魔剣の騎士 (4)
(ルクス様!!)
まだ、魂はこの世に在るのだろうか。かすかに遠く、声がする。
(ルクス様!!ルクス様!!)
こんな時でも思念の声でも。昂の声は美しい。
鳴呼…願わくば、次に産まれて来る時には。あんな姿と声を得たいものだ…
そして。その優しき心映えをも。
そう思い。その考えは酷く十六の少女の魂を一時満たした…
(ルクス様!!)
…眼が、覚めた。
痛みで命が奪えるなら。…既に七回殺された、そんな激痛は変わらずある。
しかし。幼少のみぎりより。ひたすら堪えた、心の痛みはそんな甘いものでは無く。
多感な少女で無く…無頼の戦士らしく。
ルクスは面前の残忍の徒を。眼力篭めて睨み返した。
「往生際の悪い…死の苦しみが、増すと言うのに」
「へ…こちらとら、まだ…死ねねェ理由が、たっぷり…あるの、さ…!」
いまだ命失わぬルクスに対し。一毫も驚かぬ騎士も酷く不気味だが。例え両腕使えぬとて、ルクスの身には『念術』もある!
(ルクス様!!)
今も必死で呼びかける、細く可憐な昂の声。その声を…昂を思うと。火傷の熱さとは別に穏やかな温もりが身を満たす。
余計者、余計者と罵られてばかりいた…かつてのルクス。
それでも、あの心身ともに優しく清らかな昂を護り切る事が出来たなら。二度と天に我が身を恥じる事も無くなる事だろう…
(ルクス様!!無理を承知で願います!!)
その、昂の必死の念話が叫びを上げる。
(嬢ちゃん…?)
言葉は満足にならずとも、念話ならば如意にもなる。しかし、あの昂が、今のルクスに『無理』な願いとは。
(どうか…『念』の『繭玉』を…私に、どうか!!)
『念』を、丁度蚕の繭の様に丸めたものである。ただ身から『念』を吐き出し荒く塊にするだけの、酷く初級の術だから…普段のルクスならば造作も無い技術だが。
(どうか!!それより他に、策はございません!!)
いっそ、昂の方こそ痛みを感じているかの如く。血を吐く様な叫び…幼い身ながら修羅を潜った昂が言うのだ、第一ルクス自身に選択肢は無い。
(判った!何とか…何とかするぜ!)
そして。ここにたった一つだけ幸運がある。
眼の前の、唯一の敵は…
「そら、そら…まだまだここらは生煮えだな…」
なかなか命を失わぬ、ルクスに対して。むしろそれを楽しむかの如く、剣を刺したままでの狼藉三昧。楽な術とは言え、『繭玉』作りに専念のルクスには、いささかの防御も不可能である。
それでもともかく必死に。身を焼く痛みは絶叫に逃がし。騎士団長が、ひたすら悪趣味に耽溺するを良い事に…遠く離れた昂と己を繋ぐ唯一の、青玉に近い手の平に。念をひたすら溜めて行く。
常のルクスであれば…鞠程の大きさにも造作なく成せるのだが。…哀しいかな、真実繭程の大きさと成った所で全く精も魂(こん)も尽きた。
(嬢ちゃん…済まねえ…)
が。次の瞬間、眼を剥いた。
(な…!?)
二の腕に飾った腕輪から。蜘蛛の糸よりまだ細い、繊細にして霊妙なる念糸が次々と。たちまちの内にルクスの『繭玉』包み込み…そして。
丁度、蚕の小屋の娘達の様に。丸い繭より糸引き出し…不可視の念糸、そのまま思考の速度で…
何と、あのアクィロの大剣へと。
痛みすら、全く忘れて思わず見入ると…
剣の無駄に大きな刃を包み。驚く事に、鋼の内より『何か』を引きずり出すと見えた!
