地下の焦燥 (1)


 …誰かが呼んでいる声がする。
 だが声は酷く遠く、判然としない。おまけに凄まじい睡魔がある。
(眠い…寝かせてくれよ…)
 全身は鉛の様に重く、まどろみは蜜の様に心地良い。その自然の欲求に、身を任せても良かったが。
(あれ…俺、何してたんだっけ…)
 自分は、確か…


 意識が急速に浮上した。



 瞼を上げずとも、やけに視界が眩しい。
「う…」
 薄眼で探ると、意外にも容赦無く差し込む光は陽光では無く。…ただの、灯火。
「…?」
 何故、そんな物が眩いのだろう…そう思いながら、苦労して瞼を開いて見た。

「あ!気が付いた!!」
 聞き覚えのある、声。
「傭兵さん、傭兵さん!だいじょうぶ?あたしの事、判る?」
「………サタ、ヤ?」
 こくこくと、娘が激しく頷くものだから…高く束ねた黄色の髪が、酷く激しくぴょんぴょん跳ねる。
「良かった…あたし、もう本当に駄目かと…」
「実際、気分はどうだ?」
「痛みは…まあまだ酷いか」
 半泣きの娘の声にかぶさる様に、複数の男の声。その声に…ルクスの意識が漸く鮮明になる。
 ここは、盗賊ギルドの本拠地だ。


「嬢、ちゃんは…?」
 舌すら掠れて自在ならぬがもどかしい。…あの凄まじい死闘の後、辛くもここまで辿り付いた事までは覚えている。しかし実の所、地下まで歩く体力など残ってはおらず…行き倒れ同然の所を、驚く盗賊達に拾われたのが実情だ。
「嬢ちゃ…ん…何処、だ…」
 「仕事」こそきっちり果たしたが。仲間を全て失って…しかも、昂は…
「心配ねえ、と言いたい所だが…」
 盗賊の一人が、口を濁す。
「な…何だ!お…れは…言われ…たっ、仕事!…」
「喋っちゃ駄目よ!まだ死にかけなんだから!」
 死にかけ…あまりに身も蓋も無い言葉に思わず絶句すると、別な男が台詞を引き継ぐ。
「どう言う訳だか、あんたが出かけた後、急に倒れたんだ」


「あのね、信じて貰えないかも知れないけど…あたし達は本当に心当たり無いの」
 サタヤが必死で弁明する。それはそうだ、お人好しのサタヤは勿論、この場にいる盗賊達は…元々監視役を交代で勤めていたのだが、はっきり言って清楚な少女の愛らしさと気高さに圧倒されて、半ば崇拝者の如くになってしまった連中ばかり。それだけ昂が優しくたおやかであると言えるし…裏の社会にも気の良い奴は存外少なく無いのだ。
「ああ…おまえ…たち、なら…」
 …むしろ、心当たりならルクスの方にこそ。
 あの時。ルクスを救おうとするあまり…力を使い果たした昂は、一体…

「何処、だ!…嬢、ちゃ…今…」
「だから、喋ったら!」
「命にゃ別状無いと思うぜ…多分」
「多分!…な…」
「ちょっと!余計興奮しちゃったじゃない!」
「い、いや悪かった…すぐそこで眠っている」
「すぐ…そこ…?」
「ああもう!動いちゃ駄目よ!」
「グッ…」
 無理に身体を動かそうとした瞬間…激痛に息が止まる!
 傷は、少しも癒えていない。

 …それでも無闇に身をよじるルクスに閉口して、サタヤと盗賊達が絶対安静の重傷者を支え起こす。すぐ横に…可憐な、しかし痛々しい寝姿が…
 昂が。額にびっしりと玉の汗を流しながら…酷く苦しげにうなされていた。


