北辰の祭礼 (4)


「風よ、大気に舞う自由の乙女、風霊よ…!」
「な、精霊の呪文!?」
 突如昂が見事に滑らかにまた素早く、風に呼びかける呪文を唱え始めた。
(あれ?俺、なんで精霊語分かるんだ?)
 ルクスに精霊魔法の素養は無い。疑問を解くより早く、細い腕が空に伸ばされ、指先より無数の不可視の糸が虚空を掴むが如く伸び、その中に半ば透き通るような乙女の姿が三つ四つ現われる。
(念糸で…風霊を…!)
 ルクスの念に慣れた眼には糸を通して昂の思いが風霊へと注ぎ込まれる様がはっきり見える。突然の事態に、軽みの娘達も困惑に身をよじるが、小さな念使いも必死である。
「汝が飛来の衣にて、我らを包みて羽毛とせん!」
 早口ながら歌いの美音にて精霊への依頼を閉じる。すると確かに柔らかいもので包まれる心地がして、たちまち落下の速度が弱まるのが分かる。辺りを見回す余裕が出て来て、既に二階付近にまで落ちていた事に気付いた。その二階のくすぶりが、実にじっくり観察できる。
(ひえっ、マジで羽になったみてーだ!)
 結局、空中で悠々向きを変え、傷一つなしに足から降り立つ事が出来た。お手柄の小念術士を労おうと口を開くその前に、当の功労者がしがみつく。
「ルクス様、ルクス様お怪我は!?」
「あ…あ、いや、へーき…」
「ご無事…でいらしたのですね?」
「…お、おう」
 涙すら湛えた星の瞳に圧倒されつつ答えてやると、気の緩みか、小さな魂はうれしの涙を流してしまう。
「ああ…良かった…本当にようございました…」
「や、それはいいけど、ホラ!」
 なんだかむず痒いのを隠すように、まだ顕現したままの風の乙女を示してやる。
「あ…無理なお願いでしたのに、有難うございます…」
 涙ぐみつつそっと手を合わす。本来は神霊に捧ぐべき礼式を手向けられて、恥じらうような笑みを浮かべたを最後に、ふっと大気に溶けるようにかき消えて行った。
「嬢ちゃん、すっげえ特技あんなあ!」
 人心地着いたルクスは漸く事の次第が読めた。呪文の言葉が分かるも道理、昂は全く平文にて請願したのだ。違う理(ことわり)の中に暮らす精霊に、通常の人間の言葉など通じる筈も無いが、強い意思を込めれば多少の疎通も不可能では無い。念糸にて互いをつなげば尚の事。
「しかもさ、超切羽つまった咄嗟の時に出来るなんてさ!」
「いえ…今までも、余程の火急の折に心底真摯になりませんとしくじるが常でしたから…」
「いやいや!練習で出来てカキューで出来ねえより立派立派!マジ助かったさ!」
「けれどルクス様、どうかお体は大切になさいませ。たとえこの身が無事でもルクス様にもしもがございますれば、我が心の臓、刹那も待たずに張り裂けましょう…」
「うわ!分かった分かったって!でも、俺ホント丈夫ちゃんなんだぜ?」
「でも…え!?」
 怒号のような声がふいに迫る。
「邪魔だ!どけどけどけッ!」
「うぉっとお!?」
 道のど真ん中にて浸っていた二人を数人の殺気立った男達が乱暴にぶつけて行く。あおりで無様によろけて端にやられるが、こうして見回せば事態はさらに進んでいる事が見て取れる。それも、悪い方に。
 高楼街の消火は遅々として進まず…やはり水をかけてしまい、却って火勢を広げている者もいる…むしろ火災など眼中に無いかの如く、急激な人の流れが生じている。泣き叫びひたすら逃げる歓喜女の群れ、得物握り締め雄叫び上げつつ何処かへ向かう男達。そろりそろり角から窺うと、武装の団は表通りの方角を目指している。
「ついにおっぱじめたな……む!」
 視界の奥に真紅の輝きが閃くと見えた…一拍遅れて人のものと思えぬような苦痛の叫びと悲鳴が鼓膜を突き刺す。ついで宙を舞うは、確かに人形をした黒ずんだ物体…
「魔法…不吉の光にございます!」
 遠目にはやや不明だが、白刃ならぬ黒き剣、さらに柄にはまるは真紅の輝き…
「烏石の剣に朱雀の宝石、死を呼ぶ魔剣バンシー…畜生、蝙蝠騎士団め!」
 ぎりりと唇を噛む。いかに刃物の扱いに長けた盗賊ギルドの戦士と言えども、かの敵相手は荷が勝ち過ぎる。貴重な魔剣を振るうは騎士団の中でも精鋭中の精鋭、単に夜目の利くだけの騎士ではない。
(並みの剣しか持ってないから、騎士団でも平の連中だけだって言ってたクセによ!)
 一体、盗賊ギルドに何があったのか。情報屋の情報はことごとく外れていた。それでも、残りの情報を信ずるならば…潜入の騎士の数は20を下らないという。
 男達は必死で裏町を守ろうとするが、見る見る数を減じて行く。気付けば、騎士どもの前進目覚ましく、火災で昼の如き明るさも手伝って、その面相の微細にいたるまで判じが付くようになってきた。数はたったの二人だが、累々と転がる犠牲者の遺体が却って仇となり、身の軽い盗賊達も近づく事すら困難の様。そこへ、さらに一人の騎士が息せきって駆けて来た。何故か、先の二人に笑みが浮かぶ。示し合わすと道を譲り、新参の男が手にした何かを投げ出すと見えた。
「わ、若頭ぁッ!!」
 騎士を囲む輪に怒号と悲痛の呻きが広がる。一人が振るえる手で持ち上げたそれは、まさしく生首。さらに、長い髪の、女と見える首級もある。
「あ、ありゃ、議長殿の末のお嬢様じゃねえか!」
「あ、あ、そうだ…間違いねえ…」
「漸く…年が開けたら一緒になれるって運びになったのに…」
 野次馬のつぶやきが、ルクスの眠れる義侠心に火を付けた。ただでさえその本性、二八の十六小娘で、まだまだ夢見るお年頃、たとえ身の丈六尺あろうとも恋路の邪魔立て看過はしえぬ。髪はためく程に怒気噴出す。
 が。
「ルクス様…?」
 か細い、不安気の声をかけられ、瞬時に頭が冷える。
(そうだ…、嬢ちゃんがいた…)
 守ると決めて日も変わらぬ内に、勝手で節を曲げるところであった。このような修羅場に小さな雛菊を置き去りにするは如何に残酷か…
 思案顔に辺りを見回す美丈夫の眼に、ふいに覚えのある山吹色が留まる。
「あ!おい、サタヤ!」
「えっ?えっ?」
 全身煤だらけ、見るからに憔悴の体の娘が振り返る。そのサタヤの前に昂をずいいと押し出す。
「お前、マイナス亭は分かるよな?」
「えっ…う、うん…」
 彼女同様道理の飲み込めぬ昂を反射的に抱えながら、取り合えずうなずく。
「すまねえが、この嬢ちゃん連れて行ってくれ」
「え!?あんたは?」
「俺は野暮用ができた。…じゃ、頼んだぜ!」
「ちょちょっとお!?」
「ルクス様!?」
 二つの声を他所に、若き傭兵は戦場へと身を躍らせて行った。


