた。訓練はできているが如何せんまだ若い給仕はそれらの話題も興味深かったらしく、随分感心した上に特別サービスとかで、デザートの後に南方伝来の混合酒ビブロストをも運んできた。虹のように何層にも色が重なった珍しいもので、色の帯を崩さずに飲むにはややコツが要ったが味もまた霊妙、酒精が強すぎて昂には無理な事だけが残念であった。
 こうしてルクスと昂双方にとって得難き会食も滞りなく終わった。

「あー食った食った!しっかし、ここはマジで何でもあるなあ…」
「そうですね、みずみずしい海の幸まで出ましたのには驚きましたわ…」
「そう言やあ、町で聞いたトコによると、砂漠をえらく素早く抜ける方法がなんかがあるらしいぜ?」
「まあ…何か、古代魔法の乗り物か何かでしょうか?」
「さあなあ…でも、黄土に魔術師なしって昔から言うぜ?商人にしても何にしても、土着の遊牧民にしても、あんまし魔法とは縁がなさそうだしなあ…」
「でも、斯様な術が利用できますれば私達も…」
「嬢ちゃん」
 ふいに重い声をかけられて慌てて振り向く。青年が、指を一本唇の前に立てていた。
「あ…」
(いざとなりゃ、俺と嬢ちゃんは念話もできる。これだけ格上の店なら、給仕の立ち聞きもねえだろうが、計画の具体的なトコは止めといた方がいい。)
(申し訳ありません…)
 すっかり消沈した昂に苦笑して、気分を変えるように明るい声を出してみる。
「さて!もうそろそろお待ちかねの花火が始まるぞ!」


 辺りの高い家屋の窓という窓に、人々が鈴なりになっているのが窺える。中には屋根にまで登る輩もちらほら。町の興奮は今まさに最高潮。
 お誂え向きに無粋な雲もなく、空には切れ目の無い暗幕が広がっている。正しく、奉納の花火にふさわしき夜。
 露台の二人も、かつてないほどの胸の高鳴りを覚えていた。
「もうすぐ、ですのね」
「ああ」
 知らず声が潜められ、掠れる。そして…
 ヒュルヒュルヒュルヒュル…ドカーン…!
「素敵!」
「すげえ!」
 たちまち、紅白二種の大輪の輝く華が開く。
「ああ…あんなに広がって…」
「まだまだ、驚くのはこれからだって!」
 極上の笑顔を浮かべる青年。…実際、かの二輪はその長い長い夜の始まりでしか、なかったのである。

「あ!ご覧下さいまし!色変わり、変化花火ですわ!まあるい虹のよう…」
「お!今度は馬鹿にでっかい枝垂柳じゃねえか!」
「ルクス様、ルクス様、あちらも!」
「うお!何だあれ仕掛け花火か!?」
「胡蝶…でしょうか?一瞬で良く見えませんでしたけれど…」
「あ!嬢ちゃん嬢ちゃん惚けてる場合じゃねえよ!こっち、東!」
「ええ!?親子、花火、でしょうか…?」
「い、いや、孫もひ孫も出て来た…すげえ…マジすげえ!」
 夢のような、炎の華。この日この一夜のためだけに生まれ、一瞬で消えて行く。皆が皆、このはかなき美を永久に見続けたいと思ったに違いない。が…
「あ…」
「如何がなさいましたの?」
「いや、今の、地味で無駄にでかい花火、終わり際によく打つんだよなあ…」
「では、もう、お終いですの…?」
「…多分…」
 何とも美しいだけに…全てが終わった後の静か過ぎる闇が、無性に寂しい。それでも花火師達は、最後の最後まで気を抜かなかった。
「わ!」
「ああ…なんて…」
 最後は一時に、多種多様な花火20発ばかりを打ち上げて見せた。お互い競い合うように、広がる光輪。
「お花畑のよう…花の、庭園…」
「嬢ちゃん…」
「庭園…お兄様…」
 消え入りそうな声に、頬を伝う涙。小さな手も、震えている。
「嬢ちゃん、こーゆー時は、泣いていいんだぜ?」
 優しく、華奢な身体を抱き寄せる。震える黒髪を、そっと撫でてやる。
「ルクス…様…」
「いいっていいって!たまーにゃあ感傷に浸るのも悪くないさ」
「うっ、うっ…ああ、お兄様…」
 昔日の楽しい思い出と打って変わっての激しい内乱。その二つの記憶が今、小さな胸の中に蘇っている。その奔流に押し潰されそうに嗚咽を漏らす小さな魂を、優しく受け止める。震える身体…
(だが、今の俺にはこの身体がある。大概の事ならこなせる…いいや、こなして見せる!)
 自分は、理想の女性にはなれなかった。まだ諦めた訳ではないが、少なくとも、ふわふわの綿菓子のような、優しくたおやかな少女には絶対なれそうもない。腕の中で声を殺して泣き続ける『少女』は、自分の叶わなかった夢そのもの。
(敵が皇国だろうが何だろうが、絶対壊させない!守ってみせる!)
 独り拳を握り締める。辺りには名残の煙と火薬臭だけが漂っていた…