 無理をさせた…改めて罪の意識が身を焦がす。
(嬢ちゃん…)
 顔色が酷い。熱も高そうだ。
「俺…どの、くらい…寝て、た?」
 昂のこの状態は、一体どれ程続いていたのだろう。
「え?…そんなに長く無いのよ。だって帰って来たの、昨日の朝だったから…」
「今!今…は…」
「もう晩ご飯は済んじゃったの。…あ!でも、夜中って程でも無いし…」
「夜…」
 この界隈での夕食は、堅気の時間よりかなり遅い。サタヤは気を遣って言葉を付け加えたが、実際は「夜中」に近い時分だろう。
 都合…ほぼ二日間。ルクスは寝込み、昂も…
 そこではっとする。
「サタ…ヤ…」
「な、何!?あんまり喋っちゃ駄目ってば!」
「嬢ちゃ…んは…?だれ…かに、診せ…た…か?」
 昂の容態…ただの薬師に治せるものでは無く。何より、下手な奴に診られたら…不安がよぎる。
 だが山吹色の踊り子の、返す答えは意外だった。
「診せるも何も…」
 はあ、ひとつため息。
「もう、絶対に誰にも触らせないんだもの」
「へ?…だれ、が?」
「決まってるじゃないの」
「…あんただよ」
 全員の眼が、ルクスを示していた。



「ズタズタの、火事場から逃げ出したよなあんたが帰って来てよ…」
「びっくりしたのよ〜!身体中火傷だらけで…」
「で、もしかたしたら、もう駄目かも知れねえ…そう思ってな、」
「せめて、末期の水位は…」
「昂ちゃんに、って…あたし達…そう思って…」
 それで取り合えずこの部屋に運び込もうとして。そこで、初めて昂の異変に気付いたと言う。
 取り合えず、二つの寝床を並べてしつらえて。医術の心得のある人間を連れて来たのだが…
「もう!傭兵さんたら…昂ちゃんに誰かがちょっと触っただけで、酷かったのよ!」
「酷い…?俺、が…?」
「あんた、昏睡だったしな…覚えちゃいないだろうが」
「こう…腕を突然振り回したり、何か大声張り上げたり!」
「…どっちかって言うと、野獣か何かみたよな有様だったな…」
「ああ!何か…痺れ薬が半端にしか効いてなくて、吠えて暴れて…と言う所か」
 とんでも無い言い様だが、実際凄まじかったらしく。何でも、中にはルクスの拳の一撃で、歯欠けになった者もいたのだとか。
「だからさ…まあ、そんな無駄元気がありゃ、少なくともあんたは死なんだろうし」
「昂ちゃんの事も…傭兵さんが起きるまで、そっとして上げる事にしたの」
「ま、俺らが余計を止めた途端、またあんたも大人しくなったしな」
「そりゃ…済まなかった…な…」
 これにはルクス自身も驚いた。歯の折れた相手には悪いが、御陰で昂の正体も露見せずに済んだらしい。

「でも、実は良かったなんて思ってるんじゃない?」
「へ…?」
「だって傭兵さんの大事な大事な昂ちゃんに、誰も何もできなかったもの」
「ま…な…」
「ホント、傭兵さんの寝相の悪さに感謝、感謝!」
「………」
 サタヤの言葉は多分に冗談だろうが。…実の所、こう見えてルクスは寝言や寝ぼけとは無縁の質。
(何でまた…今回に限って…?)
 …良い偶然ではあったが。



「…!」
「ちょ、ちょっと!」
 再び飛び起きかけたルクスに一同再び大慌て。例の「寝相」事件もある事だから、ルクスの自力の回復に関しては皆露程にも不安は無いのだが。…腕やら脚やらに無数の火傷と斬り傷と、さらに脇腹から深くえぐられた痕がある。殊に腕には貫通痕まであるものだから…こうも暴れられると、見ている方が危なくてならない。
「もう…一度!…嬢、ちゃん…みせろ…」
「何言ってるの!確かに熱は酷いけど、命に関わる様なものじゃないの!」
「取り合えず、サタヤが適当に看病してたぜ」
「急にこんな場に連れて来られたんだ…知恵熱も出るだろうさ」
「ちがっ…!」
 皆、誰も気が付いていない!