「ルクス様…」
 頼みの守護者に去られて、昂の小さき身が震える。その肩をぐいっと掴み、サタヤが何処かを目指す。
「?…サタヤ様、マイナスの宿は逆では…?」
「だめ…あそこは、奴らが張ってるから…」
 陽気な筈の黄色の娘は、何故か恐ろしく真剣で、首筋にはびっしりと玉の汗。火事のためだけとも思えぬ。
「姐さんなら、なんとか…」
「アルナワーズお姉様の所ですの?」
 小首を傾げる少女に、サタヤが怖いほどの顔で告げる。
「いいかい?痛いだろうけど、時間がない。走るよ!」
 ぐいっと昂の腕を掴んで駆け出しかけたその背に、氷の美声が振りかかる。
「おや?怪我のお客様に何という無理強い…まだまだ躾が必要と見えますね」
 瞬時に蒼白に変じた山吹娘の頬が、振り向き相手を確と判じた途端にさらに青くなる。
「は、『白銀の死神』…!」
「ええ!」
 尋常ならざる娘のつぶやきに、慌てて見遣ればまごう事無き先の給仕。…ただ、この火炎地獄の折、誰もが大なり小なり煤けているにも関わらず、白のお仕着せに一分の乱れも無きが奇妙に恐ろしい。その、銀糸たゆらす青年はにっこりと笑い、先程と変わらぬ丁重な仕草で頭を下げる。
「昂様、お迎えに上がりました」
「ちょ、止め…!」
 必死でサタヤが庇いに入るが、笑顔の青年の袖より発した金属棒は真直ぐ昂の鎖骨辺りに命中す。そのまま落下した鋼の矢は、カランと澄んだ音を立てて石畳に転がった。どこにも尖りの無い、何の変哲もない細い鉄棒…しかし、少女の体は力無く崩れ落ちる。
「お嬢ちゃん!しっかり!」
 サタヤが慌てて支え、ゆすぶって呼びかけるが完全に昏倒。…間違い無く、人体の急所に入ったのだ。
「サタヤ」
 何の感情も交えぬ−むしろ、幾分楽しげですらある−呼びかけに、山吹娘の背が凍る。
「お客様を、今宵の『宴会場』へご案内しなさい」
「はい…」
 震えながらも、異を唱える気力も無い。
(ごめんよ、陽気な傭兵さん。あたし、こうするしか無かったんだ…)
 …当のルクスはまだ、知る由も無かった。

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(C)獅子牙龍児
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