 ドゴーンッ!!耳つんざく轟音。
「な、何だ!?」
 火柱。真っ赤に吹き上げる炎が夜空を引き裂いている。…花火はとうに終わった筈…!
「あれは…表通りの…」
 ドーン…ドーン…!!呆然とするルクスの視界にさらに二つ、新たな火炎が生じる。
「あ…」
 腕の中の少女は瞬きも忘れて蒼白の様。慌てて、その顔を惨劇から反らさして、死の炎熱をきっと睨む。赤い柱の頂上から、消し炭となった家屋の名残と共に確かに人間らしき姿の落下が見える。それも、多数。
 キィィィン…爆音の名残で耳鳴がまだひどい。機能を減じたままの聴覚にも、阿鼻叫喚の叫びは聞こえてくる。吐き気がするのは何も不快な耳鳴音のせいばかりではあるまい。その間にも灼熱の塔は火勢を弱める景色もなく、周囲に炎熱の飛沫を浴びせている。たちまち近縁家屋が炎の餌食に。
 それを合図にしたように、町の各所で次々火の手。普段より火の気の多い祭事の夜とは言え、この地獄が単なる不始末である筈が無い。しかも、巨大な火柱は明らかに他の炎と異なり、どろどろとしてあたかも燃える泥の様。それは即ち…
「溶岩流…」
「え?」
「大陸南端、馬頭聖国…いや、今は馬頭侯領の、火焔山のモンだ…」
「そんな!この黄土の砂漠からはかの地へは遥か遠く…」
「魔法の導管を繋ぐのさ。火焔山の地中深く、その紅の心臓に至るまで坑道を穿ち、溢れ出る炎の神気をそのまま魔法陣に通し、てヤツさ…」
「まさか…その終末がこの地に…」
「そうだ、糞め!皇国の野郎、この黄土のド真ん中に『扉』開きやがった!」

「しかし…しかし…魔法の陣とて炎には勝てませぬ…かような技を持ちましては…術者もまた…」
「ああ、最後の詰めにゃ、みんな焼け死んだろーぜ!こんな無茶苦茶なやらかすクレイジーマッドは一人しかいねえ!」
 美貌の双眸が火柱に負けじと燃え上がる。
「あの、一つの国を一昼夜でまるまる焦土に変えたド畜生、炎の邪法師ウズガルのロギ!」


 ロギは別の大陸からの渡来人で、故郷では高名の魔導師だったと触れ回り、まんまとさる王国の宮廷魔術師に納まったのだが、その正体は禁断の破壊魔術を究めた外道の徒であったのである。程無くして過去が露見し、かれこれ10年近く昔に多数の魔術師と高位の騎士達の犠牲の元に調伏された筈、だったが。
(畜生…生きていやがった…)
 考えて見ればロギの得意は烈火の技、火蛇皇国は火気の国、しかも共に覇道の野心ありとなれば手を結ぶも道理である。恐らくは皇国お得意の隠密の工作でその死亡を偽装し、じわりじわりと野望の支度を整えていたに相違あるまい。
(む!?しまった、ロギだけじゃねえ!)
 破滅の塔に気を取られていたが、他の火事の様相も尋常ではない。奇妙に黒い煤を巻上げるものや、また燃える前に大きくはぜる家屋もある。
(南部のナプタ瀝青に、焼夷爆薬の類か!)
 ナプタ瀝青は危険な鉱物である。どろりとしていて一見ただの瀝青と区別が付かず、普通の瀝青のように何処にでも塗り付けられるが、適当な処理を施すと「炎素の息」つまり恐ろしく引火性の強いガスを発生する。それも、ゆっくりと。…誰も知らぬ間に大気は炎素に満ち、激しい火災が起きて始めて発見されるのが常。しかも水では消せないと来るから質が悪い。
 焼夷爆薬もまた南部名産の秘薬であり、特に周辺広く延焼させるを目的に調合した特別の火薬である。先の瀝青の類が混ぜられ、弾けた先でまた火災を起こす残虐な代物、しかしかなり匂うはずだが…祭りで多数の火薬を用いるので誰も気に留めなかったのであろう。