 昂は、全身の念孔を封じてしまった…だから、過大に念を繰ろうとすると。体内に溜まり過ぎた念の力を外に逃がせず…身体が酷く飽和してしまう。たとえ自分の身より生じた念であっても、過分に溜まれば毒も同じ…身をじわりじわりと蝕んで行く。
 念孔さえ開いていれば、眠っていても余剰は勝手に逃げ出すが。そうで無い今、意識して細い細い汗の口よりまだ細い、小さな穴から念を強いて抜き出す必要がある。それも、昂当人が昏睡の今は…


「頼む…俺、を…嬢ちゃんの…傍に…」
「何言ってるの!だって傭兵さんこそ死人に後半歩って所なのよ!!」
「けど…嬢ちゃん、今…苦しんで…」
「おいおい、心配なのは判るがただの知恵熱だぜ?」
「大体、あんたに何が出来るってモンでなし…」
「そうよそうよ!折角傭兵さんも眼が覚めたんだし、あたし!あいつ呼んで来る!」
 あいつ、と言うのが医術の使い手なのだろう。しかし昂の疲労はともかくも。苦痛の方は幾ら待とうが何を施そうが自然に治る見込みは無く。
(そんな奴が来たって…第一!)
 昂の。正体を知らせる訳には断じて行かない!

「きゃあ!駄目よ!」
「グ…う…」
 改めて。灼熱の剣で臓腑をえぐられるよな激痛に襲われる。腕に至っては痛み以外の感覚がほとんど無く…今、自分が腕が何処にあるかも定かで無い。丁度、肩から炎が生えているよな凄まじい心地…
「止めて!本当に止めて!お願い!」
 山吹の娘は悲鳴混じりに嘆願するが。ルクス、残る気力の全てをつぎ込んで、如意にならぬ鉛の身体で半身を起こす。
「マジで…嬢ちゃん…ヤバい…から」
「何言ってるのッ!!あなたこそ!!」
「そうだ!そんな身体で無茶するな、今度こそ本気で死ぬぞ!」
「死な…ねえよ…これ、位で…」
 …何せ、人外の肉体なのだ…

「嬢ちゃん…病気、なんだ…」
「え?昂ちゃんが?」
「俺の…念…」
「念術?それがどうかしたの?」
「それ、しか…治せ、ない…」
「えええ!?」
 嘘では無い。
 それに。…幸い、念術は他所には万能の技と思われているし。

「だか、ら…頼む…」
「だけど…だけど!」
「手…貸して、くれ…」
 血を吐く様な、ルクスの願い。
 気迫に根負けして。盗賊達はルクスの両肩に腕を差し入れた。


「ぐっ…ぎ!…ふぐっ…」
「傭兵さん!!」
 男達は裏家業にも似合わずに、細心の注意を払ってルクスを運ぶ。それでもほんのわずかな振動が、満身創痍の身体のあちこちを、何の加減も無しに突き刺して行く。それを気遣って歩も遅いから…ほんの隣の床なのに、永遠の様に酷く遠い。
 見守る山吹色の踊り子も、いっそ自分の身が痛むかの如く…
「ねえ…本当に、もう…!」
「サタヤ…」
 その、職に似合わず純な娘を眼で呼んだ。

「なあに?何?何か…あたしに手伝えるの!?」
「俺の…手、を」
「手?あなたの、手を?」
 ためらいがちに、娘の手が。…爪も全て剥がれた傭兵の手に伸びる。
「そ、それから?」
「嬢ちゃんの…額に…」
「こう…?」
「布…どかせッ!…じか、に…」
「う、うん!」
 娘の手に導かれて。触れた、昂の額は…
(…!)
 熱い。ただ、肉体の感覚で感じる熱ばかりで無く…
(畜生!とんでもねェ念溜まりだ!)
 念の塊が…今の今にも、昂の身を裂き外へと溢れ様と…

(させるかッ!!)