それは…
「まさか…!」
思わず声に出してつぶやいた、そのルクスにつられて騎士が見たものは…
手も脚も、無残にもがれた姿のまま。片目より、血の涙をひたすら流しつつ…バンシーすら小鳥の囀りに聞こえる程、恐ろしい声で無く娘…
かつて、アクィロに不運にも殺された。…風の娘、その人である。
「あ、あれは一帯…」
初めて、騎士の面にも恐怖が浮かぶ。
腕は肩口から、脚は腿の半ばから、手加減もせでざっくりと。…姿形も強烈なるが、何より声が奇怪である。先刻、例の剣を振るった時の、あの奇妙の音とも通じるが…さらに遥かに上を行く。
何より。元は麗しく蠱惑の力もあった筈の、美しい乙女の面影残るだけに。無残さ一層凄まじい。
…と。
突如として。白き清き絹糸が。まるで無き器官を補うが如く…腕と脚とのあるべき姿を、すらりと長く形良い、乙女の四肢をみるみる内に形作る。娘当人、この上己の身に起きた、不可解な事象に眼を見開くが。
始めよりもさらに唐突に。あの白糸、雲とかき消え…
「こ、こんなの…アリかよ…」
力無くつぶやくルクスの前。
風の乙女の四肢見事、あるべき姿を取り戻した。
「お、おのれ…怪しき妖魔め!!」
死なぬルクス一人ならまだしもが。…その上、精霊の娘まで現われて。
まず定命の者の前には顕現せぬ存在である。不可視を見る才も無いながら、精霊を間近く見るのは…極めて珍しき僥倖か、はたまた世にも稀なる凶運か。
しかも、四肢こそ戻れどいまだ容姿の凄まじい、怨み抱けし亡霊である。
「冥府に沈むが良かろうぞ!」
騎士団長、満身創痍のルクスの身から…両の剣を抜き去った!
「くッ…」
凄まじく迸る、血、血、血…半ば本能の動きにて、念の術にて血止めし…膝をつく。だがそんなルクスに構わずに、例の騎士は乙女一人を…まだ眼(まなこ)も赤く呆然の、風の娘をねめつける。
この隙に、何とか…と思うばかりで身体はまるで動かない。
だが…
ルクスの腕の青玉の、輝き一層光る物の内より…再びの念糸!
(じょ、嬢ちゃん!?)
驚く間も無く糸、真直ぐに。虚空にたたずむ乙女の元へ。…いつぞや宿の窓より落つる時の様に…念糸で乙女をしっかり捕え。新たな驚愕に襲われた、風の娘に向かって昂の切の声伝う!
(大気に舞う自由の乙女よ…我が願いを聞き遂げん!)
(まさか…嬢ちゃん!!)
焦燥の極みの昂に躊躇は微塵も無く。
(汝が飛来の羽衣を…無限の刃と無し…)
「駄目だ、嬢ちゃんこそ限界だ!!」
思わず肉声での制止も届かず。
(…命果つるまで切り裂かん…お願い!)
叫ぶ様な声とともに…青の玉に亀裂走り。ぱりりと音を立てて飛び散った。
そして。
風の乙女は…昂の決死の求め通りに…
「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
…後にはただ。鳥葬の跡の如き、骸が一つ…
「嬢ちゃん…」
呼びかけても、答えは全く無い…たった一つの、腕輪も壊れては、向こうの様相全く判らず。
過分に力を使い果たした、昂。それもあの様な…惨い技を使わせて。
「畜生…!!」
護り切ると言いながら。あまりに腑甲斐ない己に歯噛みする。
半ば這う様に…警告がわずかに遅れて、眼の前で殺された盗賊二人の生首を。せめての形見と掻き集め。さらに、バンシーの魔剣の炎に無残に焼かれた今一人を。無理に背負って…ゆらり立ち上がり。
体力の限界と、今の身には堪え切れぬ重みを半ば無視して。よろりよろりと出口に向かう。
(嬢ちゃん…嬢ちゃんだけは…)
この、勇敢だった盗賊の様にはしない、絶対にしない!
ただ、昂の姿だけを胸に。
ルクスは必死で帰路を歩む…
(C)獅子牙龍児