(蝙蝠騎士団だけじゃねえ、鉄火女スカサハの闘士団まで来やがった…!)
 闘士団は皇国軍の中でも破壊工作を旨とする集団である。子飼いの騎士団とは異なり、各国から寄せ集めた流れ者ばかり、当然上品とは言い兼ねる外道の得物使いが数多く、無論腕前の方も極悪に凄まじい。しかも皇国お得意の「秘薬」により、狂戦士もかくやの疲れ知らず恐れ知らずを誇る。同時に薬の副作用なのか異常な程に残虐で殺戮を好む…しかもその悪癖は兵士にも民にも区別無く発揮されるのだ。
 闘士団はそれぞれに得意の技がある。灼熱の女神スカサハの名を冠した集団は白兵戦より火薬の扱いに長けた者が多く、敵地に密かに赴き放火により撹乱を計る。この巧みな発火の技は訓練された兵でも、市街地の制圧には必ずと言って良い程狩り出される。
(つまり、いきなりこの砂無翅の町に戦を仕掛けたってコトかい!ここはまず三月は安泰とか言ってたくせに…情報屋のクズめ、話が全然違うじゃねーか!)
 悪態をついても始まらない。まずは状況を手早く整理する。ざっと見渡した限りで火災はぴったり表町で止まっている。やはりギルドの神通力で裏町にまでは凝った仕掛けもできなかった模様だ。
(まだ暫く裏町は平気か…マイナスの宿まではぎりぎり戻れそうだな。)
 虎の子の宝石はほぼ全て昂の水色の衣装に移し代えたが、ルクスの予備の念刀など幾らかの荷物を預けてしまっている。刀も用心で数本は携帯しているが、これからの旅程を考えれば念籠めに最適で東方以外では入手困難な刀は大事にした方が良い。
「嬢ちゃん、とにかく戻るぞ!」
「はい…」
 蒼白の少女を抱えて、扉に向かうまさにその時、至近の距離から叫び声が上がる!…また、外からも、近隣一帯から怒号と悲鳴の恐怖の唱和響き渡る。
「なにィ!?」
 慌てて露台に戻ると、先には無かった炎が、界隈の家々の窓を破っている。流石に溶岩では無いものの、大陸最強の盗賊ギルドの膝元では有りえない光景である。被害はどうやら局地的だが…
「けど、何だってこの近所だけ…」
「あ…!ルクス様、近辺は格別の高級店にございましょう?個室も多く、所持の品の改めも少のうございますゆえ、付け火も直ぐには露見しませぬ。その上、要なる方も数多では?」
 平静を取り戻した昂が乱世で身に付けた智力を発揮する。確かに、歓楽街でも特殊な高層建築が軒を並べるこの通りは、祭りに限らず人気が高く、表は評議会の、裏はギルドの幹部の御用達としても有名である。給仕の口も堅いために秘密の会合にも使われていた。
「む!そうか、コストパフォーマンスもグーってワケ…って感心してる場合じゃねえ!」
 慌てて扉に向かって踏み出すが、非情にもさらに間近に炸裂音が響く。男女入り乱れての悲鳴に、やや遅れて焼け焦げの臭気まで漂って来る。
「くそっ!この館もやられたか!」
 下の階も同様らしく、露台の手すり近くまではぜた火の粉が舞い上がり、煙も外の景色を隠し始めている。幾分、部屋の温度も上昇し、扉の隙間から遂に白煙が潜り込み出した。もはや、一刻の猶予も許されぬ。
(階段…持つか!?)
 なにぶん四階である。階段も安全とは思えず、何より廊下の状態も危険だ。一人ならば這いずりでもして抜けられようが、足を痛めた昂を連れては難しい。らしくない程憔悴の美丈夫の耳にさらに追い打ちをかける音が届いた。
 ドガンドガンドガン…次第に近づく爆発音。敵の仕掛けた爆薬か祭りに備えての火薬かは不明だが、次々に誘爆が生じ、扉が振動する。音と共に忍び込む白煙も飛躍的に増し、既に熱気も汗ばむ程に変じている。
「火気が…火気が今にも溢れそうに…」
 念術に長けたつぶらな瞳が、厚い扉越しに兆しを捉え震えおののく。ルクスの超常の感覚も、扉の向こうに限界に達しつつある地獄の猛火を認めていた。
(もう…廊下は無理だ!この部屋も直に…)
 露台から見下ろす。たちまちの内に下の階は火の海と化していた。本来なら二階の張り出しに逃れることもできようが、今となってはそれも自殺行為。だが、さらに下の石畳に降りる事は…
 ルクスの逡巡をあざ笑うかの如く、不吉の音はさらに迫り度に扉は悲鳴の如く軋む。
(ままよ!)
「嬢ちゃん…死にたくなきゃ、俺を信じて掴まってな!」
「え…?」
 昂の問う間も無く、すくっと露台の手すりに立ち、全身をたわめて渾身の跳躍を行う。
「ルクス様!」
 その小さな叫びも奪うかの如く、先まで二人のいた部屋から爆炎が噴き出す。その皮肉な追い風で、一時は宙を軽やかに舞うかに見えた両人の体も、たちまち物質界のことわりに囚われて死への降下を開始する。天地のない空中にて、それでも必死に身を反転し、震える魂を守らんとする。
(この高さなら、俺は死なねえ…!)
 虚勢ではない。かつては各地を荒したであろう超絶の鬼の肉体を忠実に具現したこの身体、人外そのものの回復力を誇る。実際死地に片腕を失した際も、腕を拾って形ばかり繋げたところ、見事傷も残さず復元した。何でも、鬼は首を切っても死なないと聞くが、流石に試した事は無い。
 それでも。この高さでは。
 悲惨な怪我と地獄の激痛ばかりは避けられぬ。ただ、歯を食いしばるのみ。

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(C)獅子牙龍児
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