「え…え?え?何するの!?」
 急に苦痛に顔を歪めだしたルクスにサタヤはもはや泣き顔である。暴れ回る、混沌の念を…それこそ針の穴を潜らせるよな細心で。いまだ発達の途上にある、小さな身体を害さぬ様、そっとそうっと引き抜いて行く。元来ルクスは大雑把な性格だから、しかも今まで戦を生業としていたものだから…こんな細かな念使いには慣れていない。それでも、慣れていようがいまいが、今昂を助けるには…これしか方策が無い!
「うぎ…ぐっ…うう…」
 念繰りのための集中が、傷だらけの身体をさらにその上苛んで行く。しかも傷に触る無理な体勢で…閉じた所も随分開いてしまっただろう。
「ねえ!駄目だって…何だか知らないけど、もう…止めてよお願い!」
「喋ん…な!」
 気遣いは判る。だがルクスも常のルクスでは無い。
 ともすれば…集中どころか、意識すら途切れかけて来る。

 灼熱の激痛…



 熱い。熱い熱い熱い熱い………全身くまなく火箸を押し付けられたかの、いやさ皮膚の全てを焼かれたかの如き凄まじさ。たとえ火中の薪だとて、これ程の苦しみは味わうまい。人の身にはなべて限りがあると聞くのだが、苦痛ばかりは果てが無い。
 魂すらも、あまりな無体に剥がれかけ…意識が虚空へと漂い出す。
 苦悶の中の白昼夢…


 幼い少女が粗末な寝台に寝かされている。
 休み無く頻りに譫言を言い、すがる様に敷布を必死に握り締める。
 顔と言わず腕と言わず…全身くまなく、奇妙な斑が肌を覆い尽くし。そこから奇怪な臭気放つ、膿が止めども無く溢れている。
 あつい、くるしい、たすけて…意味を成さない唸り声の合間合間、切実な言葉が漏れ聞こえる。
 面相丸ごと取り替えたい、そんな不埒を思った天罰か。もはや…少女の顔は人のものとも思えず。
 脳と臓腑が煮えるよな、地獄の釜もかくやの熱が小さな身体を絶え間無く襲う。
 しぬ、こわい…絶望が小さな世界を覆い尽くす時。
 曇天の雲間から指す日差しのよな、柔らかな声。
「…お願い、負けないで。母がついていますから…」
 死病の床の、唯一の希望。
「どうか、この子を…わたしのたった一人の娘を…」
 切たる祈り…

 …それは。
 病床に苦しむ、あの少女は…


『ルクス様…』
(………!!)
 かすかな、声が聞こえた気がした。



 何時の間にかに閉じていた、瞼を今一度きっちり開く。何も、外界に変化は無い。昂の苦悶も、…ルクスの激痛も。
 それでも思い出す。
 あの病の中の苦しみを、苦痛の中の壮絶な孤独を。…それは。如何な火傷の傷より深かった。
 そして。あの絶望の淵でも…己を待ち望む人がいた。

 死闘の中。青の宝玉通じての昂の声。あれはまさしく闇の中での唯一の光明…

(そうだ…これ位の痛み、何だって言うんだ…!!)
 自分は、もっと恐ろしい地獄だって潜り抜けて来た。
(あの時、嬢ちゃんは俺を必死で待って…助けてくれた!)
 全身の神経を、手の平の一点に。
(嬢ちゃん…今度は、俺の番だ…!)
 するすると…蜘蛛より細い念糸の筋。苦痛の汗に濡れた、幼い額から。
 小柄な身体を苛むものが次々抜き取られて行く…


「も…これ、で…」
「え…え?ええ!?熱、下がってる…!?」
「な…本当か?」
「良かっ…た…」
「ちょっと!?傭兵さん!!傭兵さんたら…」
 がくり。満身創痍の身体が…今度こそ崩れ落ちて行った。

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(C)獅子牙龍児
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