火蛇の傭兵 (3)


「ほう、四人たァ少ねえな…」
「…てめえは化け物かッ!」
 どう言うからくりか、矢も短剣もまるで当らない。空しく落ちた矢を蹴散らしながら悠然と部屋へと入って来たのは、恐ろしく常識外れに巨大な剣を軽々構えた大男。余程己の肉体に自信があるのか、鎧も防具も何もなく、ただ獣の皮を直に着込んでいる。続いて後から五人。
(不利だ!)
 狭い穴しか逃げ道が無く、多人数ではかえって分が悪いと、ギルドはたった三人しかよこさなかった。以前はそれでも問題なかった、粗悪品とは言え貴重な朱雀石と高価で強力な「眠り砂」があったから。だが、今は…

 冷たい汗が首筋を伝う。


 ヴ…ヴゥン!ヴン!
 疾風の唸り声。恐ろしく馬鹿でかいその剣は、振るわれる度に風を起こさせる。さながら切り裂かれた大気の悲鳴…粗い中にも凄まじい気迫、とても仲間を気遣う所ではない。常ならば不死身のルクスの事、相打ちに持ち込み悠々勝利できようが、真の敵は魔剣士である。その上、祭礼の死闘で負った傷もまだ完全には癒えていない…特に魔法の炎に焼かれた臓腑の痕が、緊張故か急激にぶり返しぎりりと痛む。
 ひらり。
 激痛を無視して軽やかに逃げる。その後を鉄の刃が執拗に追う。念術の行使も考えたが、風音が異常に耳障りで集中ができない。疲労も傷もあるとは言え、予想外の苦戦にルクスの気も焦る。
「ォオオオオッ!」
 食人鬼の咆哮に風霊の絶叫が重なる。その音にらしくない程恐慌している自分に驚きながらも、野鹿の様に跳躍して辛くも逃れた。勢い余り、大男の剣は床板を深く貫き、そのまま抜けなくなってしまった。
(今だ!)
 前のめりの姿勢のままもがくその背に瞬時に回り込み、柄まで埋れとばかり突き刺した。が…
 …ぱきり。
 聞こえたのは肉の裂ける鈍い音ではなく軽やかな音。…ルクスの刀が奇麗に折れたのである。


(どういう事だよ!?)
 ただの毛皮が念籠めを施した刀を防ぐという現実。混乱の坩堝に落とされながらも戦士の本能で後ろへ飛び退く。一呼吸置いて、再び自由を取り戻した男の大剣がルクスのいた場所を大きく薙いだ。さらに重い筈の大剣で無理に下方から顔面を狙われる。
 シュッ!擦過音に遅れて痛みがくる。見切り切れずに眉間とフードを切られた。その痛みに、閃くものがある。
(まさか…!)
 さらに踏み込まれる所を折れた刀を投げてかわし、その隙に距離を取った。替の刀を取り出すが、青い瞳が常に無いほど開かれている。
「全然切れねえ毛皮に、その妙にうるせえデカ剣…」
 呆然としつつも半ば無意識に刀を構える。
「死んだんじゃなかったのかよ…」
 唸るような声が漏れる。

「『風殺し』の…アクィロ!」

 返答代わりに、巨漢がにやりと歯を見せた。



 世に、不死獣ネメアと呼ばれる魔獣がいる。
 形は獅子、だが体躯並外れて巨大。咆哮に魔力あり、牙の鋭さ鋼鉄を凌ぐ。何より恐ろしきはその毛皮、如何な武具にも損なわれぬ。それゆえ、古の神は素手で締め殺したと言う。ネメアの毛皮はネメアの爪でしか裂けず、今に至るまで無敵の防具として珍重されている由。その、ネメアの不敗の胴着をたまさかに手に入れ、身に着けていた事で知られていたのが誰あろうアクィロである。
 ネメアの胴着の神通力はただ貫かれぬと言う一点にある訳では無い。所有者にはネメアさながらの咆哮の能力備わるのである。そしてアクィロ本人にも元来奇妙なる才、あるいは呪いが有ったのだ。


 大気を正しく保つがために、大気の中には必ず風霊がいる。何であれその営みをみだりに乱すものがあれば必ず風霊が止めにかかる。未熟な剣士はその事を知らずして徒に武器を奮い自らを害する羽目になるが、修練を積むに連れ、自然その理を体得し、風霊を乱さぬ技術を身に着けるようになるが道理。
 が、アクィロは邪道であった。
 自分の剣戟に幾度も抗する風の乙女に怒りを覚えたこのアクィロは、遂に愛用の大剣で大気の娘を嬲り殺しにしたと言う。本来ならば人間の干渉不可能な不可視界に属する精霊のこと、ただの剣に殺されるはずもなかったが、所詮人間風情と見下げてかかり、自ら実体を顕現せしめたのが永遠の乙女らしからぬ軽率であった。やにわに切りつけられ、慌てて旋風を起こそうとするも未熟なその風霊は動揺からか満足にならず、逆に起こした風の流れを無体に寸断され、剣圧に手足をもがれて身も凍るような絶叫を残して果てたと言う。以後、アクィロが大剣を振るう度、憐れな風霊の怨念が声ならぬ声を上げて泣くとのもっぱらの噂…
 ネメアの呪わしき咆哮と風の乙女の悲痛の叫びとがアクィロを恐怖の戦士とならしめた。だが、数年前の南方の戦に傭兵として参じた折り、敵方の強力な魔術師から毒の光を食らい、遂に悪運尽きたと聞いていたが…


「俺は不死身だからな…お前こそ、誰かと思えば、炎使いの…『太陽』のルクスだな」
 ぎとりと目を向けられる。実際、被っていたフードは無残なぼろきれと化し、姿を隠す用は全く果たしていない。正体が露見した以上、いよいよこの巨漢を殺さねばならない。
「俺の『鎧』は火も効かんぞ」
「知ってらい!」
 動揺を悟られまいとして却って声を無駄に張り上げてしまう。相手のペースに呑まれかけているのに気付き、丹田に力を入れて息をゆっくり吐く。無用な興奮が呼気とともに消えて行く。
(思った以上に厄介だぜ…)
 間合いをさらに下げて刀を持ち直す。アクィロに言われるまでもなく、念術は使えそうもない。言霊魔法だろうが念術だろうが集中が半端であれば術は本人に跳ね返ってしまう。
 ヴゥウウン!また、大気の叫ぶ声。太刀筋自体は粗いが、乙女の怨念は神速を誇るルクスの身を重く重く縛る。しかも時間と共にその縛は強まりこそすれ弱る気配は見えない。うっかりすると、刀を構える腕までだらりと垂れてしまう。
 劣勢は明らかだった。

 巧みな剣技とは言い難い、粗い大斬りが続く。その粗い攻撃に翻弄される己の未熟に舌打ちしながらひたすら避け続けていたが…
(む…?まてよ!)
 風霊が不可視界の超常の主とは言え、操るはあくまで大気とその眷属のみのはず。つまりはその怨霊も大気を震わせる事でのみ、人心を害しているのでは?
「オラオラオラ!どうしたどうした!」
 いっそからかうように、ろくに狙いもしない大振りが思考中のルクスを襲う。さっと、飛び退く事で避ける。だが、逃げてばかりでは解決にならない。
(奴は、どうしても攻撃と攻撃の間に隙ができる…風霊の方だけでも何とかすれば…)
 不敗の胴着とて全身くまなく守る訳ではない。自分が無敵と信じる者は、その自信こそが弱点となるのだ。
(よし!)
 ヴゥウン!
 逃げても逃げても追い迫る凶剣。疲れを知らぬ主。だが、ルクスに先までの焦りは無い。勝機は、有る!



「よう、色男さんよ。すっかり肩で息してるぞ?」
 自らの優位を確信した男は笑みすら浮かべてうそぶく。ルクスのマントは既に簾のように裂け、蝙蝠の騎士にあちこち焦がされた絹の衣装も、その上さらに傷んで見る影もない。
(言ってろ!)
 息が粗いのも疲労の色濃いのも満更演技でもないが、だからといって素直に弱った姿を敵に曝すほど初でもない。ルクスの、瞳だけは爛爛と輝いているのに奢れるアクィロは少しも気付かない。
 相変わらず、胴ががら空きになるも構わずに大上段に構えて勢いよく振り降ろす。いや、降ろそうとした。

 刹那、ルクスが跳ねた!念刀を捨てて男との距離を瞬時に縮め、渾身の肘鉄を食らわす。
 ぼきり。骨の折れる鈍い音。やや遅れて、呻き声を上げて倒れたのは…


 アクィロの方だった。

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(C)獅子牙龍児
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